甘味蒼龍 2
電車に乗り約十分。着いたのは隣町『白露町』だ。
時雨町と同じく、過疎化に悩む小さな町。初めて来たと言っても良いだろう。無駄に広いロータリーが哀愁を誘う。都会じゃ良く見かけるタクシーの行列もここにはない。
そのまましばらく歩き、ぽつぽつと家が建ち並ぶ中、先輩が足を止めた。
「ここは――道場ですか?」
着いた場所は、決して小さくない虎口道場より一回り大きな道場だった。
「うむ。さぁ参るぞ」
そして、先輩は大きく息を吸い込んだ。
「頼もうっ!」
片手で勢い良く扉を開ける。まさに道場破りたるその仕草に、僕だけではなく、中谷さんすらも驚いていた。
開かれた扉の先、道場の真ん中に人影が見える。
先輩の後ろに隠れるように進むと、意外や意外、そこに座っていたのは女性だった。
「そんな馬鹿みたいに大きな声を出さなくても分かりますわ。貴女は道場破りにでも来たんですか?」
歳は僕達とさほど変わらない。
高価な日本人形の様な、綺麗に切りそろえられた前髪の奥から呆れた様な眼差しで先輩を見つめる。
「黙って入るよりはマシだろう。それとも、道場破りの方が良かったかな?」
道場に重い空気が流れる。二人の様子から『仲の良い友人』というわけでは無さそうだ。
「とりあえず、立ち話もなんですから、後ろのお二方もどうそお座り下さい」
僕と中谷さんを見て、先輩に向けた顔とは全く違う、柔らかな表情で彼女が言った。
先輩にも負けず劣らず、整った端正な顔立ち。目が合うだけで、思わず照れてしまう程に。
「改めまして、私『龍ヶ崎――亜紺』と申します」
彼女が深々と頭を下げる。その所作はとても自然で美しく、気品すら漂っていた。
「はっ、はじまましてっ! にゃっ、中谷百合子と申します!」
緊張しているのか、噛み噛みの中谷さん。
同じように頭を下げるが、お辞儀というより、土下座である。
「初めまして、神崎修司と申します」
自己紹介は苦手だ。中谷さんの後じゃなかったら、僕も噛み噛みになっていた可能性は否めない。
「それで、今日はどの様なご用件ですの? 私もそこまで暇じゃないんですよ」
「まぁ、そう急ぐな。時に龍ヶ崎、その『眼』はどうした?」
先輩の言葉に、龍ヶ崎さんは少し表情を歪めた。彼女の眼は、薄く青みがかっている。
「知りませんわ、突然おかしくなったんですもの。特に問題はありませんが、念の為に病院で診てもらおうと思ってたところですの」
元々は青くなかったのか。綺麗な瞳だな、と思ってたけど。
「その目は医者じゃ治らんぞ」
少し含みを持たせた笑みを浮かべながら、先輩が口を開く。
「……どういう事ですの?」
「龍ヶ崎――お前『啓示』を受けただろ? 眼が青くなったのはその次の日から――そうだな?」
龍ヶ崎さんの表情が変わる。ます驚き、怪訝そうな顔をした。
そして先輩はおもむろに立ち上がり、道場の中を歩き出す。
「お前なら、既に力にも目覚めているだろうと思っていたが――」
道場の壁、不自然にかけられたシートの前で立ち止まったと思うと、勢い良くソレをめくる。
「やはりそうだろうな」
その光景に目を疑った。道場の壁には、大きな穴が開いていた。いや、穴というより、裂け目と言ったほうが正しいのかもしれない。
まるで恐竜が刈り取ったかの様なその裂け目からは、外の光が差し込んでいた。
「貴女……何か知っているのね……?」
「ああ、今日はその話をしに来たんだよ」
龍ヶ崎さんは僕達を見て、ゆっくりと立ち上がった。
「……病院の予約をキャンセルしてきますわ。応接間で待っていらしてくださるかしら」
そう言ってその場を離れた。
虎口先輩に案内されて、道場奥の部屋に入る。見るからに高級そうなソファーは、家にある物とは比べるのも恥ずかしい程の座り心地だった。
