◆9 聖女エールの覚醒
エールが聖女に覚醒したのは、わずか半年前、修道院に入ってから五年以上後のこと。
ほとんど作務がこなせず、先輩修道女からお説教を喰らう日々が続き、やがて同僚や後輩の一般修道女からも目を付けられ、いじめられるようになったーーそんな頃のことであった。
修道女という女性は、押し並べてプライドが高い。
修道女(士)とは修道院に正式に所属するメンバーのこと。
だから世間的にはかなり「偉い人」ということになっている(ペルソナ聖皇国では特に)。
聖皇国において、修道女(士)は個人として最も権威と権限を与えられた存在だ。
諸国の王族や皇族、貴族などにも名誉はある。
だが、彼らは血統や家柄、役職等で評価されているに過ぎない。
それに比べて、修道女(士)は実力で評価されている。
しかもペルソナ聖皇国から全世界に布教展開しているトリニティ教を国教とする国家は総計二十四ヵ国にも及んでおり、それぞれの国において、教会や修道会は治外法権となっているうえに、その国々の政治経済に深く関わることもできる。
そのペルソナ聖皇国において修道士となった人間は、いずれ司祭や枢機卿などの神職を担う者にもなり得る、「神の恩寵を直接受けた者」と認定された存在で、トリニティ教を国教とする国々では、なまじっか貴族の子弟が家督を継ぐことよりも名誉なこととされていた。
実際、修道女(士)は、魔力や呪力が異様に高い者しかなれないことになっている。
だから、かなり高位の貴族家の者までもが、なろうことなら修道女(士)になりたいものだ、と思っている節がある。(エールには理解できないことだけど)
それなのになぜ彼女は、こんなに修道女になってしまったことを嘆いているか、って?
それは決まってる。
修道女(士)の生活が、一般人や貴族に比べて厳しすぎるからだ。
それほどの尊敬と権威を担っている修道女(士)だから、それだけにかえって厳しく自らを律した生活をしていた。
たとえば、起床時間は午前四時ということになっている。
朝っぱらの。
まだ朝陽も顔も出してない時刻だ。
そんな朝っぱらから、黙想やら瞑想やら祈禱をこなして、それぞれに与えられた職務に没頭することになっている。
しかも、修道女の中でも、エールは聖女候補。
さらなるエリートということになる。
現に、十一歳という未成年の段階で、特例によって見習いから正修道女になっている。
それなのに、エールはどんくさくて、何もできない。
日常の作務ひとつも満足にこなせない。
日々、厳しい環境下で過ごす一般の修道女たちから妬まれたり恨まれたりしても、おかしくなかった。
初めは些細な嫌がらせだった。
彼女の分だけ衣服を洗濯してもらえない。
食事も取り分けてもらえない。
院外へのお買い物にも、連れて行ってもらえない。
彼女宛ての手紙は破り捨てられる。
外部の人が彼女との面会を求めていても、報せてくれない。
おかげで何度か弟が訪ねて来たらしいけど、会うことはできなかった。
弟が故郷へと帰ってから、
「そういえば、弟さんが来たらしいじゃない?
あら、言ってなかったっけ」
と、同僚修道女見習いに、すっとぼけられる。
使い古された鍬や鎌、網籠など、邪魔なものはすべて彼女の部屋に投げ込まれた。
同僚だった修道女見習いを食事に誘うも、露骨に嫌な顔をされるようになった。
彼女が触ったものは花だろうと小鳥だろうと、即座に破棄されたり、院外に放り出される。
(私は雑菌か何かなの?)
