◆15 大人の聖女様、そして黒騎士との出逢い
聖女エールの能力によって、黒猫の魂が見た映像が、宙空に映し出された。
部下のモラール・ナンティア尚書官が席を外していた折、何者かが机の上の書類に近づいてきた。
太った容姿から明らかだった。
上官のヌレ・コンテヌブロー課長であった。
ヌレ課長は不敵な笑みを浮かべて、写した書類を懐に入れて立ち去っていった。
その映像を目にして、教皇様をはじめとした、男たちの視線がいっせいに注がれる。
ヌレ・コンテヌブロー課長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「たしかに聖女様ですからね、その権能はホンモノでしょう。
コイツは黒猫の魂が思い描いた映像を映し出したものなんでしょうよ。
でもね、所詮は猫畜生の魂が描き出した映像なんですよ!?
こんなの、猫が思い描いた幻覚に過ぎない!
飼い主を守るために、勝手な幻想を抱いたんだ。
初めから俺はこの猫に嫌われてたから、俺に濡れ衣を着させるつもりなんだ」
ヌレ課長は、相当往生際が悪かった。
教皇様や枢機卿様方も、どうやら最初から、告発者のヌレ課長の方が何やら怪しい動きをしている、と見做しているようだった。
その動きの全貌を暴くのに、私の力を活用しようとしているらしい。
そうした期待に応えようと、エールは神様に祈った。
「ヌレ・コンテヌブロー課長の魂、召喚!」と。
ところが、青白い光が降りて来なかった。
ヌレ課長の魂を召喚しようとしたが、できない。
(どうしてーー??)
エールは紅い瞳を目一杯開いて、焦りの表情を浮かべる。
が、教皇様が優しく言葉をかけてくださった。
「一日のうちに、立て続けに魂を召喚することはできないようだな。
でも、魂の召喚は人間以外にも適用できることが判明した。
人外は人間の言葉を発しないゆえか、『証言』させることはできなくとも、証拠映像は開示することができるようだ。
他にも、権能の特性は、おいおいわかってくることだろう」
そして、教皇様は指をパチン! と鳴らした。
「案ずるな。私に考えがある」
しばらくしてから、一人の修道女が会議室に入って来た。
年の頃は二十代半ばといった感じだ。
腰のあたりはスリムながら、出るところは出ている、大人の女性の容姿をした、緑の髪をなびかせた、藍色の瞳が印象的な修道女だ。
教皇様は私、エールの耳元で囁いた。
「彼女の名前はシャイマロット・ブール。
彼女も貴女と同じく、神様に選ばれた聖女様だ」
突然の紹介で、エールは両頬に両手を当てて、歓喜の声をあげそうになるのを必死に堪えた。
(私以外の聖女様!?
初めて見た!)
大人のお姉様ーー聖女シャイマロット・ブールは頬に手を当てつつ、エールが抱きかかえる黒猫の様子を見て、憐憫の表情を浮かべた。
「あらあら。
その猫ちゃん、相当、怒っておられるようですね。
でも、私が神様から授かった権能によって、貴方は奇蹟の力を得ることができます」
聖女シャイマロットのお姉様が小さなステッキを一振りすると、赤紫の光が黒猫の身体を包み込む。
すると、弾かれるように、エールの身体が吹っ飛んだ。
その結果、ちょうど教皇様の胸に飛び込格好になった。
「ほう。
〈裁きの聖女様〉は存外、軽いな。
ははは」
教皇様の大きな手によって、頭をナデナデされる。
エールは照れ臭くて、顔が真っ赤になった。
「もう十三歳なんですから、子供扱いはやめてください」
「これは失礼した」
教皇様に抱きかかえられて、エールが地面に足をつけたときには、黒猫の姿が変容していた。
なんと、人の姿ーー若い男性の容姿になっていたのだ!
