◆16 親友を殺した令嬢
満月の夜、血濡れた斧を持って、その女性は立っていた。
銀色の光が優しく、彼女を照らしている。
まるで彼女と、その親友マルグリット様の輝ける未来を祝福しているかのように。
ところがーー。
草の上には、その親友の骸が転がっていた。
美しい顔は、無残に砕かれている。
月の光に促されるように、女性の唇から言葉があふれた。
「私も貴女の許へ参ります。
この不条理で汚れた世界に、未練なんかないわ」
彼女は、斧を自分の細い首にあてがった。
冷たい感触が、全身に走る。
(なんでこんなことにーー?)
涙がこぼれ、ポロポロと草地に落ちた。
そしてーー。
◇◇◇
亜麻色髪のロザネット・リエポール伯爵令嬢は、今現在、大審院の審議場で、被告席に座っていた。
ここ、モスリン王国においては、貴族家の者を裁く場を「裁判所」とは言わない。
大審院の「審議場」と言う。
その大審院において、ロザネット嬢は、親友であったマルグリット・ザンジェル公爵令嬢を殺した罪で告訴されていたのだ。
ロザネット嬢の正面には、紅い瞳の少女が座っていた。
彼女が聖皇国ペルソナから派遣されてきた審議長であった。
両脇にはモスリン王国の審議官が座していたが、口をへの字に曲げている。
不愉快そうな顔付きだ。
それはそうだろう。
いきなり外国から、年端も行かない女の子がやって来て、審議長の座を占めてしまったのだから。
それとも、あらかじめ定められた結論を被告人に押し付ける予定が狂いかねなくなったので、腹を立てているのだろうか。
そんな審議官たちを前にして、ロザネット・リエポール伯爵令嬢は胸を張って叫んだ。
「私はマルグリット様を、殺してなんかいません。
どうして、誰よりも愛している親友を殺せましょうか!」
彼女の無実を訴える声を耳にして、傍聴席に座る貴族たちが声を潜めて噂する。
「あんなことを言っているが、彼女ーーロザネット伯爵令嬢がただ一人、マルグリット・ザンジェル公爵令嬢の斬殺死体が横たわる現場で、座り込んでいたそうだ。
凶器に使われた、血塗れの斧を手に持って」
「まあ、怖い。
あんなに可愛い顔をして。
ロザネット嬢は、まだ十七歳でしょう?」
「実父である先代のボネ・リエポール伯爵が亡くなってから、性格がキツくなったそうだ」
「反抗期にしても、度が過ぎている」
「でも、ロザネット嬢は、マルグリット公爵令嬢とは、仲良しだったそうだけど。
ウチの娘がそう言っていたわ」
「だからこそ、だよ。
あの年頃の娘は何をしでかすか、わかったもんじゃない」
「娘を殺されたご両親は、さぞお辛いことでしょうね」
「人殺しを娘に持ったご両親も、たまったものじゃないだろうよ」
囁き合う貴族家の紳士淑女は、視線を前や後ろにチラッと向けた。
傍聴席の前方には被害者の両親、ザンジェル公爵家夫妻が座っている。
遥か後方には被告ロザネット嬢の両親、リエポール伯爵夫妻が縮こまりながらも、顔を上げて被告席に座る娘の姿を見詰めていた。
彼らがいることを承知していながらも、興味が尽きない人々は噂し合うことをやめない。
「でも、彼女を死刑にできますかね?」
「できますよ。当然でしょう。
殺されたのはザンジェル公爵家のご令嬢、ロザネット嬢より高位の家柄の娘だ。
それに何より、マルグリット・ザンジェル公爵令嬢の婚約者はーー」
「ああ、王弟バブレオ・モスリン殿下か。
だったら、決まりだな」
「いや、わからないぞ。
審議長はあの人だから」
一人の貴族紳士が、手袋をした白い指でさし示す。
視線の先には、およそ審議場に相応しくない出姿の女の子が座っていた。
ちょうどヴェールを脱いで、銀色の美しい髪をなびかせたところであった。
「なんだ?
