虎猿再争
スマホのアラームが朝を告げる。久しぶりにぐっすり眠れた――と言えばそうでもない。ベッドから香る他人の匂い。一昨日ついたであろう二人の女子の香りは、僕の煩悩を著しくかきたてた。
「あら。修ちゃんおはよう」
「おはよう」
テーブルの上に並べられた朝食。メインは毎日変わるが、漬物と味噌汁、このサイドメニューは変わる事はない。
「どうしたの? 美味しくない?」
「いや、旨いよ。旨いなぁと思っていただけ」
「いつもと変わらないわよ。変な修ちゃん」
いつもと変わらない。ソレは安心を与えてくれる、無理に変える必要もない。今までそれで良かったんだから――そう思っていた。
だけど今は違う。変わらない事がこんなにももどかしい事とは思わなかった。
皆は十二支枝として目覚めてから、今までの生活とは大きく変わった。僕が変えてしまった。
そんな僕は、今までと何も変わらない。
その事実は、僕の心に影を落としていた。
家を出て境内に向かうと、すぐに茜の姿を見つけた。
タイトなTシャツと赤いスパッツ。彼女は天を仰ぐように大きく伸びをする。
「着いたなら、家に来てくれても良かったのに」
「おっ? おはよ~修ちゃん! 今来たばっかりやねん」
八重歯を覗かせ、人懐こい笑みを浮かべる。昨日の事が嘘のようだ。
「悪いなわざわざ来てもらって」
「ええねん。どうせ暇やし、修ちゃんのお願いやったら断られへん。でも懲りずに再戦とは、中々見所のある女や!」
「いや、今日はそういうのじゃなく、普通に話をするだけにしようよ……」
軽快に拳を突き出す茜をたしなめる。またややこしい事にならないといいが……。
「じゃあ行こうか」
「ちょっと待ってや――」
茜が、歩き出した僕を呼び止める。
「修ちゃんのお願い聞いてあげたんやから、ウチのお願いも聞いてくれへん?」
「お願い? まぁ、僕に出来る事ならいいかな」
「出来る出来る、簡単や。じゃ――手つないで行こか」
そう言って、茜が左手を差し出した。
ちょっと待て、確かに出来ない事ではないが、難易度が高すぎやしないか。
「そ、それがお願い?」
「せや! つないでくれな行かんで」
すねた顔をする茜の手を握る。あくまでも平然と、自然に。胸の高鳴りを悟られないように。
「こ、これでいいだろ」
「うん! ほな出発!」
大した事じゃない、そう自分に言い聞かせて歩き出す。
どことなく嬉しそうな茜の表情が、僕の胸を一層高鳴らせた。
――虎口道場――
時刻は九時五十分、僕達は道場の門をくぐる。入り口にある、可愛い靴と高級そうな草履は、すでに全員の集結を告げていた。
靴を脱いで、繋いだ手を離そうとした瞬間――。
「たのも~!」
茜が勢いよく扉を開け、そのままグイグイと突き進む。もちろん、手は繋がったまま――だ。
「おはようさん。昨日は痛かったやろ? すまんかったな」
茜が先輩に声をかける。だが、それは心からの謝罪ではなく、完全に挑発的な態度だった。
「大したことはない――」
そう言って僕の手元に一瞬視線を移した。とっさに手を離そうとしたが――離れない!?
