笑えない冗談 2
「あっ。ホンマに来てくれたんや。修ちゃん優しいなぁ」
手すりに腰掛け、足をぶらぶらさせながら茜が待っていた。
鬼に遭遇するかもしれない――そんな緊張感も吹き飛ばす、人懐っこい笑みを浮かべて。
「口じゃ上手く伝えられないからね。僕も引っ越してまだ間もないんだ」
「そうなんや? 神社の息子言うてたし、てっきり地元の人かと思たわ」
「生まれはこの町なんだけどね。小さい時に引っ越したからあんまり覚えてないんだ」
僕の言葉に、彼女は少し嬉しそうに微笑む。
「ほなウチと一緒やん。ウチも子供の時は時雨町に住んどったんやで~。とうっ!」
軽やかな身のこなしで、茜が手すりに上がる。細い手すりの上を、ゆっくりと歩き始めた。
「ほとんど覚えてへんけど、この場所は覚えとるわ。ようここで遊んでたなぁ」
昔を懐かしむように笑った彼女を、月光が照らした。
月と女性――どうしてこうも絵になるのだろう。
「ボーっとしてどないしたん? もしかして――ウチに見蕩れとったんとちゃうか~?」
「ちっ、違うよ! あっ、危ないから見てたんだよ。向こう側に落ちたら怪我じゃすまないぞ」
自分でも分かる焦りっぷり。はいと言っているようなものだ。だが危ないのは本当だ。手すりの向こう側は急斜面になっている。
「大丈夫やで。ウチ、運動神経だけはええんや――でっ!」
細い手すりの上、彼女の身体が宙に浮いた。体操選手ばりの、綺麗な三回転半ひねり。
彼女は僕の目の前で着地すると、自慢げに笑った。
「すごいやろ?」
確かに凄い。確かに凄かったけど。鼻息が当たりそうな距離――顔が近い!
「すごいすごい。さぁ帰ろうか」
即座に方向転換。僕は動揺を隠すように歩き始めた。
「反応薄いなぁ~。ま、ええか。ほな――手を繋いで帰ろか!」
「せやな――ってつなぐか!」
楽しそうに茜が笑う。勢いでノリツッコミをかましてみたが――悪くない。
陽気な茜は、また違った癒しをくれる。
だが、やはり何事もなく済むほど甘くない。
「やっぱり……遭っちゃうのか……」
目の前に現れた黒い影――鬼だ!
「逃げ――」
彼女に伝えようとした瞬間、突然目の前が真っ暗になった。
声を出そうにも上手く出ない。周りの音も聞こえない。まるで外界から遮断されたような漆黒の闇。
絶望にも似た恐怖が全身を蝕む。これも鬼の仕業――?
パッと視界が開ける。慌てて周囲を見渡すと鬼の姿は何処にもなく、茜が僕を見つめていた。
「いっ、今何か居たよな!?」
「え? ウチら以外には誰もおらんで?」
僕の言葉に不思議そうな顔で言った。
確かに鬼の姿を見た、でも周囲には僕達以外に人の気配はない。それに茜の様子も普通。
「……いや、何でもない。急いで帰ろう」
僕の勘違い、か。いつ鬼に遭うか――そんな思いが幻覚を見せたのかも。
「ホンマにありがとう。助かったわ」
その後は特に何も無いまま、茜の家へを無事辿り着いた。
「もうあんまり夜は出歩くなよ。危ないから」
「大丈夫やって。変態の一人や二人、ウチの拳法で一撃や! あちょー!」
拳を突き出しておどけてみせる。無知は幸せだ。
「そうじゃなく――まぁいいや。じゃあ行くね」
「おうっ! ほなまたね!」
茜と別れ帰路に着く。角を曲がると、僕は一目散に走り出した。
――神様仏様、どうか僕を無事家まで帰らせて下さい。
心の中で必死に念じながら、周りも気にせずひたすら走った。
家までノンストップ――そう思っていた僕の足を止めたのは、背に虎のオーラを纏い、鬼を相手に、袴姿で竹刀を振る虎口先輩。
その姿はとても力強く、そして美しかった。
「なーにしてるんですかっ?」
「なっ、中谷さん!?」
背後からの声に振り返ると、中谷さんが立っていた。これはマズイ状況。やはり虎口先輩にも見つかり、こちらに駆けてくる。