どういう理屈でそうなっているのかわからない。
だが、バッチリ、革製武具をまとった、下級貴族のような風体をしていた。
黒を基調とした服装に、漆黒の髪色、そして白い肌に、猫のときと同様、黄金色の瞳をしていた。
このお姉様は、〈変化の聖女様〉だったのだ。
「これで、貴方は人も同様です。
言葉も解しているはず」
そして、聖女シャイマロット・ブールは、エールに流し目を送り、片目をパチリと瞑る。
お姉様から促されて、聖女エールは胸を張った。
「『たとえ猫であっても、一宿一晩の恩は忘れない』
と言います。
さあ、食事を与えてくれたモラール・ナンティア尚書官のために、真実を語りなさい。
貴方が見たままの状況を!」
エールの言葉に、人化した黒猫はオラついた言葉で応じた。
「言われなくとも、口が利けるようになったからには言わせてもらう。
この上官は、とんでもねえ嘘つきだぜ。
俺様がおまえが呟いていたセリフを代わりに言ってやろう。
おい、そこのちっこいの。
さっき、俺の魂から得たと言っていた映像を、もう一度、映してみろ」
ちっこいの呼ばわりされても気にしない。
実際、この黒猫が変化した若者は、どう見ても俺様キャラに見えたからだ。
エールは言われた通りにする。
幸い、先程とまったく同様の映像が宙空に映し出された。
モラール尚書官が席を外していた折、何者かが机の上の書類に近づいてきた。
ヌレ・コンテヌブロー課長であった。
ヌレ課長は不敵な笑みを浮かべて、写した書類を懐に入れて立ち去っていく。
その際のヌレ課長のセリフを、人化した黒猫が再現したのだ。
「よし、これで借金はチャラだ。
おまけにクソ真面目で忌々しいモラールの顔も見なくて済む」と。
そのセリフを耳にするや、ヌレ・コンテヌブロー課長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「猫の証言など、アテになりませんぞ。
飼い主が好きなだけだから、勝手なことを言うだけだ!」
恫喝めいた口調で押し切ろうとするのを、教皇様は低い声で、
「すると、君は神が選び給うた聖女の能力まで疑うのかね?」
と問いかける。
さすがに、ヌレは、
「い、いや……それはーー」
と言葉を濁すしかない。
教皇ブラフマー様は話をまとめた。
「どうやら、機密文書の写しが他国に売り渡されたようだ。
聖女様方のお力を拝借した状況証拠のみだが、私は、機密文書の写しが、このヌレなる者の手によって外部に流出したと信じる。
諸君らはどうかね」
教皇様の問いかけに、居並ぶ枢機卿様方は頷く。
「では、その罪を誰に問うかね?」
皆の視線がいっせいにヌレ・コンテヌブロー課長に向けられた。
ヌレ課長はすっかり血の気が退いた顔をして、床にへたり込んでしまった。
かくして、満場一致で、告発者であったヌレ・コンテヌブロー課長が、逆に投獄されるよう決定したのであった。
ヌレ・コンテヌブロー課長は御前会議室から連れ出される。
その背中を見送りながら、教皇様はエールに対し、
「ヌレなる者に尋問して、わざわざ時間を割く必要はない。
明日もまた来てくれるかね、聖女エール」
と呼びかけ、エールは黒猫が変化した若者の頭をナデナデしながら、
「はい、喜んで!」
と言葉を弾ませた。
案の定、翌日になって、前日に顔を揃えた人物すべてが集まったところで、ヌレ・コンテヌブロー課長の魂を召喚したところ、ベラベラと自ら行った犯罪行為について喋りまくった。
◇◇◇
まさか猫に見られているなんて。
しかも猫に、俺の独り言を聞かれていたとは。
そうだよ。
モンルーユ王国の者から接待を受けてね。
その際、魅力的な女を紹介されて、ソイツに逢うために出費が嵩んで。
借金が増えて。
機密文書そのものがなくならなけりゃ、機密が外に漏れたとバレる気遣いはないと思ったんだ。
それに、たとえ写しが見つかっても、筆跡はアイツ、モラール・ナンティア尚書官のもの。
犯人はアイツとされることに変わりはない。
そしたら、まさかモラールの野郎、教皇様への訴えを希望して、それが聞き届けられるとは。
それもこれも、最近、〈裁きの聖女〉なんてのが誕生したせいだ。
証人がいないと知って安堵したのに、まさか猫が目撃者となって、あまつさえ、その目で見た映像までが映し出されるとは。
それに、なんだよ、人化って。
もう一人、変な女が現れて、猫を人に変えやがった。
奇蹟にも程度ってもんがあるだろう?
こうして俺は追い込まれてしまったってわけだけど、その間、カベニック枢機卿様が知らん顔なのは恐れ入った。
貴方が俺にモンルーユ王国との仲介役になれって命じたんでしょうが。
それなのに無視かよ。
ち、これで俺は監獄行きか。
残念だ。
せっかく、生意気なモラール・ナンティア尚書官に罪を着せることが出来ると思ったんだがなーー。
◇◇◇
皆の視線が、話の中で名前が上がった、カベニック枢機卿に向かった。
禿頭の枢機卿は、汗だくになりながら、言い訳をする。
「たしかに、私はヌレ・コンテヌブローに外交任務を課しました。
ですが、向こうのスパイに成り果てるとは思わずーー」
皆まで聞かず、教皇様は断を下した。
「管理責任は問わざるを得んな。
連れて行け」
カベニック枢機卿は肩を落としながら、退場していく。
ヌレ課長は呆然としたまま、自らの魂が語る自慢話めいた告白を耳にして、ぐったりとしてしまった。
監獄に収監されたのは、いうまでもない。
教皇様は大勢の枢機卿を引き連れて別の会議場へと身を移すが、その前に、エールとシャイマロット・ブールの女性二人に、中庭のテラス席でお茶席が用意されていることを伝えた。
「聖女様同士、ゆっくりとお過ごしなさい」
と言葉を添えて。
女性二人はお言葉に甘えることにした。
◇◇◇
当代の聖女二人がテーブルで向かい合って座り、紅茶をいただく。
周囲は深い緑で、白や赤の花も咲き乱れ、華やいでいた。
「私、自分以外の聖女様に逢うの、初めてです」
と、少しモジモジしながらエールが言うと、シャイマロット・ブールはニッコリと微笑んだ。
「私は何人かの聖女様にお会いしましたが、貴女のように可愛らしい聖女様は初めてですわ。
あのう、頭を撫でても?」
「え?
