敗北の鉢合わせ 3
「すまない……負けてしまった……」
「いえ。謝らないで下さい。むしろ謝りたいのは僕の方です。お腹――大丈夫ですか?」
「ああ。もう大丈夫だ。君が謝る事は無い。私が勝手にやったこと――しかし情けない話だな。剣を持ってして、素手の者に負けると言うのは」
そう言って、自虐的な微笑を浮かべる。
「でっ、でも、あの時茜は――」
「……ああ。負けた言い訳をするつもりは無いが、あの時見せたのは獣の力――彼女も十二支枝、猿の韻だろう」
茜が十二支枝だった。それは僕達にとっては朗報なはず――だけど、喜べる雰囲気ではない。
「まだまだ……精進が必要だな……」
何処か寂しげな先輩に、胸が痛くなった。
「そっ、そういえばっ、そろそろ剣道の試合じゃなかったですかっ?」
沈んだ空気を振り払うように、中谷さんが口を開いた。
「ああ、今回は辞退したよ」
「ええっ!? 何でですかっ!?」
「試合は明後日だったんだか、今回は全国大会の予選なんだ。私が優勝して全国大会に進んでしまえば、数日町を離れねばならなくなる。そんな時に何かあったら大変だろう」
全国大会の予選? そんな大事な大会を辞退したのは――僕の所為……だ。
もし僕が石版を割らず、先輩が十二支枝としての役目を思いだしていなかったら――。
「そんな顔をしないでくれ。別に全国大会に出る事を目標に剣を握っているわけではない。私にとって、剣道の試合は大した意味を持たないのだよ」
僕の心を見通したかのように優しく微笑み、何かを思い出した表情を浮かべる。
「そういえば、龍ヶ崎は出るはずだ。私が出なければあいつが優勝だろう。少し冷やかしに行ってやろうか」
「そうですね。明後日、行きましょう」
多分、それは先輩なりの照れ隠しなのかもしれない。応援に行こうとは素直に言えないんだ。
「よし! 少し遅くなってしまったが昼食にしよう! 食べたら勉強の再開だ!」
……すっかり忘れていた。長い一日は、まだ終わらない。
――龍ヶ崎道場――
「では、本日の稽古はこれでおしまいです。いよいよ明後日は大事な全国大会の予選。明日は身体を休め、ゆっくり己と向き合って、今までの成果を存分に発揮できるように頑張りましょう!」
稽古の締め、生徒に喝を入れ、皆を見送る。
一人、また一人と退出し、賑やかだった道場が静寂に包まれる。熱気が蒸発する儚さを感じながら剣を振る。私が好きな瞬間。この瞬間は誰にも邪魔されたくない。
「お嬢様。お電話でございます」
静寂を、雑音が穢した。
「どなた?」
「虎口様でございます――」
……余り喜ばしくない名前。タイミングの悪さは流石としか言えませんわ。
「何の用ですの?」
「お。龍ヶ崎か? いや、明後日の試合に向けて、調子はどうかと思ってな」
「……私をコンディションも整えられない能無しだとお思いですか? そういえば貴女、試合を辞退なさったそうですね。私に負け越すのがそんなに嫌だったのかしら?」
虎口蓮。私と同学年にして、同じ女当主。昔から知っている間柄――腐れ縁、とでも言うのでしょうか。
「その調子じゃ大丈夫そうだな――」
電話越し、彼女の様子が少しおかしい。いつもなら何か言い返してくるところなのに。
「貴女、何かありましたの?」
「……実はな――」
「負けたですって……? それも素手の相手に?」
素手ならともかく、剣を握った状態で素手の相手に負けた。にわかには信じがたい話。
彼女の実力は良く理解しているつもり。同年代、いえ、そこそこの師範代ですら、彼女には敵わないでしょう。私を除いて、ですが。
「で、相手は誰ですの?」
虎口蓮を素手で倒す者。何故彼女がそのような相手と対峙した経緯は分からない――でも、その存在は私の興味をかきたてる。
「一つ下の、関西から転校してきた女子だ」
ボクシングのチャンピオンや、空手の有段者。そんな相手を想像していた私は、彼女の言葉にひどく驚く。
……年下の女子高生ですって?
「まぁ、普通のやつじゃないんだが……」
「どういう事ですの?」
「私達と同じ、十二支枝だったんだよ。その韻は猿。神崎君が言うには、昔時雨町に住んでいた事があるらしい」
猿の韻。彼に仕える、四人目の十二支枝――。
「そっ、それでどうなったんですの?」
「今日はそのまま帰って行ったよ。それでだな、明日もう一度会う約束を彼に取り付けてもらったんだ。大事な試合の前だとは思うが――」
「行きますわ! 何時ですの!?」
彼女を倒した第四の十二支枝。主に仕える――新しい女!
「あ、ああ。十時だが……」
「十時ですね、分かりました。それで、彼は今何処に居ますの?」
「もう家に帰ったよ。……一つ気になっていたんだが、この前彼の家を教えた時、次の日の朝、道場に一緒に来たが――」
「ええ。修司さんの家に泊めてもらいましたからね」
電話の向こう、何かが落ちる物音が聞こえる。こんな事を言うなんて――私も意地が悪いかしら。
「へぇ……そうだったのか」
「ええ。彼の『部屋』で」
「そっ、そうか。まぁ、彼は優しいからな」
動揺を隠せない様子、といったところでしょうか。
彼女との電話が、こんなに楽しいものだったとは思いませんでしたわ。
「――私は、昨日『彼のベッド』で寝たけどな」
「かっ、彼のベッドで!?」
そう言えば、修司さんのお母様が言ってましたわ。
『女の子の家に泊まったり、女の子を泊めたりと、ヤリたい放題』って――。
「そう言う事だ。じゃあまた明日な」
「ちょ、ちょっと待ちなさ――」
受話器から聞こえる機械音が道場に響く。私は、彼の言葉を思い出していた。
――大好物なんです。
「お。亜紺まだいたのか? 電話中かい?」
「……お父様、少し相手をお願いできますか?」
「あ……ああ……。お手柔らかに頼むよ……」
彼のベッド! 大好物! ヤリたい放題!
頭の中をめぐる雑念を振り払う様に剣を振った――。
「も、もういいだろう……。これ以上は身体が持たないよ……」
「ええ。すっきりしましたわ。ありがとうございますお父様」
やはり身体を動かすに限りますわね。
「久々に手合わせしたが、やっぱり亜紺は強いな。手加減してもらってもこれだもんな。一度も面を打たなかったけど」
「一度も面を打ってない……? 私がですか……?」
「ん? ああ。でも助かったよ。防具の上からでも効くからね。さぁ、夕食にしようか」
お父様の何気ない一言。自分では全く気付かなかった。
私が、面を打たなかった……。
――神崎家――
「あぁ……疲れた……」
夕食を済ませ、お風呂にも入った。もう後は寝るだけ。やっと今日が終わる。
日が暮れるまでみっちり勉強したおかげで、しばらくは記憶から消去していいはず。もう当分ペンは握りたくない。
それにしても、まさか茜が十二支枝だったとは。
まぁ悪い子じゃないから話せば分かってくれるとは思うけど。
「明日は……何もなきゃいいなぁ……」
祈るような思いで、部屋の電気を消した。