「あの――虎口先輩は、龍ヶ崎さんとどのような関係なんですか? 何だか余り仲良しって感じには見えなかったんですけど」
「ああ、確かに仲が良いとは言えないかもしれん。見て分かるとおり、あいつも剣道をやっている。普段はライバル。悪く言えば敵だ」
敵って……。貴女は一体何と闘っているんだ。
「ねぇ蓮ちゃん。あの人って、もしかして『辰』ですか?」
「おっ、気付いたか。賢いなぁ百合子は」
先輩に頭を撫でてもらって、とても嬉しそうな顔をしている。
まぁ僕も名前を聞いた時、何となくそうなのかなとは思っていたけど。
それにしても、何故先輩は龍ヶ崎さんが十二支枝だと気付いたんだろう。
「お待たせしたわね」
しばらくすると、龍ヶ崎さんが戻って来た。
手にもったお盆から、食べるのも躊躇われる程の、見事な和菓子をテーブルに並べた。
「そんなに気を使ってもらわんでもいいぞ」
「別に貴女に気を使っているわけじゃありませんわ。私は、こちらのお二方に対しておもてなしをしているのです」
……やはりこの二人、敵同士なのかもしれない。
「それで、何を知っているんですか?」
「何を聞きたい?」
「何をって――知っている事全て話しなさいよ。私には何も分かりませんのよ?」
自分でも分からない事が自分の身に起きている。それはとても不安な事。
目の前の龍ヶ崎さんもそうなのだろう。先輩の言葉に苛立ちを隠せない様子だ。
「十二支枝とは、その昔、時雨町を襲った鬼を退治した一味――」
「ちょっと待ってくださる? いくら何でも昔話を怖がるほど子供じゃありませんわよ」
先輩の言葉に、龍ヶ崎さんんは少し驚いた様子で笑い出した。まぁ、流石にそうだろう。多分それが普通の反応だと思う。
「私が冗談を言っている顔に見えるか? お前も聞いたんだろう? 『主を守れ』と」
並々ならぬモノを感じたのか、龍ヶ崎さんの顔からは笑みが消えていた。
「……確かに聞いたわ。それに、貴女が冗談を言っていないのも。でも、どうして私が貴女を守らないといけないのか――」
「おっと、勘違いしてもらっては困る。主は私では無い、彼だ」
先輩が、龍ヶ崎さんの視線を僕に促す。突然見つめられてもどうしていいか分からない。反射的に愛想笑いを浮かべる位しか。
「この人が……主?」
「そうだ。そして私も、百合子も十二支枝の一人。彼はもう二度も鬼に襲われている。一刻も早く十二支枝を集め、鬼を封印しないと、どんな被害が出るか分からん」
何かを考えるように、龍ヶ崎さんは黙りこんでしまった。
何となく緊張感にも似た空気が張り詰める室内。
だがしかし、僕は目の前に出された和菓子がずっと気になってしょうがなかった。食べるなら今しかない。
「何を考えている。我々に言葉は要らないだろう。鬼が目覚めたと同時に、また我々も使命に目覚めたはずだ」
和菓子に手を伸ばそうとしたその時、先輩が口を開いた。
「分かってますわよ……」
そう言うと、龍ヶ崎さんが立ち上がった。
「あの夜、私の中で何かが目覚めてから、神経が研ぎ澄まされていくのを感じています。こんなのどかな町に居るのに、戦場にいるような感覚」
窓から外を眺めながら、呟くように。
「そして気付きましたの。『これは死なんだ』と。今までよりずっと身近に、死を感じるようになった。それは――貴女達も同じなのかしら?」
先輩と中谷さんが頷く。
えっ? そうなの? ちょっと待ってくれ。僕はそんなの微塵も感じていない。
確かに、鬼に襲われた時は少し思ったけど。そんなに深刻な顔で話すほどでもないぞ。
「そう……私だけじゃありませんでしたのね」
龍ヶ崎さんは少し安堵した表情を見せ、続けた。
「ですが、私の力が必要ならば、私にも理由が必要だと思いませんか?」
「それはどういう意味だ?」
虎口先輩の言葉に、龍ヶ崎さんがちらりと僕を見る。