それは、ちょっとーー」
「ほら、ここにお菓子がありますよ。
これは隣国のタイラマナ王国のクッキーです。
美味しいんですよ。
ほら、ここにお座りになって」
と、聖女様は自分の膝をポンポン叩く。
お菓子に釣られて、エールは席を立ち、テーブルをぐるりと回って、シャイマロットの膝の上に座った。
クッキーは、たしかに美味しかった。
始終、聖女シャイマロット・ブールエールの銀髪頭をナデナデしていた。
エールはシャイマロットの膝上から、顔を見上げ、
「猫を人に化けさせるなんて、ビックリしました」
と正直に打ち明ける。
すると、シャイマロットの方も小首を傾げつつ言う。
「そうかしら?
私にしてみれば、貴女の魂の召喚の方がよほど驚かされましたわ。
魂になってしまうと、なんでも正直に包み隠すことなく、様々な秘め事まで話してしまうのですね。
怖い怖い」
「怖いでしょうか?
正直になるだけのことなのに?」
不思議そうにエールが問いかけると、成人女性の聖女様は口に手を当てた。
「ああ、貴女のような年齢ではわからないのでしょうね。
人が生きていくには、正直なだけでは済まされないのですよ。
残念ながら」
いかにも大人らしい意味深なセリフに、エールは、
「はあ」
と曖昧に受け応えるしかできない。
話題を切り替えた。
「ーーそういえば、あの黒猫は、これからは人として生きていくのでしょうか?」
「さあ。
私が術を解かない限り、思いのままに人になったり猫になったりできると思いますよ」
あの可愛らしい黒猫が、これからも人の姿で動き、喋ることもできると知り、エールは声を弾ませた。
「まるで魔法ですね!
ーーひょっとして、私を猫とかにすることもできるのですか?」
「ええ。その気になれば」
自分で問いかけておきながら、エールは大人聖女の返答を耳にして、内心、ゾッとした。
エールは恐怖で身を強張らせる。
それを見て、聖女シャイマロット・ブールは、優しく銀髪の少女を抱き締めた。
「あらあら。
怖がらないで、可愛い小さな聖女さん。
ほほほ。
そんなこと、しませんよ。
人を動物や魔物にするのは、教会法で禁じられているのです。
教皇様のご命令でもない限りは、たとえ敵国の兵士や強盗相手であっても、いたしませんよ。
まして、貴女のような可愛らしい聖女さんを人外にするだなんて、もったいない」
そう言って、大人聖女は、少女聖女の頭をナデナデする。
「また、お会いする機会もありましょう。
それまで、お元気で」
「はい」
そう言って、当代を代表する聖女二人は、しばしお茶を楽しんだ後、別れたのであった。
◇◇◇
翌日、当たり前のような顔をして、黒猫がエールの部屋に入ってきた。
そして、人化して、エールに向かって、深々と頭を下げた。
「エールの嬢ちゃん。
俺の主人だったモラール・ナンティア尚書官に命じられて、貴女を主人とすることになったからさ、俺に名前を付けてくれよ」
いきなりの要請に、エールは、すでに従者となっている白騎士ディアユーグの顔を見遣る。
先輩従者として、白騎士は歓迎の意を示した。
「どうぞ、ご自由に。
教皇様からのご許可は得ております」
誠実な従者の勧めを受けて、エールは人化した黒猫の頭に手を当てる。
「じゃあ、ジャンフリーっていうのはどう?
猫ってのは、自由気儘が信条なんでしょ?
貴方は気儘に振る舞ってるのが似合ってるから、じゃんじゃん自由気儘にしてちょうだいってことで」
短髪の黒い頭をあげ、黄金色の瞳を輝かせた。
「わかったよ、嬢ちゃん。
今日から俺はジャンフリーだ」
こうして、聖女エールは黒猫の化身、黒騎士ジャンフリーを従者に加えたのであった。




