甘味蒼龍 3
「ねぇ貴女。これは試合じゃないんですのよ。余計な事を言わないでもらえるかしら?」
「あ、ああ。それはすまなかった……」
どうして私がこいつに詫びねばならんのだろう、ふとそう思った。
だが何故か、龍ヶ崎からは、いつもとは違う威圧感を感じていた。
「蓮ちゃん……神崎君大丈夫かな……?」
百合子が心配そうな顔で見つめる。
「まぁ、流石に死ぬような事はないと思うがな。この勝負、勝ち負けなどは求めていないんだ。剣を交えてこそ、分かる事もあるんだよ」
龍ヶ崎とは昔からの付き合いだ。確かに仲が良いとは言えないが、私は龍ヶ崎霞と言う女性に敬意を払っているつもりだ。数少ない、信用するに足る人物の一人だと言っても過言ではない。
だからこそ、私は動けなかった。
今、目の前で起きている異常な光景に。驚きの余り、身体が固まった。
あの龍ヶ崎霞が、倒れた相手に、何度も何度も竹刀を振り下ろしている。
まるで何かに憑かれたかの様に、大声で何かを叫びながら。
その衝撃で竹刀が折れ曲がろうとも、ただひたすらにソレを叩きつけていた。
「蓮ちゃん! 蓮ちゃん! 早く止めてください!」
百合子の声で我に返る。一体私は何をしているんだ?
命を懸けて守ると決めたはずなのに。主の、いや、彼の身を――。
「止めるんだ龍ヶ崎! 百合子! すぐに防具をはずせ!」
龍ヶ崎を引き離し、急いで面を外す。
多分脳震盪によるものだろう、彼は完全に意識を失っていた。その痛々しい姿に怒りがこみ上げる。
「貴様! 何のつもりだ! 彼は素人――いや! 例え相手が誰であろうと、決して許される行為ではないぞ!」
その時、薄っすらと涙を浮かべた龍ヶ崎に少し驚いた。
それは今まで見たことの無い、怯えたような表情。
「わ、私……違うんです……。そんなつもりじゃ……」
一体何があったと言うんだ。いや、それよりもまずは病院に連れて行くべき。
いくら防具の上からでも、あれだけ龍ヶ崎の太刀を受けては――。
「いたたたた。いやぁ、流石に辰の韻。全身が龍の牙に噛まれたみたいだよ。噛まれた事は無いけどさ」
「かっ、神崎君!? 大丈夫ですかっ!?」
彼が苦笑いで身体を起こす。そんな、まさか起きれるはずはない。
「僕は素人だから、どうもこういうのは苦手でね」
防具を外しながら、彼が放った一言に私は驚いた。
「ふぅ、これで身軽になった。さぁ龍ヶ崎さん――続きをしよう」
その場に居た誰もが耳を疑った。
だが聞き間違いなどではない。彼ははっきりと『再戦』を口にしたのだ。
まるで今までのがウォームアップだと言うような口ぶりで。
「ああ、竹刀が折れてしまったんだね。じゃあ僕のを使うと良いよ」
「なっ、何を言っているんだ! 君は頭を打って混乱しているんだ。もういいから少し安静に――」
――大丈夫。僕に任せて。
私の言葉を遮るように、優しい笑みを浮かべた彼の言葉。
ソレは私の身体を宙に浮かべ、あの場所へと誘う様に懐かしい。
「な、何を言っているんですの……? ねぇ貴女、どう見てもこのお方は正気じゃないでしょう? 早く病院に行きましょう!」
龍ヶ崎の言っている事は至極真っ当。止めなくてはいけないという気持ちは確かにある。
それでも、私には眼を逸らす事しか出来なかった。
「蓮ちゃん……」
心配そうに見つめる百合子の手を握る。百合子を安心させたいからではなく、私が安心したかったのかもしれない。
「さぁ、始めよう。いつでもいいよ」
そう言って彼が構える。手には何も持たず、片手を前に突き出す様に。ボクシングでも空手でもない、独特な構え。
「ば、馬鹿な事を言わないで下さい! 竹刀どころが防具もつけない相手と戦えるわけがありませんわ!」
「そうなんだ。龍ヶ崎霞さんの剣道と言うのは所詮お遊び――それまでのものだって事でいいのかな?」
「何ですって……?」
普段の彼は、極力波風を立てない『事なかれ主義』と言った印象。その彼が龍ヶ崎を挑発している。
驚きと不安、と同時にどこか心躍る様な感覚を覚えた。
「素人一人倒せないチャンバラごっこなら、止めた方が良いって事だよ」
龍ヶ崎の剣に懸ける想い、それは私と同等に強い。その想いを貶された龍ヶ崎の顔色が変わった。
