◆3 事件の発端は、婚約破棄にあり
ライト王国で悪役令嬢ヴィクトリーヌ・エスパルト公爵令嬢の裁判が開かれた日から遡ること、三日ーー。
遠く離れたペルソナ聖皇国において、すでに裁判を行うための準備に、エールは取り掛かっていた。
十三歳の少女エールは〈聖女〉となって以来、〈裁きの神エンマ〉を通して、冤罪を訴える被害者の声が聴こえるようになっていた。
『神よ!
私は濡れ衣を着せられました!
一週間後には、不当な罪で裁かれてしまいます。
ぜひ、この冤罪をお晴らしください。
お願いします!』
ーーそのように訴えかけるヴィクトリーヌ・エスパルト公爵令嬢の声が、聖女エールの脳裡で反響する。
その日の朝から、彼女の裁判に向けての準備が始まったのである。
ヴィクトリーヌ嬢が裁かれようとしているライト王国まで、ペルソナ聖皇国の中央聖都から馬車で一カ月の距離にある。
本来ならば、今から急ぎ出立しても、一週間後の裁判になど、とても間に合わない。
だが、〈裁きの聖女エール〉が他国の裁判に向かう際は、教皇庁にある転移魔法室から、その国の教会へと転移して出向くことが許されている。
トリニティ教の教会が建設されている国ならば、たとえ馬車で何カ月もかかるような遠方の地であっても、瞬時に訪問することができるのだ。
少女エールは二人の従者、黒と白の騎士に命令した。
「二人には先行して、ライト王国の貴族社会を調査してちょうだい。
黒騎士ジャンフリーは、派閥外の令嬢方からの聞き取りを。
白騎士ディアユーグは、ライト王国の政治状況を調べて。
私は教皇様に申請して、一週間後に控えているヴィクトリーヌ・エスパルト公爵令嬢に対する裁判に出向きます」
〈裁きの聖女〉に仕える従者も、裁判準備のためならば、転移魔法室の使用許可が出ている。
だが、従者の一人、黒騎士ジャンフリーは気が進まないようで、
「メリットがないですよ」
とツッコミを入れた。
だが、これに聖女エールは即答する。
「仕方ないわ。
彼女、ヴィクトリーヌの祈りの声が、朝から私の頭の中でガンガン響いてうるさいんだもの。
それに、真実が捻じ曲げられるっていうのは、私も我慢ならない。
冤罪による犠牲者が、これ以上、何処の国であっても、出てもらいたくないの」
「……わかったよ」
金色の瞳をした黒騎士は肩をすくめて答えるしかなく、早速、同僚の白騎士ディアユーグと共に転移室へと向かった。
◇◇◇
そして、ヴィクトリーヌ公爵令嬢の裁判が開かれる前日ーー。
ライト王国入りしたばかりの聖女エールの宿泊地(現地教会の一室)に、先行させた二人の騎士がやって来た。
黒猫に変化する従者の黒騎士ジャンフリーは黄金色の瞳をクルクルさせながら舌を出す。
「ヴィクトリーヌ嬢を告発した令嬢どもの実家はすべて、グレタ嬢の実家ラヴェル子爵家と系列を同じくする貴族家でしたよ」
以降、聖女エールと黒騎士の間で討議が始まった。
「やはりね。
だとしたら、被害者グレタ嬢の父親であるアダム・ラヴェル子爵は、自分の娘を王太子の婚約者に押し上げるため、ヴィクトリーヌ公爵令嬢の罪をでっち上げたのかしら?」
「王太子が婚約破棄をする口実となった
『ヴィクトリーヌ嬢による、グレタ嬢へのいじめ』
ってのは、取り巻き令嬢どもが口裏を合わせたものだっていうのは間違いない。
でも、ちょっと不思議なことがある。
代わって王太子の婚約者になりおおせたグレタ嬢の実家は、子爵家に過ぎないってことだ。
それなのに、格上であるはずのラティ侯爵家とか、カリアーノ伯爵家とかの娘が、グレタ子爵令嬢の取り巻きになってる。
普通、あり得ないだろ?