「神崎様――と申しましたわね。貴方が、私が命を賭して守る値のある人間だと示して欲しいのですよ」
「ぼ、僕がですか……?」
確かに龍ヶ崎さんの言う事も一理ある。だけど、一体僕に何を示せと言うんだろうか。
「それでは、道場の方へ行きましょうか」
その言葉に何となく、いや、とても嫌な予感がした。
『頑張れ』と僕の背中を叩く先輩の行動が、予感を確信に変える。
手付かずの和菓子を眺めながら、僕も死を感じた。
「先輩、龍ヶ崎さんってやっぱり強いんですか……?」
防具を着けてもらいながら、先輩に尋ねる。
「強いな。だが、まぁ私の方が強い」
「聞こえましてよ? 私の方が強いに決まっているじゃありませんか。勝ち越しているのは私の方ですよ」
「何を言っている。勝ち越しているのは私の方じゃないか」
そして、まるで子供のような言い合いに発展した。
「本当は二十四勝二十四敗一引き分けなんですよ」
中谷さんが、途中で放り出された防具を締めながら言った。
「あ、ありがとう。あれ? 中谷さんも剣道するの?」
「いえ、蓮ちゃんのお手伝いをしてるので防具の着け方くらいは覚えましたっ」
……ってか先輩と引き分けって事はめちゃくちゃ強いじゃないか。いや、最初から勝てるなんて微塵も思ってないけど。だって素人だし。
「全く、貴女と話してると本当に疲れますわ。準備が出来たみたいですわね。それでは始めましょうか」
そのまま僕の事を忘れてはくれないだろうか――そんな甘い考えもあっさりと裏切られた。
こうなるなら和菓子食べておけば良かったなぁ。そんな事を考えながら開始位置に着くと、先輩が僕に声をかける。
「大丈夫だ。君ならきっと……何かある!」
いや、何かあるって何ですか。『きっと勝てる!』とかなら分かるけど。いくら勝てないのが分かっていても、それは無いんじゃないかと。
「あら、初心者と聞いていましたが――様になっていますわね。ああ、あの人が嘘をおっしゃっていたんですね。これは私も気を引き締めませんと」
つい先日、虎口先輩に教えてもらった通りに構えただけ。そんな僕を見て、彼女は多大なる誤解をした。
僕は正真正銘完全の素人なんですが。これはあれか? 『生兵法は大怪我の元』ってやつか?
状況は完全に悪化。あとは死を待つのみ。
「初め!」
静かな道場に響き渡る死刑宣告。目の前の彼女に、打ち込む隙は何処にもない。
そもそもおかしい話だ。何でこうなるんだ。
「来ないなら――こちらから行きますわよ!」
龍ヶ崎さんの声が聞こえたと思った瞬間、頭部に衝撃が走る。
「一本!」
まるで鉄パイプで殴られたかと思う程。それよりも早すぎて全く見えなかった。突然目の前から消えてしまったみたい。まぁ分かりきっていた事、結局何も無かった。
「ねぇ貴女。これは試合じゃないんですのよ。余計な事を言わないでもらえるかしら?」
「あ、ああ。それはすまなかった……」
え? どう言う事? もう終わりじゃないの? もう終わりで良いんじゃないの?
「さぁ、休んでいる暇はありませんよ」
防具の奥で、龍ヶ崎さんの青い目が光る。
「うっ……」
そして、今度は脇腹に強烈な一撃。防具で守られているのを感じさせない痛みに、膝が崩れる。
しかし、龍ヶ崎さんの猛攻が止まる事はなかった。
「どうして私が! どうして私がこんな思いをしなければならないの! 何事も無く平穏に暮らしていたはずなのに! 十二支枝の使命!? そんなモノは必要ないの! 私の道は、私自身が決めていくのよ! それなのに! それなのに!」
そっか。僕が石版を割った所為で、彼女は苦しんでいるんだ。
普段は決して感じる事のない『死の恐怖』彼女達十二支枝はそれを感じている。
薄れ行く意識の中、龍ヶ崎さんの言葉が胸に響いた。




