甘味蒼龍 4
家に帰ると母が境内の掃除をしていた。毎日毎日そんなに掃除をする必要は無いと思うんだが。
「あら、修ちゃんお帰り。何だかすっきりした顔してるわね。良い事でもあったのかしら?」
「いや、どっちかと言えば悪い事、かな」
「そうなのねぇ。でもね修ちゃん、男の子はそうやって成長していくモノなのよ。一回振られたくらいで諦めちゃダメ。時には押し倒す勇気も必要よ」
……一体何の話をしているんだ。やっぱりスルーして家に入るべきだったのかもしれない。
「よし、じゃあ今日は美味しいもの作るわね。だから修ちゃん、お店番よろしくね~」
否応なしに箒を押し付けると、そのまま境内から出て行った。
いや、別に良いんだけどさ。せめて巫女服のまま出歩くのはやめて欲しい。
店番、と言う程人が来るわけでもなく、このまま放置していても問題はないと思う。
あ、でも中谷さんみたいに御札を買いに来る人もいるのか。まぁ例外と言ってもいいだろう。基本的に我が浴宮神社は暇なのだ。
スマホを取り出し、アプリで時間を潰す事にした。
「ああくそっ! 何でそうなるんだよ……」
「へったくそやなぁ~。そこは左タップ一択やで」
顔を上げると、目の前には女の子の姿。
「そのゲーム、うちもやってんねん。よかったらフレンドしたってや」
「あ、いいけど……」
「おっ、ほな――よっしゃ、これでオッケーや。ところで、見たところうちと変わらなそうやけど、いくつなん?」
「僕は十七だよ」
「おお、同い年やん。うちは茜、よろしくやで」
八重歯を覗かせ彼女が笑う。
耳が見える、少し短めのボーイッシュな髪は、陽に当たると少し赤茶けて見えた。
聞きなれぬ関西弁は、多分この町の人じゃないんだろう。
「茜さんはこの町の人じゃないよね? 観光だったら生憎この神社には何にもないよ」
「観光ちゃうねん。うち、時雨町に引っ越して来たんや。後、さん付けはいらんで。同い年やし、うちらはもう友達やろ、修ちゃん」
僕の事を『修ちゃん』と呼ぶのは、母と近所のおばちゃん以外におらず、何となく気恥ずかしい――ってかいつの間にか友達になっていたらしい。ゲームの話じゃないのか。
それから僕達はしばらく話をした。正確には、ほぼ彼女が一方的に喋っていたんだけど。
知らない人、それも女の子と話すのはそんなに得意な方ではない。だけど、関西特有の陽気な気質は、それを気にさせなかった。
「あっ、もうこんな時間や。そろそろ戻らな。ほな、また近いうちにゆっくり話そうや。色々町も案内したってや」
「うん。いつでもいいよ」
「ほな、またな~」
大きく手を振って彼女が去っていくと、入れ違いに母が戻ってきた。
「お待たせー。ありがとう修ちゃん。さっき降りてった子は修ちゃんのお友達?」
「いや、初めて会った人。関西の方から引っ越して来たみたい」
「あら。初めて会ってすぐにナンパしたの? 本当に修ちゃんはプレイボーイね」
「……家に戻ってる」
母の口撃を華麗に交わし、買い物袋を受け取って家に戻る。
キッチンに袋を置いて、すぐさま部屋のベッドに寝転んだ。
しばらくダラダラしていると玄関のチャイムが聞こえた。
ご近所さんがたまに野菜とかをおすそ分けしに来てたりするから、そう珍しい事でもない。
気にせずスマホをいじっていると、母が階段を上がってきた。ちなみに、家の二階で僕の部屋以外は使用していない。だから二階に上がると言う事はほぼ僕の部屋に来ると言う事だ。
少しきしむ階段は、外敵の侵入を事前に教えてくれる。いくらノックをしてくれと頼んでも、一向に聞き入れてくれない母親に、見られたら恥ずかしくて窓から飛び降りそうな行為を見られる心配もない。
どうせ今回も豪快にドアを開ける事だろう。
そんな予想とは裏腹に、珍しく響くノックの音。
やっと多感なお年頃を理解してくれたか――そう思いながら返事をする。そしてドアが開いた。
「りゅっ、龍ヶ崎さん!?」
驚いた猫の様に、僕はベッドから飛び起きた。
ドアの向こうに立っていたのは母などではない。少しだけ気まずそうな顔をした、龍ヶ崎さんだった。
「……入ってもよろしいかしら」
「ど、どうぞ……」
ドアを閉めると同時に、部屋に流れる沈黙。
一体何を話せば良いんだ。ってか何で龍ヶ崎さんが僕の家を知っているんだ。
「と、とりあえず座ってください」
言ってから気付く。座れといっても、僕の部屋には来客用の椅子やソファーなどは無い。
これでは床に座れと言っているようなものだ。慌ててデスクの椅子を出そうとした瞬間、龍ヶ崎さんの甘い香りが鼻をくすぐった。
心臓の鼓動がスピードを上げる。遠すぎず近すぎず。ベッドの上、絶妙な位置に腰を下ろした彼女。今更離れるのは不自然な感じがする。予想外の展開に、身体は完全に硬直していた。
「……お身体の方は大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですよ。この通りピンピンしています。多分龍ヶ崎さんが手加減してくれたおかげですよ」
「手加減……ですか……」
そして、再び沈黙が部屋を包む。
「そっ、そう言えばアレ美味しかったですね! 見た目も凄く綺麗で、食べるのが勿体無いくらいでしたよ」
「き、綺麗ですってっ? あ、貴方見ましたの!?」
「え? そりゃあ見ますよ。今まで食べた中で一番美味しかったです」
「い、今までって……。あっ、貴方は何度もその……食べて――いるのかしら……?」
「ええ。大好物なんですよ。また食べたいくらいです」
「まっ、また食べたいですって!?」
突然、顔を赤くして龍ヶ崎さんが立ち上がった。あれ? 僕何か怒らせるような事言ったのかな?
