甘味蒼龍 5
湯船に浸かりながら、ふと考える。
龍ヶ崎さんが仲間に加わってくれたのは嬉しいけど、未だに僕は何も分からないまま。
そもそも本当に僕が主なんだろうか。先輩にそう言われただけで、確たる証拠は何も無い。
先輩はどうして僕が主だと言ったのか。もしかしたら先輩の勘違いって事もあるんじゃないのか?
僕の家にあった石版、あれが原因なのは間違いない。
神崎家も何かしらの関係はあるとは思うけど、主ってのは無いんじゃないか?
うん、そうだそうだ。やっぱり何かの間違いなはずだ。先輩に電話して聞いてみよう。
そう思って湯船から出た瞬間。静かに浴室の扉が開いた。
「ふあっ!?」
慌てて浴槽に飛び込み後ろを向く。扉の前に立っていたのは、髪をアップにした、バスタオル一枚の龍ヶ崎さんだったから。
「すっ、すいません! もう少しで上がりますから!」
これは母の仕業に違いない。あれ? でも風呂に入るって言った時、龍ヶ崎さんもその場に居たはず。彼女が間違えて入るはずは――。
「そのまま、お立ちいただけますか?」
立つの!? 折角隠れたのに!? 一体僕に何をさせようというんだ!?
しかし、そんな事を聞く余裕も無いほど僕の動揺は最高潮。
言われるがまま――尻を隠しながら立ち上がった。
一体、これは何の罰ゲームだろう。何で僕は尻を向けて立っているんだ――。
その時、背中に感じた、少しひんやりとした彼女の指先。
「こんなに痣が……私の所為ですわね……」
僕の背中を優しく撫でるように彼女が呟いた。
どうりで背中が痛いと思っていた。だけど、どうして背中に痣があるんだろう。
「いっ、いや。龍ヶ崎さんの所為じゃありませんよ。僕が未熟だったから――まぁ成熟する予定もありませんけどね」
何となく重くなった空気を変えようと、軽い自虐を混ぜながら笑った。
しかし、そんなものは何の役にも立たなかった。
「私……何て事を……」
そう言って、額を僕の背中に当てる。声には出さなかったが、彼女は泣いていた。
小刻みに震える彼女を背中で感じつつ、僕にはただ立ち尽くす事しか出来なかった。
彼女がゆっくりと離れる。ほんの二、三分程だったが、とても長く感じた。
「頭、まだ洗っていない様ですね。その身体では大変そうですから手伝ってあげますわ」
「えっ!? いっ、いや、大丈夫ですよ! 自分で洗えます!」
「これは私のけじめですわ。さぁ早く。余り待つのは好きじゃありませんの」
少し不機嫌そうな声のトーンに、僕は成すがまま。
彼女に背を向けたまま、蟹の様に横歩きで移動する。
「ちゃんと目を瞑って、目に入らない様になさい」
そんな事――言われる前から瞑っている。
僕の目の前には大きな鏡。龍ヶ崎さんの姿が映っているはずだ。目なんてあけられるわけがない。
彼女の指先が頭皮に触れる。床屋で味わうのとはまた違う、ぎこちないながらも優しい指使い。
「私に頭を洗わせたのは、貴方が始めてですわ。どこか痒いところはないかしら」
「だ、大丈夫です。とっても――気持ち良いです……」
洗ってくれと頼んだ覚えはないし、僕だってお店以外で洗ってもらうのは初めてだ。
――夢なら覚めないで欲しい。僕は快感の波に溺れながら、そんな事を考えていた。
――ああ、凄い体験をしたなぁ。
リビングのソファーに深く腰掛け天を仰ぐ。
身体が燃える様に熱いのは、風呂にのぼせたわけではないだろう。
ふとキッチンの方に目をやると、母が怪しい笑みを浮かべながら僕に視線を向ける。
中谷さんの時もそうだけど、年頃の男女を必要以上に親密にさせようとするのは一体何故なんだ。キスシーンが流れてチャンネルを変える様な家庭は嫌だけど、ここまでオープンすぎると恐怖さえ感じる。
しばらくたって、龍ヶ崎さんがお風呂から戻って来た。濡れ髪の女性の美しさには目を見張るものがある。