女の子が、なんであの席に?」
「見たまえ。
両脇に座るのは、ナジモル伯とオジェ侯爵ーーいずれも不満顔だ」
「彼らこそ、審議長の席に座っていてもおかしくない長老だからね」
「長老を押し除けて審議長席に座るあの少女はーー?」
「知らないのか?
最近、諸国で評判になってる聖女エール様だよ。
あの見かけに騙されてはいけない。
裁きの神エンマから権能を授けられた聖女らしい」
「ほんとうか、それは!?」
「聖女」と聞いて、多くの貴族婦人たちは広げていた扇子を閉じ、審議長席に座る少女に向けて深く頭を下げる。
モスリン王国の貴族たちは皆、トリニティ教の信徒だ。
それゆえ、トリニティ教の総本山、ペルソナ聖皇国の教皇庁が大切に抱えている七人の聖女を崇拝していた。
貴族たちから敬意の眼差しが、少女の一身に注がれる。
蒼い法衣をまとう銀髪の女の子は、鈴の音を鳴らすような声で宣言した。
「私は聖女エールと申します。
今回の審議において、審議長を務めさせていただきます」
そして、木槌でガン! と台を打ち、審議が始まった。
「第二騎士団団長デヴォグロ・ロビーデバド伯爵、前へ!」
聖女エールの甲高い声に、野太い男の声が、「ハッ!」と応えた。
モスリン王国第二騎士団デヴォグロ団長だ。
筋肉質の巨人で、今日は甲冑を脱いだ、貴族用の礼服姿をしていた。
彼は胸を張り、大きな声で、事件現場に至るまでの状況を口述する。
「私ども第二騎士団は、貴族階級における事件を取り仕切り、王都貴族街の治安維持に務めております。
普段通り、貴族街の広場に駐屯しておりましたところ、リエポール伯爵家の使いにより、
『誰か他所のご令嬢が、敷地内の森の中で倒れている』
との急報がもたらされたのです。
報せに基づき、私ども第二騎士団がリエポール伯爵邸の裏庭まで駆け付けたところ、驚いたことに、マルグリット・ザンジェル公爵令嬢の斬殺死体が発見されました。
月が恐ろしいくらいに明るい夜でした。
血塗れの現場にいたのは、そこにおられるロザネット・リエポール伯爵令嬢、ただお独りだけでした。
しかも血濡れた斧を手にして。
私たちに見られたと思ったからでしょう、ロザネット嬢はいきなり自分の喉にその凶器を突き立てようとなさいました。
なので、慌ててお止めした次第です」
被告のロザネット伯爵令嬢は、第二騎士団団長デヴォグロ伯爵の言葉にかぶせ気味に発言する。
「どうしてあのとき、私を死なせてくださらなかったのですか!?
マルグリット様のいない世界になんかいたってーー」
聖女エールは木槌でガン! と一打ちして、審議を進める。
近衛騎士団団長デヴォグロ・ロビーデバド伯爵を退がらせ、改めて被告席に目を遣った。
「被告ロザネット・リエポール伯爵令嬢。
お答えください。
なぜ、ザンジェル公爵家のご令嬢マルグリットが、貴女のリエポール伯爵家の裏庭の森の中に?
