◆17 二つの不可侵と王弟の愚行
ロザネット・リエポール伯爵令嬢を裁く裁判が開かれる、一週間前のこと。
モスリン王国から船で三日の距離にある、ペルソナ聖皇国教皇庁の宿舎にてーー。
聖女エールは仏頂面になっていた。
頭の中で、甲高い声が反響して、ウンザリしていたのだ。
黒騎士ジャンフリーが、黄金色の瞳を向けて、
「どうしたんだよ、ご主人。
浮かない顔をして」
と問いかけると、聖女は朝から食卓で頬杖をついて嘆息した。
「ロザネットというご令嬢が、ご立腹なのよ。
『私が殺人犯として捕まってしまった!
しかも親友のマルグリット様を殺した犯人として。
だけど、完全な濡れ衣なの!
王弟バブレオか、養父のガルソン、そのいずれかが犯人だっていうのに!』って。
『親友と一緒に修道院に入って、神様に祈りを捧げるつもりでした。
ですから神様、どうかお助けください。
親友の仇を討ち、同時に私をお救いください』
だって」
そう語ってから、聖女エールは首を傾げる。
「でも、どうして彼女が殺人犯と決め付けられて、そのバブレオとかガルソンといった者たちは捜査もされないのかしら?」
少女の疑問に、紅茶を満たしたポットを持ってきた白騎士ディアユーグが答えた。
白騎士は、昨日の段階で、主人の悩みを聞き、海の向こうにある外国で起きた裁判沙汰について、調査の手を伸ばしていた。
ここ聖皇国ペルソナでは、同じトリニティ教を信奉する国家のすべてに情報網が張り巡らされていた。
「ロザネット伯爵令嬢が拘束されたのは、ほとんど現行犯逮捕という形だったようです。
おかげで捜査に当たった第二騎士団では、完全にロザネット嬢が犯人だと決めつけているようで。
それに、例の二人には、触れたくないお国事情があります。
王弟バブレオは王族ですからね。
モスリン王国は王権が突出して強い国で、王族に対する捜査権自体が騎士団にはないようなのです。
そしてガルソン・リエポール伯爵は元外国人。
それも隣国貴族の出身で、隣国はモスリン王国の元宗主国であるブランキ帝国。
どちらもモスリン王国の騎士団では手出しし難い。
仮に濃厚な容疑がかけられたとしても、逮捕などもってのほかという、ほとんど治外法権的な存在のようです」
「どうせ裁けない、ということね!」
聖女エールはパンを一口齧ってから、立ち上がる。
「では、聖女たる私の権限で、この者たちを出廷させましょう。
そして、身の潔白を自分の口から証言させるのです。
発言で何かボロが出たら、その者が疑わしいと多くの者の前で明らかにできるわ」
幸い、被告ロザネット・リエポール伯爵令嬢は、修道院に入る予定だったらしい。
となれば、教会にも庇護する義務があるともいえる。
教会内、修道院内、及び外国の領事館は、モスリン王国においては治外法権なはず。
それに、モスリン王国とブランキ帝国、どちらもペルソナ聖皇国の影響下、トリニティ教を国教とする国家だ。
エールは、エヘンと胸を張った。
「モスリン王族もブランキ皇族も教会への献金を厚くしてくださり、現在のモスリン国王もブランキ皇帝もトリニティ教の信者です。
聖女の要請とあらば、裁判を取り仕切ることも、その二人に出廷を命じることも可能でしょう。
教皇様にお伝えして。
私がすぐにでもモスリン王国に出向いて、裁判を取り仕切りたい、と。
ああ、彼の国では裁判ではなく、審議会というのかしらね。
楽しみだわ!」
◇◇◇
そして一週間後ーー。
モスリン王国に辿り着いた聖女エールは、審議長に収まり、木槌でガン! と一打ちして、審議会の進行を司っていた。
さっそく、王弟のバブレオ・モスリン殿下ーー被害者マルグリット・ザンジェル公爵令嬢の婚約者に対する質疑応答が始まった。
審議長であるエールが直々に問いかけ、これに王弟バブレオが答える形で進行する。
短躯の銀髪少女が、腹がはち切れんばかりに肥満した、汗っかきの金髪中年男と問答するさまは、どこか滑稽な情景だった。
「王弟バブレオ・モスリン殿下。
貴方は四十二歳、十七歳のマルグリット公爵令嬢とは二十五歳も年齢が離れていますね。
まさに父親と言って良いぐらいの年嵩です。
それなのに、三年前に強引に婚約したと伺っておりますがーー」
「ああ、その通りだ。
問題あるまい。
ザンジェル公爵家夫妻の許可は取っているし、マルグリットにとっても、王族の胤を自らの胎に仕込めるのだ。
光栄に思うべきだろ?
それを、そこの殺人犯と修道院に入り込もうとしておったなど、言語道断!」
「ーー故人がどう思っていたかの正確なところは、直接聞くことが不可能となった今、推測するほかはありませんが……。
三年前、婚約当初、貴方は婚約者のマルグリット公爵令嬢が修道院どころか、学園に入学するのにすら反対だったそうですね?」
「当然であろう?
