第10話 魔女への支度金 酒場の行列
魔法のテストを終えて訓練所からギルドのロビーに戻る頃には、窓の外はすでに茜色の夕焼けに染まっていた。
「登録証の発行には数日お時間を頂いています。なので、その間はのんびりと村を散策して、身体を休めていてくださいね」
そう言って、ルーシーさんはカウンター越しに、ずっしりと重い小袋を私に差し出してきた。
ジャリン、と金属の擦れ合う心地よい音が鳴る。
「これは……?」
「魔法が使える新規の冒険者へ支給される、ギルドからの支度金です。銀貨で五十枚入っていますよ」
「えっ!? い、いや、そんな……登録したばかりで何もしていないのに、こんな大金は受け取れません!」
銀貨五十枚。私の金銭感覚が正しければ、しばらく働かなくても食べていけるくらいの大金だ。
慌てて辞退しようとする私に、ルーシーさんはふふっと笑って、感覚のない私の両手に革袋を優しく押し付けた。
「遠慮はいりません。魔法が扱える冒険者は、それだけギルドにとっても貴重な戦力なんですよ。
他の国でも魔法使いは、ものすごい大金で雇われたりしているので。だからこそ、国やギルドから手厚い支援が出るんですよ?」
そうか、魔法使いは人間扱いされないと聞いていたから齟齬があった、他の国では魔法を自分の力として保持して、それをもとに働いたりできるんだ。
「……ありがとうございます」
ありがたく革袋を懐にしまうと、ルーシーさんは少し声をひそめ、私の服装を上から下へと見つめた。
「それと……失礼ですが、アストラさん。その血濡れの跡があるブラウスや、引き裂かれたローブは、早めに買い替えが必要かと」
「えっ?」
「目立つ格好をしていると、変な輩に絡まれたりしちゃいますからね」
ルーシーさんはそう言って、ロビーの隅の方へとそっと目配せをした。
左目で視線の先を追うと、そこには柄の悪い防具に身を包み、大声で下品に笑い合っている数人の男たちの集団がいた。
「民間人の保護という規約はありますが、冒険者ギルドは結局のところ『戦いが本業』の人ばかりが集まる場所です。ああいう柄の悪い連中も、一定数出てきてしまうんですよね」
「……なるほど。忠告、ありがとうございます」
私は軽く会釈をした。
このギルドがいくら安全とはいえ、決して隙を見せていいお伽話の世界ではないのだ。改めて気を引き締め直そうとした、その時。
「そろそろ帰ろっか!」
不意に、ルルが私の腕を引っ張って元気な声を上げた。
「酒場開けないといけないもんね! お姉さんも、実力テストしていっぱいお腹減ったでしょ?」
「……ふふっ、そうだね」
ルルに手を引かれ、私たちは夕暮れの街へと歩き出す。
背中にはギルドの喧騒。手の中には、ルルの確かな温もり。
明日、このお金で新しい服を買いに行こうか。
そんな前向きな未来を考えられるようになっている自分に驚きながら、私はルルの歩幅に合わせて石畳を踏みしめた。
――しかし、ルルの家である酒場の前に辿り着いた瞬間、私は思わず足を止めて呆然と立ち尽くしてしまった。
「……え?」
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
酒場の閉まった扉から通りに向かって、ずらりと人の山……大行列ができていたのだ。
荒くれ者の冒険者から、近所の村人らしき人たちまで、その数は故郷の村の全人口よりも多いかもしれない。
「みんな、お待たせ~! 今日はこれからオープンだよー!」
こんな人の山を見たことがなくてぼけっと突っ立っている私をよそに、ルルは行列に向かって元気いっぱいに手を振り、ガチャリと酒場の鍵を開けた。
どっと歓声を上げて、雪崩れ込んでいく客たち。
その熱量に圧倒されて固まっていると、ルルがひょいっと顔を出して私の腕を引いた。
「お姉さんはこっち!」
引っ張られて座らされたのは、厨房の様子が一番よく見える特等席のカウンターだった。
ドンッ、と景気良く冷えたビールのジョッキが私の前に置かれる。
「ルルちゃん、こっちビール三つ!」
「こっちは二つ! あと唐揚げも頼む!」
「ルルちゃーん、オムライス一丁!」
オープンと同時に、店内から注文の山が嵐のように飛び交い始めた。
それを聞いて、ルルは笑顔のまま厨房とホールを縦横無尽に駆け回る。
「はーい! ちょっと待ってねー!」
「はい、ビール三つ! お待たせ、こっちはビール二つと唐揚げだよ!」
すごい……。
私はただただ、その働きぶりを呆然と眺めていた。
メモを取るわけでもないのに、誰が何を頼んだのか、どの順番だったのかを完璧に把握し、笑顔を絶やさずにものすごいスピードで捌いていく。
あの細い体のどこにそんな体力があるのか、まるで複数の分身がいるかのような見事な手際だった。
「こっちにも、ビールを一杯いただけますか?」
不意に、すぐ隣から声がした。
ビクッとして左目だけで視線を向けると、いつの間にか私の隣の席に、あの魔法使いのスイさんがちょこんと座っていたのだ。
「スイさん!? い、いつの間に……」
「すごいですよね」
私の驚きを気にも留めず、スイさんは厨房を忙しく立ち回るルルの姿を見つめて、くすりと微笑んだ。
「……どうして、この酒場はこんなに繁盛しているんですか? もちろん、ルルちゃんの料理が美味しいのもあるんでしょうけど……それにしても、すごい人数ですよね」
私がぽつりと疑問をこぼすと、スイさんは真っ直ぐにルルを見つめたまま、静かな声で答えた。
「簡単なことです。ここに集まっている冒険者や村の人たちは皆、ここの元のご主人――ルルちゃんのご両親に、決して返しきれないほどの恩義があるからです。
だからこそ、彼らの忘れ形見であるルルちゃんのお店に通って、みんなで少しでも助けたい、支えたいという気持ちがあるんだと思いますよ」
「忘れ形見……? じゃあ、ルルちゃんのご両親は……」
私が息を呑んで呟いた、その時だった。
「はい、お待たせ! スイさんのビールね!」
ルルが満面の笑みで現れ、スイさんの前にドンッと冷えたジョッキを置いた。
「ありがとう、ルルちゃん。今日も大繁盛ですね」
「えへへ、頑張るよー! あ、お姉さんもおかわり欲しかったらすぐ言ってね!」
嵐のように現れ、そしてまた嵐のように別の客の元へと駆け出していく彼女の小さな背中。
それを見送りながら、スイさんは運ばれてきたばかりのビールをジョッキに口をつけ、こくりと一口飲んだ。
店内は相変わらず、冒険者たちの豪快な笑い声や注文の飛び交う声で怒涛の賑わいを見せている。
けれど、スイさんの周りだけは、まるで別の時間が流れているかのように静かで穏やかだった。
ジョッキをことり、とカウンターに置き、スイさんはふうっと息をつく。
そして、静かに私の左目を見つめ返した。
「……アストラさん。少し、昔話をしてもいいですか?」