「ちょ、もういいだろ」
「いつまでって決めてないやん。まだええやろ?」
「いや、おかしいだろ――」
手を離そうと腕を振る。その時、龍ヶ崎さんが口を開いた。
「随分と仲がよろしいようですわね。紹介していただけますか?」
藍色の着物に身を包んだ龍ヶ崎さん。その顔に笑顔はない。薄っすらと青みがかったその瞳に背筋が冷たくなる。
「あ、あの――」
「ウチは茜――猿小路茜や。昨日は見んかった顔やな。その着物ええなぁ、どこで買うたん?」
茜の言葉を、龍ヶ崎さんはまるで聞こえていない様に、目の前のお茶に手を伸ばす。
……ファーストコンタクトは最悪だ。
「うわっ。無視や。田舎の人は怖いわぁ――っ!?」
突然茜が僕の手を離し後ろに跳んだ。野生動物が身の危険を察知した様に素早く。
だが、茜意外は誰一人動いていない。
「どうかいたしました? 関西の人は面白い人が多いですわね」
茜の行動に驚いたのは中谷さんだけ。二人はまるで気にもとめていない様子。
無事手も離れ、ひとまず僕達は座った。
虎口家の座布団の座り心地は最高。多分それなりのお値段がするんだろう。
だが居心地は最悪だ。机を挟んだ僕の正面に三人、そして隣に茜。この配置、何だか僕が責められているみたい。完全アウェーの茜はいたって平気そうな顔をしている。その精神力が欲しい。
「――早速だが、本題に入るとしよう。猿小路と言ったか――お前、十二支枝を知っているな?」
茜の表情が変わる。薄ら笑いをやめ、警戒の色を見せた。
「……知ってたら、どないやねん」
「我々も十二支枝だ。今日呼んだのはその為だ」
「あんたらが……十二支枝やて……?」
驚いた茜も気にせず、先輩は淡々と続けた。
「力に目覚めた時、お前も自分の使命を思い出したはずだ。覚えているか?」
「主を守れ――やな……?」
少し考えた素振りを見せ、茜が口を開いた。やはり、啓示の内容は皆同じだ。
「そうだ。そして――その主が彼だ」
「修ちゃんが……主やて? それホンマ……なん?」
「まぁ……そうみたい……」
自覚もないし、胸を張ってそうだと言えるわけではない。とりあえず、これで皆が仲良くしてくれれば。
しかし、そう上手くはいかないのが世の常。突然、茜が僕に抱きついた。
「これは運命やっ! 修ちゃんが主ならウチが守るっ! 修ちゃんのためなら何でもするで!」
「ちょ、ちょっと――」
ふと顔を上げると、三人の刺す様な視線が突き刺さる。どうしてそんな目で僕を見るんだ!?
「控えなさい。そんなはしたない真似をして、修司さんが嫌がっているではありませんか」
「妬いてるんか? みっともないで」
「なんですって!」
茜の言葉に龍ヶ崎さんが立ち上がる。それを先輩が手で制した。
「まぁ待て。私達は同じ使命を持つ者、例え気に入らぬ相手でもいがみ合っているわけにはいかんのだ。主を守るためにな」
茜の失礼な態度に内心は怒っているはず。だが、そんな態度を微塵も見せない大人の対応。
流石、当主の貫禄だ。
「いや、遠慮しとくわ」
茜の言葉に、誰もが耳を疑った。
「あんたらと一緒におっても足手まといになるだけ。修ちゃんを守るのはウチ一人で十分や」
「お前の実力は知っている。だが、これは一人でどうにかなる問題ではない。お前は知らないだろうが、鬼と呼ばれる邪悪な存在が彼の命を狙っているのだ」
「ああ、あれ鬼言うんか。なんや、あんなモン大した事ないわ」
茜の態度は、鬼を知っている様子だった。
「茜、鬼を見たのか?」
「修ちゃんに送ってもらった時やな。あんなんワンパンやで」
茜が力強く拳を握る。
あの夜――見間違いじゃなかったのか。
でもどうやって倒したんだ? 気がついたら消えていたような。
「あっ、あの――」
突然、それまで黙っていた中谷さんが口を開いた。
「あっ、茜さんが強いのは分かりましたけど……みっ、皆仲良くしたほうが楽しいと思いますっ!」
内気な彼女が、勇気を振り絞って出した言葉。それには茜も少し困った顔を見せた。
流石に、敵意の欠片も無い、小さな中谷さんには言い返せないのだろう。
「……ともかく、ウチはつるむのが嫌いなんや。群れなきゃ何も出来ん程、ウチは弱くあらへん」
「私達が弱いとおっしゃっているんですか!? もう我慢の限界です! 立ちなさい!」
茜の頑な態度に、龍ヶ崎さんが怒りをあらわにした。
結局こうなるのか――でも、良くもった方かもしれない。
「まぁ待て龍ヶ崎。猿小路、お前は昨日『武器に頼らなきゃ戦えない武道じゃ相手にもならない』と言っていたな?」
「言うたけど、それがどないしたん? その言葉通り、アンタはウチに負けたやろ」
「ああ、確かに負けた。だが、お前が獣の力を使わなかったら――どうなっていただろうな」
今日初めて、先輩が笑みを浮かべた。
確かに、茜が力を使うまでは先輩が優勢だった。あのままいけば先輩が勝っていたと思う。
「そ、そんならもう一度やったってもええんやで! 今度はそっちも使たらええわ!」
「そうか……もう一度手合わせしてくれるか――」
そう言って先輩は立ち上がる。
口元を緩めたその微笑には、言い知れぬ迫力を感じた。




