敗北の鉢合わせ
目が覚めると、ベッドの上に二人の姿は無かった。時刻はまだ朝の七時。
「皆早起きだ――いたたた。何だろう、寝違えたかな」
伸びをすると、首に激しい痛みが走った。いつもの枕じゃないからだろうか。
その前に、いつ寝たんだっけ?
一階に降りると、やはり誰もいない。はやる気持ちを抑えつつ洗面所に向かう。
「これ……先輩と中谷さんの歯ブラシ――だよな?」
僕と母の物以外に見慣れない歯ブラシが二つ。虎とねずみがプリントされた歯ブラシがおいてある。
中谷さんは分かるとして、普段はあまりファンシーな雰囲気とは程遠い先輩が、こんな可愛い歯ブラシを使っている――ちょっと萌えた。
顔も洗い、歯も磨き準備は万端。扉を開け、楽園へといざ行かん――。
――ああ、眼福だ。この光景を作り出す母親に感謝の意を伝えたい。
同じ和装ながら、袴姿とは一味違う。
先輩の巫女姿! 朝日がまるで後光の様だ!
そして大きな箒を一生懸命に動かすミニ巫女中谷さん!
小動物を彷彿とさせる細やかな動き! ちっさいは正義だ! 可愛すぎる!
物陰からこっそり覗く僕を、誰が責められようか。これくらいの恩恵を受けてもバチはあたるまい。
栄養をたっぷりと補給して、家に戻った。
「本当にありがとうございました。また日を改めてお礼に参ります」
「いいのよ。いつでもいらっしゃい。百合子ちゃんもまたね」
「はいっ。ありがとうございました」
家を出て、虎口先輩の家に場所を移す。
肩に感じるバッグの重さが、足取りをも重くさせる。今日は長い一日になりそうだ。
途中で一度中谷さんと別れ、先輩と二人で歩いている最中、ふと昨日の事を思い出す。
「そういえば先輩、父の葬儀に来てたんですね。すいません、僕全然気付かなくて」
「ああ。いや、いいんだよ。忙しかっただろうし」
「母さんも、面識があったならもっと早く言ってくれればよかったんですが……」
母は余計なところにだけ気が回る。大事な事はからっきしだ。
先輩が来てた事に少し驚いたが、まぁ地元だから、何かしらの繋がりがあったんだろう。
突然、先輩が足を止めた。
「あ、あのだな――」
「修ちゃ~ん!」
先輩の言葉を、僕の名を呼ぶ声がかき消した。
目の前からかけてくる女の子は、昨晩家まで送って行った茜――何だかヤバイ雰囲気がする……。
「昨日はホンマにありがとな。修ちゃんのお陰で助かったわ~」
「あ、うん。どういたしまして――」
「それでな、今日はそのお礼に何処か連れて行ってもらお思てな、この前言うてたやん? 町案内してくれるって」
確かに言った事は認める。だが、どうしてそれがお礼になるのか問い詰めたい、小一時間問い詰めたい。
「あ、でも今日は――」
「すまないが、彼は先約があるんだ。またにしてくれないか?」
先輩が割って入る。その表情はいたって普通だが、切れ長の瞳は、真顔でも少し不機嫌そうな印象を受ける。
「この人誰なん? 修ちゃんの彼女?」
「いっ、いや、僕の先輩だよ。三年の虎口蓮さん」
そう言うと、先輩が僕を横目で見た。……何かおかしい事言ったか?
「へぇ~」
見定めるように先輩を見回す。多分悪気はないんだろうが、物凄く雰囲気は良くない気がする。
「ウチは茜や。仲良うしたってや」
茜が手を差し出すが、先輩はピクリとも動かず。代わりに不快感を露に口開いた。
「私は、歳が一つや二つ違うだけで偉ぶる態度を取るつもりはないが――初対面の相手に礼節を持たぬ者と仲良くする気はない」
……完全に怒ってる。消えたい、この場所から。
「ほなええわ。行こか、修ちゃん」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って……」
茜が僕の手を掴み歩き出す。そして、もう一方の手を先輩が掴んだ。
「聞いていなかったのか? 彼は先約があると言っているだろう」
両手に花――なんて幸せなシチュエーションとは程遠い。
これ知ってる、引っ張られて裂けちゃうヤツだ。短かったなぁ、僕の人生――って。
「ちょ、茜ごめん。今日は本当に先輩と約束してあるから、また今度付き合うよ」
約束は約束。決して虎口先輩が怖いからではない。優柔不断な僕でも、流石に空気を読む。
「ふ~ん。ほなしゃーないな」
まぁ茜も悪い奴じゃない。とりあえずここは一旦治めて、後でゆっくり二人の仲を修復させれば――。
「二人でいやらしい事でもするん?」
「なっ!? 何を言っているんだ!? そんなわけないだろう!」
小悪魔の様な八重歯を覗かせた、茜の一言に先輩が声を上げる。
「そっ、そうだよ! ただ課題をするだけ! しかも二人だけじゃないし!」
「なんや、つまらんなぁ――ほな、ウチも混ぜてや」
「何故見ず知らずのお前を仲間に入れなきゃいけないんだ? さぁ行こう神崎君」
呆れた様子で歩き出す先輩の背中に、茜が口撃を仕掛ける。
「なんや、田舎の人はやっぱりヨソモンには冷たいんやなぁ。同じ高校の上級生がこれじゃ、他の連中もそうなんやろうな」
先輩の足が止まる。僕の心臓も止まりそうだ。
「どうしたんですかっ。まだ帰って来てないって言うから、心配で探しに――」
課題が入ったであろうバッグを持った中谷さんが現れた。
どうやら、彼女も不穏な空気を察知したらしい。
「……何かあったんですか?」
「いや……どうだろう……」
――今日は本当に長い一日になりそうだ。




