◆7 聖女エールの過去
ライト王国でのゴタゴタが片付いた頃ーー。
就寝時、布団に潜り込んだ十三歳の少女エールは、過去の出来事に思いを馳せていた。
それは、今から六年前の夏ーー。
エールがまだ七歳のときだった。
◇◇◇
「おお、この娘だ。
この娘だ!」
いきなり、ヨボヨボのお爺さんから、両肩を掴まれ、エールはそう言われた。
場所は、彼女の家の玄関口。
藁葺き屋根の荒ら屋同然の家だった。
母親から、「水汲んできな!」とドヤされて、仕方なく、井戸に行くために外に出たときのことだ。
当時、七歳のエールは辺境の地にあり、麦畑に囲まれた田舎の農村で、両親、弟と一緒に住んでいた。
貧乏な小作人の家だったから、彼女の格好は酷いもので、麻の布の真ん中に穴をあけ、そこに首を突っ込んだだけの、テルテル坊主のような服を着ているだけだった。
そこへ突然、二、三十人もの大勢の人々が列を成してやって来たのだ。
エールは井戸へ行くのを忘れて、呆然と突っ立っていた。
なぜだか知らないが、〈聖人様〉ーー教皇様や他国の王様にまで名前を知られた偉いおじいさんーーが、エールの家を直々に指名して訪問してきたのだ。
そんな偉い人が、中央聖都から遠く東に隔てたド田舎の家にまでやって来たのだから、人生、なにが起こるかわからない。
老人は黄金龍の刺繍が施された青いローブをまとって、黒い杖を持ち、白くて長い顎髭を生やしていた。
たしかに、見るからに神々しい身なりで、いかにも聖人様ってかんじの姿だと思う。
今では。
だが、七歳当時のエールは、そんな格好をした年寄りを見たことがないから、「なんだかヘンなおじいさんだなぁ」ぐらいにしか思わず、吹き出しそうになるのを我慢していた。
(実際、おかしい雰囲気だったんだもん。
おじいさんはかなり弱っていて、身体を小刻みに震わせ、虚ろな瞳をしていたし……)
ぼんやりした様子で、ほんとに自分に瞳の焦点を合わせているんだかすこぶる怪しい、と思ったことを、エールは今でも覚えている。
だが、このおじいさんは偉い人だったから、後ろには、村長をはじめとした、村のお偉方をゾロゾロと引き連れていた。
お母さんがよく陰口を叩いていた、本家の叔母さんの顔もあった。
さらには、見慣れぬ服装をした、同世代の子供たちが何人も、その後に従っていた。
初対面の偉いおじいさんは、節くれ立った両手を私の頭の上に載せ、嗄れた声をあげた。
「この娘こそ、次代の救世主ーー〈真の聖女〉となろう……」
当時、子供であったエールは知らなかった。
ペルソナ聖皇国における〈聖女〉とは、ほとんど神にも等しい、伝説級の能力を備えた化物女性のことだと。
しかも〈聖女様〉というのは、なんとも都合の良いキャラで、信仰厚い国民とその国家のため、八面六臂の活躍をすることになっている。
人外の魔物や蛮族の侵入から国を守り、強大な呪いをも跳ね除けるーーそんな、世界の守護神たる存在なんだそうだ。
(なんだよ、それ。
魔物や蛮族、果ては呪いまでも跳ね除けるなんて、一個人の女性にやらせることかよ?
それじゃあ、軍隊とか教会とか、要らないじゃん?)
成長した今のエールだったら、そのように思わずツッコミを入れたくなる存在ーーそれが〈聖女様〉であった。
だが、問題は〈聖女様〉が人々からどんな存在と思われているか、ということではない。
そうではなくて、神様みたいな化物に、エール自身が将来、成長する、と言われてしまったことだ。
そんな存在に村娘のエールがなると、とんでもなく偉いおじいさんが、あたかも遺言のごとく、私の頭に手を遣りながら口走ったことが問題なのだ。
「広く諸国に渡って君臨する、伝説級の聖女……儂はこのお方の履物の紐を解く値打ちもない……」
そう言って、従者に持って来させた水瓶から柄杓で水を掬い、エールの頭に水をぶっかけた。
当時の彼女には、何が起こったか、まったくわからず、思わず泣いてしまった。
あたかも、これから身に降り懸かる不幸を、あらかじめ嘆くかのように……。
誓って言うが、当時のエールに、特殊な力なんか何もなかった。
魔法も使えない(見たことすらない)し、どんくさいし、二つ年下の弟よりも手先が不器用なほどだった。
それなのに、そんなことは先刻承知のはずの、村長をはじめとした村人たちが突然、歓呼の声をあげた。
偉いおじいさん(聖人様)から「祝福を受けた」、「水の洗礼を受けた」ーーだから、「村として誇らしい」ーーということらしい。
「じつは、〈聖女様を生誕させた村〉として年貢が減免されるから、皆が喜んだだけだよ」
と、お父さんが、ヒソヒソ声で言ったのは秘密だ。
実際、村人たちが総出でおかしくなったように見えて、エールは怖かった。
両親までもが涙を流しながら後ろから抱きついてくるし、いつも一緒に遊んでいた近所の子供たちまでもが、バシバシと私の身体を叩いてくる。
感極まっての振る舞いらしかった。
続いて、老人に連れられてきた男女の子供たちが、私に握手を求めて殺到して来た。
正直、ちょっと勘弁、といった気持だった。
エールは村でも評判の人見知りなのだ。
だが、同年代の子供たちの笑顔に触れ、何度も握手や抱擁を受け続けると、釣られて笑みがこぼれてくるのは致し方ない。
彼女も幼かったのだ。当時は。
心配そうな顔をしているのは、いつもちょこまかと後をついてきていた弟だけだった。
エールのスカートの裾を握り締めて怯える弟に、彼女はお姉さんぶって言い聞かせた。
「安心して。これは、なにかの間違いだから。
お客さんたちがいなくなったら、いつもみたいに戻るわよ」
エールは精一杯、お姉さんらしく、強がってみせたものだ。
だが、彼女の予想はいつもはずれる。
「いつもみたい」に戻ることはなかった。
明朝すぐに、エールは村を追い出されて、老人に連れられて中央聖都へと向かうことになってしまったのである。