やっぱり、もっと裏がありそうだ」
「そうね。
でも、それよりも注意すべきことがあるわ。
舞踏会場で披露された令嬢方の告発の中で、最も洒落にならない事件といえば、
『ヴィクトリーヌ公爵令嬢が、暴漢にグレタ子爵令嬢を襲わせた』
っていうやつよ。
ぜったい、これも裁判で証言されるに違いないわ。
もちろん、でっち上げなんでしょうけど、その暴漢っていうのは、実際、捕まったのかしら?」
「厳密に言えば、行方不明だな。
とはいえ、たしかにそれらしき死体がラント川で打ち上げられたらしい。
その死体、顔や指が削り取られていたって話だ。
明らかに身元をわからなくさせるための処置だろうな」
黒騎士ジャンフリーが、様々な貴族家の令嬢たちから聴き取りした結果ーーヴィクトリーヌ嬢によっていじめられた被害といわれるもののほとんどすべてが、グレタ・ラヴェル子爵令嬢と、その取り巻きが行った自作自演の可能性が極めて高い、ということが判明した。
そこへ、もう一人の従者、白鳩の化身ディアユーグ騎士が、オレンジ色の瞳を輝かせて報告する。
「どうして子爵家ごときが、上位貴族家の令嬢を言いなりに出来たか、おおよその見当はつきました」と。
ラヴェル子爵家には、ライト王家からの多大な援助があったという。
それゆえ、子爵家という低い家格でありながら、大勢の取り巻きを従えることができたようだ。
その一方で、白騎士ディアユーグは、王家が最近、懐事情が良くないという事実と、そもそもどうして王太子とヴィクトリーヌ公爵令嬢とが婚約したのかという裏事情を掴んでいた。
ライト王国は、悪徳商法で有名なヘル商会に、多額の債務を負っているらしい。
債務利子の返済期間が迫っても、無い袖は振れない状態であった。
すると、ヘル商会が、王家の財産ではなく、筆頭公爵家であるエスパルト公爵領の鉱山資源に目を付け、これを借財の返済に当てても良い、と言ってきたのだ。
だが、当然、ユウリナス・エスパルト公爵は、これを拒否。
それでも王家の財政が逼迫していたので、国王ガニガンビ・ライト陛下が動いて、ルヴァイユ王太子とエスパルト公爵家の一人娘ヴィクトリーヌとで結婚させることで、将来、エスパルト領の鉱山を王家に譲渡する約束を取り付けたのだ。
ところが、この婚約に、ルヴァイユ王太子、そしてエティエンヌ王妃は不満だった。
王太子は、生真面目で聡明なヴィクトリーヌ公爵令嬢よりも、小悪魔的で甘え上手のグレタ・ラヴェル子爵令嬢の方が好みだった。
だから、ルヴァイユ王太子はグレタ嬢の実家ラヴェル子爵家を強力に後押しし、その結果、ヴィクトリーヌ嬢との婚約破棄を実現させ、グレタ・ラヴェル子爵令嬢と婚約し直すことに成功したのであったーー。
白騎士ディアユーグは推測を交えつつも、ライト王国での若い貴族家の子女たちが巻き込まれている政治状況を、そのように解説した。
ちなみに、彼、ディアユーグは白鳩の化身である。
白鳩はペルソナ聖皇国では、正式に神の御使として〈聖獣〉に認定されており、実際に神様のお告げが聞こえるのだという(あくまで教会と本人の主張であるが)。
その真否はともかく、たしかに白騎士ディアユーグの発言はいつも正確で信用度の高いものばかりだったので、エールは彼に全幅の信頼を置いていた。
ゆえに、意図的に謀られた婚約破棄によって、ヴィクトリーヌ嬢は王太子妃候補の座から追い落とされたのは、間違いないとエールは判断したのだ。
これらの調査結果に、彼女は満足した。
「これなら、真っ当な裁判だけで決着をつけられそうね。
良かったわ。
いつも神様から授かった権能を使ってばかりだと、人間の愚かさが際立つばかりで、神様のお嘆きも深くなるばかりですもの」
聖女エールは、深夜からお祈りして、裁判の朝を迎えたのであったーー。
◇◇◇
王宮裁判所において、聖女エールは木槌で台を叩いて、宣言する。
「結論から言います。
そもそも、ルヴァイユ・ライト王太子殿下が、ヴィクトリーヌ・エスパルト公爵令嬢との婚約を破棄した理由自体が、正当なものではありませんでした。