その日の夜には、王宮で舞踏会が催される予定でした。
本来なら、貴方もマルグリット公爵令嬢も王宮に出向く時間だったのでは?」
被告席から立って応えるロザネット嬢は、嘆息しつつ首を横に振る。
「どうしてマルグリット様が我が家に乗り込んできたのかは、わかりません。
私自身は、王宮舞踏会に参加するために、夕方から、準備をしていました。
すると、ザンジェル公爵家の馬車が、我がリエポール伯爵邸に来訪してきたのです。
そのことを報せてくれたのは、私付きの侍女でした。
彼女が、裏庭の森にある侍女屋敷で、ザンジェル公爵家のマルグリット様が身を潜めておられると報せてくれたのです。
幸か不幸か、ちょうど王宮舞踏会に向かう馬車が用意された直前、私はお母様と大喧嘩したので、本来なら舞踏会に出席するために王宮へ出向くところだったのに、部屋での謹慎を命ぜられていました。
なので、急いで私はマルグリット様に会いに出向きました。
翌日にでも、二人で約束したことを決行する予定でしたので。
一刻も早く、親友に会いたいと思い、私は胸を弾ませて、森の中に入って行きました。
ところが、そこには血塗れになって倒れたマルグリット様の姿がーー」
往時を思い出したのか、碧色の瞳を涙で濡らす。
同情しつつも、エール審議長は質問を続けた。
「二人で何を約束していたのですか?」と。
すると、ロザネット伯爵令嬢は両手を合わせて、天に顔を振り向ける。
まるで明るい未来を希望して、神様に祈りを捧げるかのようだ。
「マルグリット様と二人で、一緒に、修道院に入ることを約束していたのです。
日曜になるとリエポール伯爵邸内の教会に、神父様がやって来ます。
その神父ポルカ様に、私どもは密かにお願いしたのです。
家出をして、修道会に入りたい、受け入れて欲しい、と。
すると、神父様は私たちの願いを、快く受け入れてくださいました。
訊けば、様々な事情で、貴族のご令嬢やご夫人が修道院に逃げ込むことは良くあることで、神父様や修道院長の取りなしで、貴族家の複雑な家庭問題を解きほぐして、あるご令嬢は還俗し、あるご令嬢はそのまま修道女見習いとなって神職を得るなど、いろいろあると伺いました。
修道会には学校のような教育機関もあれば、他国への留学制度もあるとのことです。
私たちは夢を膨らませました。
ーーそれほど、マルグリット様とは親友だったんです。
それなのに、私がマルグリット様を殺すなんて、ありえません!」
聖女エールは身を乗り出して問いかける。
「貴女が犯人でないとすると、真犯人に心当たりはありますか?」
愚直とも言える質問に、ロザネット伯爵令嬢は真正面から応じた。
「あります!
犯人は、二人のうちのいずれかと確信しています」と。
「どなたでしょうか?」
審議長が尋ねると、ロザネット伯爵令嬢は自身が殺人容疑で裁かれていることも忘れているかのような態度で、特定の人物に対して糾弾を始めた。
「ひとりは、マルグリット様の婚約者、もう一人は私の養父です!
マルグリット様といつも話し合ってきました。
二人で実家から逃げ出そうって。
マルグリット様は嫌な男の許に、強引に嫁がされようとしていました。
私は養父のいやらしい眼差し、気持ちの悪い手付きから逃れたかった。
だから一緒に神父様に相談して、修道院に入る手続きをしていたんです」
傍聴席の大人たちの間で、ざわめきが起こった。
「被害者の婚約者ってーー?」
「あの王弟バブレオ殿下?」
「それに、あの被告の父親は、今のリエポール伯爵、ということは元はブランキ帝国のーー」
「ああ、だったら、二人とも、捜査対象から除外されていてもおかしくない」
モスリン王国貴族なら、誰もが知っている禁忌について取り沙汰されていた。
この国には、アンタッチャブルな存在が二つある。
一つは王族、もう一つは隣国ブランキ帝国。
この二つのいずれかが絡むと、通常、手出しできない。
そういう政治的特殊事情があった。
だが、今回、この審議会を取り仕切っているのは聖女エール、外国人である。
しかも、モスリン王国の者なら、そのほとんどが信仰している宗教の総本山から派遣されてきた聖女なのだ。
王族や帝国をも凌駕した、神聖不可侵な立場と言えた。
そして、モスリン王国貴族の誰もが口には出せなかったが、密かに持っていた期待を、聖女エールは当然のように実行した。
「教区神父と修道院の教官から、貴女たち二人を緊急に迎え入れる準備はできていた、と聞いております。
ロザネット・リエポール伯爵令嬢、そして故マルグリット・ザンジェル公爵令嬢、貴女たちの意向をーー誰から逃げるために修道院に入ろうとしているのかを、すでに教会側は伺っておりました。
ゆえに、特別に、被告ロザネット嬢が不審に思われる人物ーーその二名を、この法廷で証言させるためにお呼びしております。
高位貴族令嬢の殺人事件において、タブーがあってはなりません。
私の従者に尋問させましょう」
おおお!
歓声とともに、審議会場では、盛大な拍手が湧き起こった。