「そっ、それはもっとお互いの事を知ってからです! わっ、私そんなに安くはありませんわよ!」
ああ、やっぱりそうだったのか。そりゃあそうだよな。
あんな上品な和菓子が安いはずは無い。それをまた食べたいだなんて、いくらなんでも図々しい話だ。
「そうですね。すいませんでした」
「全く、私の主になる人が、そんなに粗相のない人だとは思ってもいませんでしたわ」
「あはは……すみませ――って……? 今、何て言いました?」
聞き間違えではないと思いつつ、念の為にもう一度聞き返すと、少し照れくさそうに彼女は言った。
「貴方を主と認めると言っているんです」
「あ、ありがとうございます……」
驚きのあまり、それだけしか言えなかった。
どうして彼女が僕を主と認めたのかは分からない。ただ、とても嬉しかった。
その時、突然部屋のドアをノックする音。開けてみると、いつもは絶対ノックなどしない母が立っていた。ってかどうやって上がってきたんだよ。忍び足かよ。
「夕飯の支度が出来たんだけど、良かったら龍ヶ崎さんもご一緒にどうかしら?」
「私も? でも、ご迷惑じゃありませんかしら?」
「そんな事ないわよ。それに、もう用意しちゃってるのよ。さぁ行きましょう」
そう言うと、龍ヶ崎さんの手を引いて一階に降りていった。
相手に選択肢を与えない、これは母の特技なのかもしれない。
一回に降りると、すき焼きの良い香りが部屋中に漂っていた。
そういえば美味しい物を作るって言ってたっけ。龍ヶ崎さんに恥ずかしい物を出さなかったのが幸いだ――って。
「どうしたのこの肉?」
そこに並べてあったのは、いつものパックに入った肉などではない。経木に包まれた、どこから見ても高そうな霜降り肉。
「何となく買っちゃったのよ。でも丁度良かったわ、お客様にお出しするのに恥ずかしい物じゃなくて」
このタイミングの良さ。ある意味母の方が謎の力を秘めているのかもしれない。
今まで食べたすき焼きの中でも上位に入るほどの旨さ。母と龍ヶ崎さんの会話が弾む中、僕はもくもくと肉を食べていた。女同士の話に入るのは、中々難易度が高い。
「でも、修ちゃんが龍ヶ崎さんと知り合いだったなんてね~。お母さんびっくりしちゃったわよ」
「え? 母さんは龍ヶ崎さんの事知ってるの?」
「知ってるも何も、ここら辺で龍ヶ崎の名前を知らない人はいないわよ~。県内でも指折りの資産家ですもの」
そうだったのか。まぁ言われてみれば、何となくそんなオーラが出てる気もする。
「女っ気どころか友達もろくに居なかった修ちゃんなのに、最近は凄いわねぇ」
……否定はしないが。何だが馬鹿にされている気がする。
「お母様、修司さんは良く女性の方とお会いしているのかしら?」
「そうねぇ。女の子の家に泊まったり、女の子を泊めたりと、もうやりたい放題なのよ~」
「やりたい……放題……?」
悪意しか感じない母の言葉に、龍ヶ崎さんが険しい表情で僕を見る。
「ちっ、違いますよ! 母さんも何て事言うんだよ! 僕が悪者みたいじゃないか!」
「あら、嘘は言ってないでしょ?」
くっ、確かに嘘は言っていない。だけど、このままじゃ変な誤解を与えたままだ。
「とっ、泊まったのは虎口先輩の家だし、泊めたのは中谷さんだよ」
「……別に、私はそんな事聞いておりませんわ」
もう手遅れだった。それからも龍ヶ崎さんは僕とは目も合わせず、母と談笑する。
自分の家なのに感じるアウェイ感――それは高級すきやきの味も濁らせた。
「こんなに楽しいお食事は久しぶりでしたわ。本当にありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ楽しかったわ。やっぱり可愛い女の子がいるとご飯も美味しいわね」
それじゃあいつものご飯がまずいみたいな言い方じゃないか。全く、我が母ながら失礼な人だ。
「それでは――私はこれで失礼しますわね」
「あら、もうお帰りになるの? 修ちゃん、駅まで送ってあげなさい」
時計を見る、時刻は夜の七時。送るのはいいが、僕一人で安全に帰ってこれる保障はない。
「その必要はありませんわ。表に車を待たせておりますの」
車を待たせてあるって、迎えを呼んだ素振りは全然なかったが。
もしかして来てからずっと待たせてたのか!? お嬢様、恐るべし。
「あら、そうなのね。またいつでもいらっしゃい。今度はお泊りでもいいのよ」
「えっ? 泊まってもよろしいのかしら?」
「ええ。いつでも歓迎するわよ」
無責任な母の言葉を聞いた龍ヶ崎さんが、着物の袖口からスマホを取り出し電話をかけ始めた。
「私、今日は帰りませんから、そのまま戻ってもよろしいわよ」
そう言って電話を切り、満面の笑みで会釈をした。
「それではお母様、よろしくお願いしますわ」
……どうしてそうなるんだよ。