エールがそう思うほど、彼女が触れたものは、すぐさま「除菌」された。
彼女が腕によりを掛けて作った料理までが、野良猫の餌か、ゴミ箱行きとなった。
しかも修道院の内外で、エールについての悪い噂が蔓延するようになっていた。
修道院に訪れる司祭様などの神職者に対して、
「聖人に選ばれた聖女候補だからって、ワガママに振る舞って、皆に迷惑をかけている」
「新人を意地悪している」
などと、修道女見習いたちから吹聴されたからだ。
噂話が一人歩きして、実話と認定されていき、やがては先輩修道女たちまでがヒソヒソと陰口を囁くようになってしまった。
「あんな可愛い顔をして」
「いくら聖人様に見出されたからといって……」と。
実際に、彼女の許に押しかけて来て、説教をかます司祭様まで出てきた。
ここまでいじめが激しくなった原因は、ある女性が修道院の副院長に就任したからであった。
中央聖都の女子修道院には副院長が四人いるが、そのうちの一人、マーヤ副院長がエールを目の仇にし始めたのだ。
何が原因なのか、エールにはさっぱりわからなかった。
それまでマーヤ副院長とは何の接点もなかったから、単に「私のような田舎の平民娘が聖女候補になったことが許せなかったのだろう」とエールは思っていた。
なにせマーヤ副院長は、某大国の公爵令嬢だったというのだから。
とにかく、エールは修道院のお偉いさんから嫌われて、懇意の修道女や修道女見習いを使って、エールをいじめるよう、指示される状況になっていた。
そうした、キナ臭い感じを察してはいたものの、当時の彼女には打つ手が何もない。
だから体調不良を訴え、おとなしく自室に引き籠っていた。
半月ぐらいは、これで平穏に過ごせた。
が、それも叶わなくなる。
事件が起きたのは、就任したばかりの若い美形の教皇様が大勢の枢機卿様方を引き連れて、女子修道院を視察に訪れた日のこと。
エールをいじめるように、上の立場から指導し続けていたマーヤ副院長が、直接、エールの目前に姿を現したのだ。
エールが自室に引き籠るのも、マーヤ副院長は許してくれない。
鍵を勝手に開けて入室するなり、背が低いエールを見下ろして、彼女は言い放った。
「元公爵家の私が、田舎娘のあなたに直々に指導してあげるわ。
ありがたく思いなさい」
マーヤ副院長の後ろには、大勢の修道女や見習いたちが居並んでいた。
いつもエールに辛く当たる人たちだった。
彼女たちは互いに顔を寄せ合って、囁き合う。
「あんなに真っ赤な瞳なんて、初めて見ましたわ」
「偉大な聖人様に見出されたというから、どれほど素敵な方かと思ったら」
「ほんと、ガッカリですわね」
正面からの罵声を受けて、エールは俯きながらも、思った。
はい。
ほんと、私自身も、そう思います。
できれば、すぐにでも修道院から追い出していただきたいものです。
でも、今、外に出されたら、私は行く当てがありません。
ですから、仕方なく、ここに居残っているだけ。
文句があるんなら、貴女たちが尊敬なされる聖人様に言ってくださいーー、と。
そのようなことを心中で思って、エールはなんとか陰口を聞き流していた。
だが、そういった、思いなしひとつで対処できるのも、「陰口や、細かい嫌がらせを受ける程度のいじめ」の段階までのこと。
「他人に危害を加えた犯罪者」として濡れ衣を着せられるような事態になってしまったら、エール個人がどう思っているかで対処できる範囲を超えてしまう。
その日、瞑想室へと向かわれる教皇様一行を案内するために、老修道院長サリー様を、修道院長室からお呼び出しした際のこと。
修道院室は二階にある。
その二階から一階へと降りる階段の踊り場に差し掛かったところで、衆人環視の中、突然、マーヤ副院長が、
「ああっ!
急にどうしたんです、修道女エール!?
押さないでください!」
と大声をあげ、サリー修道院長の背中をドン! と押したのだ。
マーヤ副院長が、老齢の修道院長サリーを階段から突き落としたのである。
その瞬間、老修道院長は両目をカッと見開いたものの、そのまま黙って階段の下までゴロゴロと転がり落ちてしまった。
ただでさえ、枯れ木のような容姿をしておられるサリー修道院長だ。
背骨がポッキリと折れてしまうのではないか、と危ぶまれた。
きゃあああ!
といった、周囲の修道女たちの甲高い悲鳴が修道院内に響き渡る中、老修道院長は失神してしまった。
それまで、マーヤ副院長に率いられた取り巻き修道女の後ろに、金魚のフンのようにくっついていたエールだが、サリー修道院長が倒れ込んでいるところにまで慌てて駆け寄って、抱きかかえた。
「いきなり何をなさるのですか、マーヤ副院長!?」
と、エールは階上にいるマーヤ副院長を睨み付ける。
ところが、逆にエールが、副院長に上から目線で罵られてしまった。
「まあ!
ご自分の手で修道院長様を階段から突き落としておきながら、何なの、その言い草は!」
その発言を合図に、彼女の後方に並ぶ修道女たちによって、エールはいっせいに糾弾され始めた。
「そうよ、そうよ。
私はこの目で見ましたのよ。
あなたが修道院長様を突き落とす瞬間を!」
「修道院長様になんてこと!
