割れた石版と後ろ向きの告白 2
鳥の鳴き声と、窓から差す朝の光。昨日早く寝たからか、無駄に早起きをしてしまったらしい。
一階に降りると母の姿は無かった。多分境内の掃除をしているんだろう。
冷蔵庫を開けて、朝食代わりに漬物をつまんだ。顔を洗い、適当な服に着替えて外に出る。
「あら、修ちゃんおはよ」
案の定、母は境内の掃除をしていた――巫女服で。
自分の母親の巫女姿を見るのは、何となく視覚的に辛いものがある。似合っていないわけではない。むしろその逆、似合いすぎているのだ。
「ああ、おはよう」
「何処か行くの?」
「ちょっと散歩にね。帰りにスーパー寄ってくるよ」
「あら、ありがとね。気をつけて行くのよ。迷子にならないようにね」
……迷子になんてなるかよ。
母の事は嫌いではないが、一つだけ不満があるとすれば、いつまで経っても子供扱いする事だ。
修ちゃんって呼び方も、いい加減気恥ずかしいから正直やめて欲しい。
夏休み初日と言う気楽さと、朝の涼しげな風が、石段を降りる僕の足取りを軽くする。いつもは寂しい旧道も、今日は何だが違って見える。まるで世界を貸切にしているような――。
と思ったら前方に人影が見えた。こんな場所を人が歩いてるのは珍しい。小さい女の子、小学生?
少女はこちらに向かってくる。
この先はずっと道路が続くだけで何も無い。家の神社に来たのか? いやいや有り得ない。浴宮神社の人気の無さは賽銭箱の中身が物語っている。
もしかして迷子か? それにしてはスタスタ歩いてるし、世知辛い世の中、下手に声なんてかけられない。
そしてそのまますれ違った。まぁ、これが無難な選択だ。そう思った瞬間――。
「あっ、あのっ!」
背後から聞こえる声。振り向くと少女がうつ向き気味にこっちを見ている。
「かっ、神崎修司さんですねっ!?」
「あ、うん。そうだけど……」
僕の名前を知っている? こんな小さい子に知り合いなんていないはずだ。小さくなくても、女子に知り合いはいないが。
そして、少女がうつ向き気味に放った言葉に、僕は耳を疑った。
「わっ! 私とっ! 付き合ってもらえますか!」
波音にも似た、風が木の葉を揺らす音の中。突然の告白。
何だこれ……? 罰ゲームか何かなのか、それともドッキリなのか。思わず周囲を見渡すが誰もいない。完全にパニックだ。
「ど、どうしたのかな? 僕多分君の事知らないんだけど……」
距離が微妙に離れているせいか、少女が俯いてるせいか。はっきりと顔が認識出来ない。確認しようと一歩踏み出すと、僕に合わせるように彼女が一歩下がった。
……今の行動は明らかにおかしい。
念のためもう一歩――下がった! また下がった! 何で下がるんだ!? 警戒しているのか!? 声かけたほうなのに!?
「ちょ、どうして下がるの?」
僕の問いに答えず、少女は俯いたまま。
何なんだよ。こうなれば意地でも顔を確認してやる。
またも一歩踏み出す。下がる。踏み出す、下がる。
一向に縮まらない距離に、歩く速度を上げていったその時――。
「きゃっ!?」
いつまでも後ろ向きで逃げられるわけもなく、スピードに負けた少女が勢いよく転倒する。めくれ上がったワンピースから、ねずみのプリントが入ったパンツをさらけ出しながら。
「だっ、大丈夫!? 怪我は――」
近づこうとした僕に、尻餅をつきながらも怯えた顔で後ずさりする少女に足が止まる。
これは完全に異常な光景だ。第三者が見たら完全に通報フラグ。何なんだよ、僕が何したって言うんだよ。
僕はその場から逃げるように走り出した。
意味分かんないよ! いきなり声かけられて告白されて! それで近づいたら逃げられて怖がられるって何なんだよ! あと、何でパンツにねずみなんだよ! しかもふっさふさのリアルっぽい絵だったし! せめてもっと可愛らしいねずみにしてくれよ! 一瞬焦ったじゃないかよ!
とにかく夢中で走った。自分が追い詰めなきゃ彼女が転ぶ事は無かったのだろう。そんな小さな罪悪感と、何とも言えない理不尽さに包まれながら。
しばらく走り、後ろを振り返る。流石にちょっと心配になったから――って居る!? 着いてきてる!?
謎のねずみ少女は、さっきと同じく一定の距離を保ったまま僕の後を追ってきていた。
いやいやいや! 何なんだよ!? 何で追いかけて来てるんだよ!
吹き出す汗も瞬時に冷めてしまうほど、例えようのない恐怖に全身が包まれる。
多分この時、僕は人生で一番全力で走った気がする。だが、どんなに走っても彼女はそこに居た。
「はぁっ、はぁっ、も、もう駄目だ……。殺してくれ……」
どうしてこうなった。清清しい気持ちで家を飛び出したはずなのに、どうして僕は汗だくで人目も気にせず道路にダイブしているんだ。
「つっ、付き合ってくれますかっ!」
追い討ちをかけるように、やはり一定の距離を保っている彼女が声をかけた。
「つ、付き合いますから……。もう許してください……」
僕の心は完全に折れていた。
「良かったぁ~! じゃ、じゃあ私に着いて来てくださいっ!」
そう言って安堵の表情を見せる少女。初めて見る、その純粋な笑顔に少しドキッとする。
――参ったな。僕に少女耐性は備わっていないのか。
そんな事を考えながらも、少女に言われるがまま後を歩く。
……一定の距離を保ちながら。