学園なんてものは、下級貴族や平民が行くところだ。
侯爵家や公爵家、王族の者が通うだなんて聞いたことがない。
伯爵家でもごく少数だ。
でも、結局、学園に入って、そこの人殺しと友達になっちまったってわけだ。
皮肉なもんだな」
「聞くところによれば、殿下はその婚約者に対して、頻繁に暴力を振るったそうですね?」
「俺様の許に嫁がずに、修道院に入りたいだなんて言うから。
でも、死んでしまった。
それも俺様ではなく、親友と称する女なんかに殺されたなんて。
笑っちゃうね」
ここで、被告席からロザネット伯爵令嬢が顔を真っ赤にして、
「私は殺してない!」
と叫んだが、王弟殿下はまるで意に介さないようだった。
「ああ、そうかい。
でも、俺様だってマルグリットを殺してはいない。
そもそも、どうして俺が、可愛いペットを殺さなきゃならないんだ?
それも、我が家に閉じ込める前に。
俺はね、徹底的に可愛がるよ。
あの子、マルグリットは俺のペットに相応しかった。
怒った顔も可愛かったし、蹴っても殴っても、俺様を睨み返してくるんだよ。
普通のオンナなら怯えた目をするだけなのにね。
公爵家の娘だから、プライドが高かったんだろうな。
でも、そのプライドをへし折ることができたらーー言いなりの奴隷にすることが出来たらーーこれ以上の悦楽はないだろ?」
審議会場を沈黙が支配した。
王弟バブレオが、王族切っての問題児(問題中年?)であることが、わずかな質疑応答だけで白日の下に晒け出された格好だ。
聖女エールは両手を組み、本題に入る。
「マルグリット嬢が殺された夜、殿下は何をなさっておいででしたか?」
「ああ、あの日の夜は王宮で舞踏会があるからな。
俺は、少し早目に出かけた。
俺なりに計算があったのさ。
婚約者としてマルグリットをエスコートしに、ザンジェル公爵邸に馬車で乗り付けたのだ。
ところが、マルグリット嬢は我儘を言って、部屋から出ようとしない。
だから、ザンジェル公爵家夫妻に大見得を切ったんだ。
『俺に任せろ、お嬢さんは俺が王宮に連れ出してやる!』
そう言って、ザンジェル公爵夫妻には、先に王宮に出向いてもらった。
そして俺は公爵邸にそのまま残った。
ちなみに、ザンジェル公爵家の侍女は、俺の言いなりになる者が多くてね。
何人もの侍女が総出でマルグリット嬢の部屋まで、すぐに案内してくれたよ。
それから何をしたかって?
わかるだろ?
押し入ったんだよ。
扉を斧で壊させて。
それでもマルグリットの奴、ベッドにしがみつくのでな。
これ幸いと、俺は衣服を脱いで、マルグリットの寝込みを襲ってやったわ。
でも、逃げられた。
あの傍聴席に座ってるババアが証人だ。
あのババアの侍女だけが、俺様の言うことに、ことごとく反抗しやがった。
おい、ババア!
ここに来て、俺様がマルグリットを殺していない、ちょっと犯そうとして失敗しただけだって証言してくれ」
傍聴席にいた、喪服姿の老女が立ち上がる。
女性にしては長躯の、皺だらけで白髪混じりの女性だった。
ざわめく聴衆の中を、老女は堂々と進む。
そして、ザンジェル公爵家に長年仕えてきた老侍女マーシュが証言台に立つ。
聖女エールに黙礼すると、さっそく当時の状況説明を始めた。
「私は旦那様や奥方様と違って、お嬢様が王弟殿下とご婚約なさることに反対でございました。
あのような中年男性がお相手では、いくら王族といえど、マルグリットお嬢様がお可哀想です。
ですからお嬢様には、王弟殿下から逃げていただきました。
とりあえず、ザンジェル公爵邸の裏庭にある侍女屋敷へと避難していただいたのです。
あそこにはお嬢様の乳母もおりましたから。
お嬢様を手籠にできずに憤慨して、王弟殿下が物に当たり散らして騒いでおられる隙を見て、私は本邸から侍女屋敷に伺いました。
すると、マルグリットお嬢様は、乳母の部屋の隅で震えておりました。
ほんとうにお可哀想でした。
旦那様も奥方様もおられないのに、このまま扉の壊れた部屋にお帰りいただくのも憚られます。
もっとも、お二人がおられましても、バブレオ殿下には逆らえませんので、お嬢様の悲しみは解消されません。
私は、マルグリットお嬢様が修道院にお逃げなさるつもりだったのは伺っておりましたから、すぐにもここから出て行った方が良いという旨をお伝えしました。
するとお嬢様は、パッと明るい顔をなさって、
『リエポール伯爵邸へ馬車を走らせましょう。
明日になれば、私は自由よ!』
とおっしゃっておられました。
それがまさか、こんなことになって……」
老侍女マーシュは涙を拭う。
「じつは私にも、ロザネット様が殺人犯などとは到底、思われません。
是非とも真犯人を炙り出して裁いてくださるよう、聖女様にお願い申し上げます」




