◆14 黒猫との出逢い
聖女エールが黒白の騎士従者を使って、当たり前のように、諸国の裁判を取り仕切るようになる半年以上前ーー。
ペルソナ聖皇国の教皇庁にある、高位聖職者のみ列席を許された会議に、エールは呼び出された。
中央聖都のど真ん中に、ドーム状の屋根をいただく教皇庁がある。
ドームの天頂部分は分厚い天窓になっており、一階部分にある祈祷場にまで、陽光が差し込む仕掛けになっていた。
その光はちょうど教壇に立つ司祭に当たるようになっている。
その司教が立つ背後には祭壇があり、その背後に隣り合わせる位置に、司祭や枢機卿などの神職者が出席する御前会議室がある。
審神エンマを表す鏡を前にして、教皇ら、上位神職者のみが列席する会議を開く場所であった。
そうした一般信徒には非公開の会議室に、今日は、エールが座っていた。
彼女の前には、若き教皇アルファ様のみならず、二十名に及ぶ枢機卿様方も列席していた。
エールは教皇様に呼ばれて、この場違いとも言える場所に来ていたのだ。
「えっと、本日、私なんかが、こんな会議に呼ばれた理由はーー?」
アルファ様はいまだ二十代後半という若さで、聖職者会議において、満場一致で教皇に選出された傑物だった。
生まれながらの白髪で、黄金色の瞳を持ち、目鼻立ちもスッキリしたイケメンだ。
当然、女性からの人気も高く、さらには男性からも憧れの存在だ。
身長は二メートル近い巨躯で、筋骨も逞しく、諸国の騎士からも「聖職者にしておくのは勿体無い」と言われ続けていたほどだ。
聖女になったばかりに、そんな教皇様に親しく接せられて、エールは緊張しきりだ。
今日も教皇様みずから、エールに美顔を向けて語りかけてくださった。
「本日、〈裁きの聖女様〉をお呼びしたのは他でもない。
昨日、私に向けて、直接、訴えがなされたからだ。
この者によってね」
教皇様が視線を向けた先には、ボサボサの黒髪に丸眼鏡の若い男性が縮こまるようにして座っていた。(足下にはなぜか布をかぶせた不審なモノが置かれていた。特別に搬入するのを許されたらしい)
痩せ細った体躯ーーいかにもな隠キャな容姿ながら、気性は至って真面目そうな、モラール・ナンティアという二十代の青年神職者だった。
彼は教皇庁尚書院に勤める尚書官だ。
尚書院とは、教皇庁の公文書を管理する部門で、彼は文書保管課に在籍していた。
そんな彼が、ある事件により、上司の命令で聖騎士団によって捕縛された。
すると即座に、彼から聖騎士を介して、教皇様への訴えがなされた。
「自分は無実の罪で捕えられました。
不正を成したのは、告発者である上官ヌレ・コンテヌブロー課長です。
ぜひ、公正なる裁きを!」
その結果、上司ヌレと部下モラールが、互いに「相手が犯罪をおかした」と訴え合っている状態になってしまっていたのだ。
被告のモラールのすぐ隣には、彼とは対照的に、肥え太った体躯をした茶髪の中年男が座っていた。
彼が告発者である、上司のヌレ・コンテヌブロー課長だ。
どうやら、この痩せた若い男と太った中年男の、いずれが嘘をついているのか、見極めよ、ということらしい。
(なるほど。
さっそく、私の裁きの権能がホンモノかどうか、お試し、と来たようね……)
このとき、エールはいまだ裁判官として、冤罪にかけられた者を救い出してはいなかった。
実績と言えば、自分をいじめた、修道院の副院長の虚偽の訴えを退けただけ。
しかも、このときは我が身に降りかかった火の粉を払った格好だった。
自分に濡れ衣を掛けられたわけではない、まったくの他人の冤罪が防げるかどうか、試験しようというのだろう。
そのようにエールは捉えたのだが、彼女の考えていることを、教皇様は目敏く読んだようだった。
「試験だとか思って、気負わなくとも良い。
神様から授かった権能により、貴女が〈裁きの聖女様〉であることは明らかなのだ。
あとは実地経験を積まねばならぬのでな。
まずは身内である教会関係者の冤罪を防ぐことから、と思うたまでよ」
教皇様のみならず、二十名にも及ぶ枢機卿様方を前にして、エールは居住まいを正した。
「では、審議を始めます」
まず手始めに、エールは、上官ヌレ・コンテヌブロー課長に対して、部下のモラール・ナンティア尚書官を捕縛させた罪状を問うた。
すると、「機密文書の文面を勝手に写した挙句、その写しを紛失した」という。
その答えを聞いて、エールは素朴な疑問を持った。
「あのう……機密文書というのは、秘されるべき文書ということですよね?