証言した令嬢方のすべてが真実を話しておらず、ヴィクトリーヌ嬢を悪役令嬢に仕立て上げるために口裏を合わせていました」
傍聴席では、貴族席・平民席の別なく、ザワザワとした喧騒が広がった。
意外な結論に、聴衆は動揺したのだ。
「まさか、ヴィクトリーヌ・エスパルト公爵令嬢は悪役令嬢ではなかったのか?」
「でも、おかしいじゃないか。
どうして令嬢方が口裏を合わせているとわかったのだ?」
「あの小さい裁判長は、何を掴んでいるんだ?」
銀髪少女が木槌を打って発言し始めると、傍聴席の最前列に座っていたラヴェル子爵夫妻が次第に首を引っ込め、縮こまるようになっていった。
それまで、令嬢方の告発までは、涙に暮れつつも、悠然としていたのに。
おかげで、傍聴席にあった人々は、エール裁判長が、事件の背景を把握して、真相究明に乗り出している、と実感した。
疑念が渦巻く中、聖女エールは、さらにヴィクトリーヌ嬢の無実を暴いていく。
今度は、事件捜査にあたった近衛騎士団長キャラコ・ベルメ子爵の不備を突くものであった。
「ヴィクトリーヌ嬢の部屋から毒物が見つかったと言いますが、その毒物が使用されない状態で存在し、押収することができたということ自体が、その毒物を使用していなかったことを示しているのではありませんか?
しかも、私の従者にすでに調べさせておりましたが、ヴィクトリーヌ嬢の部屋から押収された毒物と、グレタ子爵令嬢を殺した毒とは成分が違いました。
さらに黄金製の扇子についても、王太子殿下がヴィクトリーヌ嬢に婚約破棄を言い渡したときに舞踏会場に残されていたもので、王家の侍従長ロンサールが拾って遺失物として保管したことがわかっています」
エールの勧めによって、灰色の髪をした侍従長ロンサールが証言台に立つ。
彼はトリニティ教の熱心な信者で、四日前、白騎士ディアユーグが白鳩の姿で窓辺に舞い降りて、「神に誓って、正直に語るように」と声を掛けられて以来、証言台に立つ心構えを強くしていた。
たとえ、その結果、王家の者が不利な事態となろうとも、神の御使の勧めに従う決心をしていたのだ。
「おほん、私は、ライト王家にお仕えしております侍従長ロンサールでございます。
その凶器の一つと目されております扇子は、家紋入りの黄金扇子ゆえに、すぐにヴィクトリーヌ・エスパルト公爵令嬢の物とわかりました。
ですが、ヴィクトリーヌ嬢は婚約が破れたばかりなので、不躾に送り返すだけなのも憚られました。
そのため、その黄金扇子は、とりあえずエティエンヌ・ライト王妃殿下にお渡しいたしましたのでございます」
ザワザワとした喧騒は、ますます大きくなる。
(ということは、グレタ子爵令嬢を扇子で打ち据えたのは誰だったんだ?)
誰もが、そう思った。
聴衆たちは口々に論争し始めて、ざわめきが広がっていく。
そうした状態を見て、エールは満足げに頷いた。
「これで憶測だけに基づいた、一方的な冤罪事件は回避されました。
まずは一安心です。
判決は午後に言い渡しましょう。
いったん休廷します」
裁判が始まって、すでに三時間も経っていた。
お昼休憩に入ったのだ。
もちろん、裁判はまだ終わっていない。
休憩後も裁判は続く。
いったい、どのような裁きが下されるか、傍聴席にあった者は興味津々となっていた。
◇◇◇
ところが、一刻後ーー。
休憩が明け、再び法廷に出向いたとき、皆は意外な事態に驚いた。
一つには、被害者遺族である、ラヴェル子爵家夫妻であるアダムとジャンジェの姿が見えなくなっていたこと。
もっとも、これは裁判の流れから、グレタ嬢が王太子の婚約者となりおおせた裏事情が暴かれてゆくと思われるから、結果として、彼女の両親であるラヴェル夫妻にも何らかの罪状が明かされていく可能性がある。
だから、彼ら夫妻が居た堪れなくなって、逃亡するのは想定される出来事といえた。
だが、もう一つの異変は、誰もが思いもしなかった事態であった。
休廷が終わって再び法廷が開かれたとき、前方中央の裁判長席に、例の銀色の髪をした紅い瞳の少女が居なくなっていたのだ。