「神崎君!? こんな所で何してるんだ! 夜は出歩かないようにと言ったではないか!」
「す、すいません……ちょっと気晴らしに……」
ご立腹である。まぁ、約束を破ったのは僕だから言い訳のしようがない。だが言い訳はしないが理由は言わない。言ったらますます怒られそうな気がしたから。
「仕方ない。用心の為、私達が家まで送っていこう」
「ほんとすいません……。でも、二人は何をしていたんですか?」
「パトロールみたいなものだな。鬼退治もかねて、何か手がかりが分かればいいと思ってね。奴らは何処から来て何処へ行くのか、何が目的なのか――私達は何も知らないからな」
二人がこうして頑張っているのに、僕は約束も守らずぷらぷらしている。
先輩の言葉に、少し後ろめたさを感じた。
「連日のパトロールで分かった事があってな。奴等は普通の人には見えないらしい。そして、私達のオーラもだ」
「そうなんですか!?」
普通の人間には見えない、それは朗報だ。あんなのが見えたら幽霊騒動どころの話ではない。それに十二支枝のオーラも目立ちすぎる。容易に受け入れられるモノではない。
まぁ目立つと言えば、袴姿で竹刀を持つ先輩と、見た目は小学生の中谷さんコンビも――それだけで十分目立つ。
「あとですねっ、鬼は人を襲わないんですよ」
「えっ? それ本当?」
鬼が人を襲わない? でも、確かに僕は襲われた。それは一度だけではない。
「人を襲わないと言っても、それは普通の人だけだがな。君が襲われた様に、私達十二支枝も。鬼を認識出来る者には攻撃的になるみたいだ」
僕や十二支枝だけ――それが何を意味するのかは、この時はまだ分からなかった。
旧道を歩き、僕の家、神社の入り口の石段に人影が見えた。
先輩が一瞬竹刀に手をかけたが直ぐに戻す。それは、紅白の衣装が目に入ったから。
「……母さん? 何してんの?」
薄暗い旧道の神社前に立つ巫女。パッと見は幽霊と誤解されてもおかしくはない状況だ。
だがそんなものはお構いなしに、母は暢気な顔で袖を振った。
「あら、修ちゃんお帰り。まぁ百合子ちゃんも――あらあら? 蓮ちゃんじゃない。お久しぶりね~」
母の言葉に、先輩が深々と頭を下げる。お久しぶり……?
「え? 母さん虎口先輩の事知ってるの?」
「当たり前じゃない。お父さんの葬儀にも来てもらったでしょ」
……マジっすか。全然気付かなかった。
「それに――」
「はっ、母上殿。夜もそろそろ更けて参りましたので――私達はこれで。近々改めてご挨拶に参ります。さぁ、百合子帰ろう」
母の言葉を遮るように先輩が口を開いた。
流石に疲れているのか、帰ろうとする素振りを見せた先輩に、母の余計な一言が飛び出した。
「あら、どうせなら泊まっていっても良いのよ? ねぇ百合子ちゃん?」
頭が痛い。どうしてこうも人を泊めたがるのか。いくらなんでも断るだろう。
「いえ、ご好意はありがたいですが――」
「本当ですかっ!?」
丁重に断る先輩の横から、まさかの中谷カットイン。
「もちろんっ。さぁいらっしゃい。お家に入りましょう~」
母が中谷さんを連れ去って石段を上っていく。残された僕達は思わず顔を見合わせた。
こういう時、何と言えば良いのだろう。
「よっ、良かったら先輩もどう……ですか……? ってないですよね。すいません……」
「私も……いいのか?」
先輩の驚いた顔、予想外の反応に僕も驚いた。
「はっ、はい。是非お願いします!」
「そっ、そこまで言うなら仕方ないな――」
そう言うと、彼女は軽い足取りで石段を駆け上がった。
「ほらっ。早くしないとおいてくぞっ!」
普段はクールな先輩が、まるで少女の様に笑う。
吹き抜ける夜風は、周りの木々だけではなく僕の心をも揺らした。