それなのに、どうして写しがあるのですか?」
そこで、横合いから、声がかかった。
「写すよう命じられたからです。
上官のヌレ課長から。
でも、その写しを自分は失くしてなどおりません!
失くしたのはヌレ課長です」
と、被告のモラールが声を張り上げたのだ。
が、その言葉に覆いかぶさるようにして、上官のヌレ課長も野太い声を出した。
「機密文書を写せなどと、そんな命令は出しておらん。
言いがかりだ。
聖女様のご指摘通りです。
そもそもなぜ機密文書を写す必要があろうか?」
エールは小首を傾げた。
「でも、そうなると、わざわざこの人ーーモラールさんが、『自分は機密文書を書き写した』などと教皇様に訴えること自体、不可思議なことになります」
モラールは丸眼鏡を光らせ、痩せ細った胸を張る。
「私は教会に忠誠を誓っておりますから、嘘は申しません。
私は、このヌレ課長の命令に従って機密文書を書き写しました。
その後、写しの所在をヌレ課長に問うたら、いきなり、『機密文書を写せなどと命令しておらぬ』と言いがかりをつけられて、聖騎士団まで呼ばれてーー」
生唾を飛ばす部下に対抗するように、ヌレ課長は肥えた腹を突き出す。
「何を抜かす。
さっそく嘘と出鱈目ばかりを申しておるではないか。
この恥知らずめが。
だから、平民上がりの神職者など、アテにならんのだ」
上司と部下が、互いにいがみ合うのをやめない。
両者とも必死の形相だ。
だが、エールから見ても、怪しむべき人物は明らかだった。
仮に、被告モラールがほんとうに勝手に機密文書を写したとするなら、どうしてその写しが紛失したなどと訴える必要があるのだろうか。
自らの犯罪行為を暴露しているだけで、まるでメリットがなく、現に捕縛されてしまっている。
教皇様が特別に訴えを聞き届けてくださらなければ、このまま監獄行きになっただけだ。
ゆえに、論理的に見て、嘘を言っているのは上官のヌレ課長だと思われた。
だが、たしかな証拠はない。
手元にあるのは正式な機密文書のみであって、その写しが紛失した、とされているのだから、まるで空を掴むような話だった。
エールは、被告であるモラール尚書官に尋ねる。
「上官のヌレ課長が機密文書を写すよう命令を下した際、その様子を目撃した者はいないのですか?」
ヌレ課長はフフンと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
一方で、モラールは悔しそうに歯噛みしながら、言葉を搾り出した。
「誰もおりませんでした。
でも、強いてあげるならーー」
ここで、突然、足下に置いていたモノにかけられていた布を取り除く。
すると、小型の檻が姿を現した。
中に居るのはーー。
ニャア。
という、聴き慣れた啼き声ーー。
「猫!?」
エールが少女らしく紅い瞳を輝かせる一方で、モラールは丸眼鏡を光らせながら大真面目に言い切った。
「この猫が、そのとき、私の仕事机の下におりました。
彼が目撃者です!」と。
この黒猫こそが、聖女エールの従者となる、黒騎士ジャンフリーの前身であった。
◇◇◇
被告モラール・ナンティア尚書官の説明によればーー。
文書保管課の仕事部屋は、中庭に面していた。
中庭で休憩を取った際、そのたびに、紛れ込んだ黒猫を構ったり、餌をあげたりしていた。
そのうち、中庭に面する窓を開けて、仕事場で餌付けしたら、黒猫はより深く懐いてきた。
いつに間にか、お昼休みになると、モラールのデスクの下で、黒猫は丸まるようになった。
そうして数日が経った頃、モラールの後ろから、いきなり声がかかった。
「いつまで遊んでいる?」
大きなお腹を抱えた、上官のヌレ・コンテヌブロー課長だった。
モラールは慌てて振り向き、
「すいません」
と謝った。
課長は当たり前のように、書類をモラールの机に叩きつけた。
「この文書を写しておいてくれ」
と言いながら。
モラールが書類に目を落とすと、教皇様の印鑑と『極秘』という文字印が押されていた。
「これは機密文書なのでは?」
モラールが丸眼鏡を嵌め直しつつ問うと、ヌレは大きな腹をさすりながら応じた。
「そうだ。
これは教皇様が、いまだトリニティ教の教会が設立されていないモンルーユ王国の国王陛下へ送る親書だ。
ゆえに、これは誰にも見せてはいけないし、国によっては大金を払ってでも欲しがっているものだ。
とはいえ、教皇様から、この国に関するご下問がいつあるかもわからない。
我が課においても、控えとして保管しておきたい。
今夜中に書類を書き写しておいてくれ」
モラールはさっそく仕事に取り掛かり、一時間もかけずに完成させた。
正式文書と共に、書き写したものも、上司の机の上に置いておいた。
ところが、その日の午後、退勤時間の間際になってーー。
「書き写した文書の確認をお願いします」
とモラールは上官のヌレ課長に言った。
見ればすでに写しがなかったので、内容に不備がないか確認してもらいたかったのだ。
ところが、課長の反応は意外なものであった。
「書き写した?