「私を――甘く見ないで!」
龍ヶ崎が竹刀を振った。その太刀筋には若干の迷いが見えるものの、正確に彼の脇腹を捉えている。
思わず眼をそむけたくなる光景。だが、その太刀は彼に届かなかった。
「どうしたんだい? 君の想いはそんなものなのかな?」
「な……何ですって……?」
「君が抱いている不安、畏れ――その全てを見せてくれよ」
彼の言葉に、龍ヶ崎の全身から青い気が溢れ出す。そして、ソレは蒼い龍に姿を変えた。
「青い……龍……? ねぇ、錬ちゃん! このままじゃ――」
「くそっ! 止めるんだ二人とも!」
龍ヶ崎が発した全身が痺れる程の威圧感に、私は力を解放する。
獣の力をまともに受けては、間違いなく彼の命は無い。そう確信し、すぐに飛び出した。
だが、私の声は届かなかった。
龍ヶ崎が本来持つ剣の腕に、獣の力が加わった一太刀。
人の眼では決して捉える事は出来ぬ程の速さで、彼の脳天に振り下ろされる。
全身から血の気が抜けていく。自分の甘さに、情けなさに、叫び声が喉を通る。
それを止めたのは、スローモーションの様に流れる視界の中、涙を振り切る龍ヶ崎の顔と、それを受け止める、優しい彼の笑顔。
そして、蒼い龍は宙に舞った。
何が起こったのか。それを一瞬で理解するのは困難に等しい。在り得るはずがない。
全力で振り下ろした龍ヶ崎の竹刀を、彼が優しく掴んだ。その瞬間、竜巻に吹き飛ばれる様に龍ヶ崎の身体が宙に飛ぶ。
そして彼は両手を広げ、優しく龍ヶ崎を受け止め――てはいなかった。
流れを察するに、誰もが受け止めると思うだろう。彼の行動はそれを示していたし、私もそれを信じて疑わなかった。
……失敗した……のか?
落下した龍ヶ崎を肩に乗せ、後ろ向きの肩車――彼の上半身は、龍ヶ崎の袴に隠れている。
龍に食われた彼は、その場でふらふらした後、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「りゅ、龍ヶ崎……。大丈夫か……?」
流石武道に身を置くもの。背中から落ちた彼女は、しっかりと両手で受身を取っていた。
だが、私の言葉には何も答えず、ただ天井を眺めているだけ。
「お、おい龍ヶ――」
「ひやっ!? なっ!? いやあぁっ!?」
龍ヶ崎が突然暴れだす。その手は袴を押さえていた。袴の――中!?
袴に飲み込まれた足を引きずり出す。眼を閉じたまま、金魚の様に口をパクパクさせた彼の姿。
最後に聞いたのは、彼がうわ言の様に呟いた『和菓子』という一言だった。
眼を開けると、そこは知らない天井。身体を起こしてみると、額に乗せられてたであろうタオルがはらりと落ちた。
「かっ、神崎君っ!」
「起きたのか!?」
心配そうな顔で僕を見つめる中谷さんと、駆け寄ってくる先輩の姿。
ああ、僕は気を失っていたのか。
「大丈夫か? 何処か痛いところは無いか? 気持ち悪かったりしないか?」
よっぽどこっぴどくやられたんだろうか。いつもとは少しだけ先輩の様子が違う。
「大丈夫です。いやーすみません。結局何にも無いまま負けてしまいました」
「何にもって……覚えていないのか……?」
そう言うと、二人が顔を見合わせる。
その反応は何だ? 覚えてない? もしかしてとんでもない負け方をしたとか?
まぁ気絶したくらいだし、多分そうなんだろう。
「そういえば、龍ヶ崎さんの姿が見えませんけど……」
「あ、ああ……。ちょっと具合が悪くなったみたいでな。起きたら謝っておいてくれと頼まれたんだが……」
何となく、先輩の言葉は嘘だと分かった。
多分、龍ヶ崎さんは情けない僕に怒っているんだろう。彼女が求めた『理由』にはなれなかった僕を。
「そうですか。じゃあ日を改めてまた挨拶に来ますよ。帰りましょうか」
「そ、そうだな。戻るとしようか」
一生かかっても、僕は龍ヶ崎さんに勝つ事は出来ないだろう。
それでも、僕は諦めるわけにはいかない。彼女が求める理由になれるまで。
それが僕に出来る『戦い』だと思うから。
道場を出ると、心地良い風が頬を駆け抜けた。
口の中に残る、あの華やかな和菓子の甘い香り。
不思議と敗走の悔しさは無く、清々しい気持ちで帰路についた。