いつも、あなたを不当なほど庇ってくださってるのに。
恩を仇で返すとは、このことね」
「さすがは聖人様に認められた聖女候補サマだこと。
私たち一般修道女が尊敬するサリー様なんか、ゴミ同然っていうわけね!」
そこへ枢機卿様方の集団がやって来た。
若い教皇様が瞑想室にお籠もりになっている間、お茶でも飲みながら近況報告をし会おうと、休憩室まで足を運んできたようだった。
彼らは、階段下で倒れている老修道院長を見て、
「どうしたんだ!」
「なんてことだ!」
と声をあげて駆け寄って来た。
そんな男性陣を前にして、副院長とその取り巻き修道女たちが口々にエールを非難し始めた。
「修道女エールが、修道院長様を階段から突き落としたんです」
「ほんとうです。
私も見ていました」
「いつもお優しい修道院長様に、なんてこと!」
枢機卿の一人が私を睨み付けて、怒声を張り上げた。
「修道女エール!
なんてことをしてくれたんだ。
君を聖女候補にお選びになった聖人アラン様の名誉を、どれだけ傷つけたら気が済むんですか!」
「そうですよ。
もう、修道院から追い出すしかありません。
悪い噂は本当だったのですね!」
枢機卿様ら、お偉いお方たちは、私と修道院長様の周りを取り囲んで、顔を真っ赤にして怒鳴る。
その一方で、副院長をはじめとした階段上に居並ぶ修道女たちは、ニヤニヤと笑っていた。
そのうちの枢機卿様の一人が革製の鞭を手にして、パシパシ! と音を立て始めた。
(ヤバい。
もう我慢の限界ーー!)
そう思ったとき、いきなり能力が顕現した。
突然、ドン! という爆発音とともに、青白い光が天から下って来たのだ。
やがてその光は形を成していき、副院長の姿となったのである。
皆が驚愕する中、エールだけが、本能的に事態を掴んでいた。
これは、かたどられた者の魂であって、嘘偽りが言えない存在である、と。
エールは俄然、やる気が出てきた。
そして日頃の鬱憤を、副院長の魂にぶつけまくった。
「副院長の魂よ。
枢機卿様方もおられるこの場で、貴女が今まで私に成した所業を詳らかに語りなさい!」
マーヤ副院長本人は、取り巻き修道女たちとともに、二階への階段の踊り場に居る。
それでいながら、マーヤ副院長の魂は青白く輝く霊体となって、一階に立っていた。
そして、エールの方に顔を向けて、澄んだ声で語り始めたのであった。
◇◇◇
私、マーヤ副院長の魂は、正直に告白いたします。
とにかく、修道女エールは気に入らないのです。
聖女候補だなんて、何かの間違いです!
この中央聖都女子修道院の、そして聖人アラン様の名誉のためにも、ぜひ追い出さなければなりません。
どうしてやろうかしら。
そうねーー同僚のみならず、後輩にまで嫌がらせをされたら、居た堪れなくなるでしょう。
そうだわ。
俗世にいた時のコネを使って、数多くの修道女、見習いたちを動員いたしましょう。
まず、エールの分だけ衣服を洗濯をしないように。
エールへの食事も不要だわ。
院外へのお買い物に連れて行くなんて、言語道断。
エール宛ての手紙は検閲後、破り捨てちゃいなさい。
外部の者がエールとの面会を求めて来ても報せる必要はないわ。
追い返してしまいなさい。
ーーそういった命令を伝えておくと、私の狙い以上に、修道女や見習いたちが動いてくれた。
やっぱり、エールが正修道女、ましてや聖女候補だなんて納得いかない、という修道女が、私の想像以上に多かったようね。
私が何も命じなくとも、彼女らが勝手に、鍬や鎌、網籠などの使い古しを、エールの部屋に投げ込んだり、エールを積極的に無視して仲間外れにし始めた。
果ては、彼女が触れたモノすべてを「除菌」したり、ゴミ箱に捨てたり。
あとは、上層部に噂話の形で、エールの悪評を伝えてやれば、ほんとうに彼女を修道院から追い出せそうだわ。
すでに多くの神職者に、修道女エールについての悪評を伝えておいた。
「聖人アラン様に選ばれた聖女候補だからって、ワガママに振る舞って、皆に迷惑をかけて困っている」
「新人を相手に、食事を奪うなどの意地悪している」
「勝手に部屋に引き籠って、奉仕活動をサボっている」
などと、修道院に訪れる司祭様などの神職者に、積極的に吹聴してやった。
ああ、ちょうど良いタイミングで、教皇様が我が修道院に訪れて瞑想なさるという。
教皇様なら、絶対大勢の枢機卿様方を引き連れて来られるはず。
これは絶好のチャンスだ。
何か、エールを犯罪者に仕立て上げる仕掛けをしなければ。
そうね。
ついでに、何かとエールの肩を持つ鬱陶しいサリー修道院長を追い落とすことはできないかしら。
上手くすれば、私がこの中央聖都女子修道院の頂点に立てるのでは?