何を?」
と問うてきたので、モラールは当然のように、
「モンルーユ王国の国王陛下に宛てた、教皇様による親書です」
と答える。
すると、突然、
「バカモノ!
これは機密文書ではないか!」
と、上官ヌレ課長は正式文書を手にして、激怒したのだ。
そして、ヌケヌケと言い放った。
「なに?
私から『機密文書を書き写しておいてくれ』と頼まれた?
そんなこと、頼むはずないだろう」と。
退勤途中の職場の皆から、モラールは疑念の眼を向けられる。
額に汗を浮かべつつ、モラールは声を裏返した。
「いえ、たしかに写しておくよう、言われました」
ヌレ課長は鼻息荒く、部下の言い分を突っぱねた。
「このモンルーユ王国に対する親書は、誰にも見られてはいけない。
だから、保管しておいてくれと言っただけだ。
それを、書き写すなんて、もってのほかだ。
おまえが勝手に書き写して、どこかで高値で売ったんだろう」
「そ、そんな!」
「コイツを投獄しろ!」
ヌレ課長は手にした鈴をカランカランと鳴らす。
非常事態発生の合図だった。
すぐさま五、六人もの聖騎士が飛び込んで来た。
「コヤツは国家の機密事項を漏洩した疑いがある。
捕えよ!」
ヌレ課長の号令を受けて、モラール尚書官は、あっという間に羽交締めにされた。
だが、必死に抵抗しつつ、身を寄せてきた聖騎士らに、モラール・ナンティア尚書官は嘆願したのである。
「き、教皇アルファ様にお伝えください。
これは濡れ衣です。
ぜひ、公正なるお裁きをーー!」と。
◇◇◇
かくして〈裁きの聖女〉であるエールが審議の場に呼ばれた、というわけであった。
教皇様や枢機卿様方を前にしても、告発者ヌレと被告人モラールは真正面から睨み合い続けている。
すると、いきなり黒猫が飛び上がって、ヌレ課長を爪で引っ掻いた。
「痛ッ!
この畜生め!」
ヌレ・コンテヌブロー課長は思い切り、猫を蹴飛ばす。
猫は吹っ飛んで柱に当たって、ぐったりしてしまった。
少女エールが慌てて駆け寄って、猫を抱きかかえる。
「神様の前で、なんてことするのよ!」
猫ちゃんへの暴力という点だけでも、エールの敵愾心はヌレ・コンテヌブロー課長に向かっていた。
猫はぐったりしている。
それでも、猫は抱き上げたら、息はあった。
「そうよね。
たしかに、この子が唯一の目撃者だというのなら、この子に聞いたら、何かわかるかも」
少女の言葉に、中年男は腹を抱えた。
「はっははは。
さすがに無理でしょう?
猫が喋れるわけない。
身なりに見合った、可愛らしい思い付きをなさる聖女様だ」
聖女エールは、ムッとして唇を窄める。
そして、黒猫を抱きかかえたまま、紅い瞳を爛々と輝かせた。
「たしかに、猫は喋ることはできません。
けれども、目に映ったものは、神様から授かった権能によって、映し出すことはできるかもしれません」
エールの言葉を耳にして、枢機卿様方がざわめき合う。
若い教皇様は鷹揚に促した。
「では、心の赴くままに念じてみよ。
〈裁きの聖女〉よ」
教皇様の勧めに応じて、エールは必死に念を凝らしてみた。
両手を重ねて、跪いて。
すると、教皇様のすぐ後ろに飾られていた審神エンマを表す鏡が、白く光り始めた。
やがて光が宙空へと延びていき、そこで、この場に居る誰もが目にできる映像が浮かび上がってきた。
エールは喜びで声を弾ませた。
「これこそ、猫ちゃんが見た映像です。
魂を媒介にして映し出すことができました!」