気付かれないように横目で凝視する僕は卑怯者か? いや、違う。これは健全な男子なら許容範囲だろう。
母が龍ヶ崎さんの髪を乾かしながら、仲良く談笑している。
話の内容はドライヤーの音がかき消し、僕の耳には届かなかった。
そこはやはり女同士。男が居ては言えない話もあるだろう。
あえて席を外し、自分の部屋に戻る。そして、部屋のドアを開けてため息が出た。
中谷さんの時と同じ、何故か僕の部屋に布団がしいてある。
もういちいち驚くのにも疲れた僕は、隣の部屋へ布団を敷きなおした。
ベッドでごろごろしていると、階段を上がる音が聞こえて飛び起きる。部屋に響くノックの音より先に、足音の正体は龍ヶ崎さんだと察知したからだ。
龍ヶ崎さんがドアを開けると、不思議そうな顔で部屋を見渡す。
「私のお布団は何処にあるのかしら? お母様が用意してくださったみたいですけど」
「あ、隣の部屋に用意してあります。すいません、うちの母はちょっとおかしい所があるんですよ」
隣に案内しようと、ドアに向かったその時。
「いえ、私がお願いしたんですわ。同じ部屋にして下さるように」
驚きの余り、一瞬身体が固まった。
「もし寝てる間、貴方に何かあったら大変でしょう? 私には、貴方を守ると言う大事な役目がありますもの。直ぐに対応できるように、出来るだけ傍に居たほうが合理的じゃないかしら」
さらりと言う彼女に、何となく納得しそうになった。しかし、僕の理性が許さなかった。
「いっ、いや! 大丈夫だと思います! 今までも大丈夫でしたし!」
年頃の男と寝室を共にするとか――僕の身に何があるかより、自分の身を心配したりはしないのだろうか。まぁ、何かしようとしても瞬殺だろうけど。
「念には念を、と言う言葉があるように、用心に越した事はありませんわ。それとも、私と同室じゃお嫌なのですか?」
「いっ、嫌だなんて! そんな事ありませんよ!」
「では、問題ありませんね」
しとやかな笑みを浮かべる龍ヶ崎さんに、僕は何も言う事が出来なかった。
「修司さんが二度ほど襲われたと言っていました、鬼――でしたっけ? 具体的にどんな様子ですの?」
「そうですね……桃太郎とか、一般的に思い浮かべる鬼って感じじゃなくて、一言で言えば、人型の黒い影って感じですね」
「黒い影、ですか。そもそも鬼は何処から、そして何をする為に現れるのですか?」
「その事なんですが……正直僕には何も分からないんです。皆みたいに啓示を受けたわけでもなく、特殊な力があるわけでもなく、ただ虎口先輩に言われただけで。もしかしたら虎口先輩の勘違いなんじゃないのかなって――」
「そんな事ありませんわ!」
身を乗り出し、声のトーンを上げ、僕の言葉を遮る。
その距離は鼻先が触れ合いそうな程近く。我に返った龍ヶ崎さんが慌てて離れた。
「いっ、今は何も分からなくても、主に間違いありませんわ。私が認めたんですもの」
「そ、そう言ってもらえるとありがたい、です……」
どうしてだろう。馴染みのあるシャンプーの香り。彼女の髪から香るソレは、いつもより良い匂いな気がした。
「全てはあの女が知っている、と言う事ですわね。私も家中を調べさせましたが、十二支枝に関する事は何一つ見つかりませんでしたの」
あの女、と言うのは多分先輩の事だろう。やっぱり二人の仲は良いとは言えないようだ。
「とりあえず――明日家に行ってみましょう。今日はお疲れでしょう? もうお休みになった方がよろしいですわ」
「わかりました。じゃ、じゃあ電気消しますね。お、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
電気を消して、ベッドに潜り込む。
そう簡単に眠れるはずはない――そう思っていたが、僕はあっという間に眠りに落ちた。
月明かりが差し込む薄暗い部屋で、僕を見つめながら涙を流す龍ヶ崎さんにも。またその理由にも気付くはずもなく。