だって、元々の家柄で言えば、私が副院長の中で一番高いんだから。
そうだ、階段の踊り場から突き落としてやれば良いんじゃないかしら。
痩せ細った修道院長のこと、上手くすればお亡くなりになるかも。
そうなれば、エールは聖女候補から一転して修道院長殺しの殺人犯!
さすがに聖女候補から外れるに違いない。
ふふふ。
我ながら、素晴らしい思いつきね!
あとは、エールに濡れ衣を着せるためにお追唱してくれる駒を揃えればーーそうね、俗世にいた頃から付き合いのある、実家の系列下にある貴族家縁故の子女で、修道女になった者たちを動員すればーー。
◇◇◇
青白く光を発しながら、マーヤ副院長の魂は、得々とした口調で捲し立てた。
それを耳にした男性陣が顔を上げ、階上に居る副院長をはじめとした修道女たちを睨み付ける。
冷たい視線に耐え切れず、マーヤ副院長は、踊り場で金切り声をあげた。
「こ、これは何かの罠よ!
修道女エールの怪しげな呪いか魔法よ。
一刻も早く、除霊師か魔導師を呼んで来て、このような茶番劇をやめさせないとーー」
すると、そこで、言葉に覆いかぶさるようにして、
「そこら辺にしておきなさい」
と声がかかった。
振り返ると、若いイケメン教皇アルファ様が立っておられた。
いつの間にか、瞑想室から出て来られていた。
枢機卿様方をはじめ、すべての者が片膝立ちとなった。
私も例外ではない。
教皇アルファ様は老修道女サリーを助け起こし、額に手を当て、目を覚まさせる。
そして言われた。
「修道女サリー。
お見事です。
貴女の試練は終わりました。
修道女エールに、ついに審神エンマの権能が下されました」
老修道院長サリーは半身を起こし、青白く光るマーヤ副院長の魂を一瞥してから、私の方へ身体の向きを変え、両手を合わせて跪いた。
「おお、予言通り、七番目の聖女ーー〈裁きの聖女〉が、たった今、誕生なさいました。
神様、感謝いたします」
エールが面喰らっていると、今度は教皇アルファ様が直々にエールの銀髪頭に手を当て、祝福してくださった。
「私がこの修道院まで瞑想に訪れたのは、今日、貴女が聖女として覚醒なさると、神様からの啓示を受けたからです。
でも、まさか、瞑想の最中に、この者どもの汚い魂の声を聞く羽目になるとは。
しかも、私の部下である枢機卿たちまでが、揃いも揃って真実を見抜く目がないとは。
まったく、神様と聖女エール様に対して、恥入るばかりです」
若い白髪の教皇様は立ち上がり、全身から黄金色の光を発しながら、天空に向けて拳を振り上げた。
その途端、マーヤ副院長やその取り巻きの修道女、そして枢機卿たちが何人も、バタバタと地面に倒れていった。
声もなく、皆、白眼を剥いて、突然、昏倒したのである。
老修道院長サリー様と、わずか三人の枢機卿様だけが立ったままで残っていた。
教皇アルファ様は床に転がる男ども、そして踊り場の女たちを冷たい目で眺め渡し、
「ここは修道院です。
常に清潔でなければなりません。
直ちに呪術師を呼んで、穢れを払いなさい」
と語ってから、エールに向かってニッコリと微笑んだ。
そして身を翻し、三人の枢機卿様だけを引き連れて、立ち去って行った。
大勢の修道女や枢機卿様たちが倒れた場で独り残され、エールは途方に暮れた。
マジで教皇様、怖い……と彼女は思ったものであったーー。
◇◇◇
翌日になると、エールは中央聖都の教皇庁に身柄を移すことになり、正式な聖女として、数多くの部屋を有する一区域与えられた。
本来なら、聖女覚醒を祝う儀式をやるのだけれど、エールが丁重にお断りしたら、「聖女様ご自身のご意向ならば」と教皇庁のお役人たちが引き退ってくれた。
ちなみにマーヤ副院長や、その他、エールをいじめた連中がどうなったかを彼女は知らない。
どのような結果になっていようと、聞いたら気分が悪くなりそうなので、敢えて聞かないでいる。
以来、聖女エールは、〈裁きの聖女〉としての勤めに励んでいるのであった。




