第27話 幽霊——または、名前の重さについて
ユキ。
その名前が、聖司の頭の中で響いていた。
高橋教授の娘。二十年前に病気で亡くなった、一人娘。
教授は、生前、一度だけ彼女のことを話してくれた。
「私の全てだった」と。
「彼女を失ってから、私は物語を信じられなくなった」と。
「先生?」
イリアの声が、遠くから聞こえた。
「どうしたんですか? 急に……」
聖司は、答えなかった。
立ち上がり、書棚に向かった。
禁書庫から持ち出した『設計仕様書』。
その中に、何かが隠されているはずだ。
深夜。
イリアは帰らせた。
聖司は、一人で仕様書と向き合っていた。
ページをめくる。文字を読む。
だが、求めているものは見つからない。
「隠しているな、教授」
聖司は、仕様書を光にかざした。
すると——
文字が、浮かび上がった。
行間に、余白に、見えないインクで書かれた文字が。
魔法的に隠蔽された——高橋教授の私的な手記だった。
『第7章 世界の未来(私的覚書)
この世界は、完成した。
法体系も、魔法体系も、種族設定も、全て計画通りだ。
だが、まだ足りない。
この世界に、「彼女」がいない。
ユキがいない。
私の娘が、この世界のどこにもいない。』
聖司の手が、震えた。
『私は考えた。
物語の中でなら、死んだ者を生き返らせることができる。
法律の中でなら、存在しない者に権利を与えることができる。
ならば——物語と法を融合させれば、ユキを「定義」し直すことができるのではないか。
彼女の魂を、新しい器に移すことができるのではないか。』
「教授……」
聖司の声が、かすれた。
「あんた、まさか——」
『エルフの少女を選んだ。
長命種。記憶を蓄積しやすい。そして——ユキに、少しだけ似ていた。
彼女を「支援要員」として設計し、転生者の側に配置した。
転生者が彼女と過ごす中で、彼女の「器」が熟成される。
やがて、ユキの記憶が定着し——娘は、この世界で蘇る。』
聖司は、仕様書を机に叩きつけた。
「ふざけるな……!」
怒りが、体の奥から湧き上がってきた。
「イリアは、あんたの娘の『器』じゃない……!」
さらにページをめくる。
手記は、続いていた。
『問題がある。
「器」の熟成には、観察者が必要だ。
彼女を見守り、彼女と絆を結び、彼女をこの世界に繋ぎ止める存在。
「楔」となる者が必要だ。
私を最も憎み、そして最も理解する者。
あの教え子——湊聖司なら、適任だろう。
彼は、私の期待を裏切った。だが、彼には「物語を読む才能」がある。
彼なら、ユキの魂を見守ることができる。』
聖司は、椅子に崩れ落ちた。
自分が召喚された理由。
それは、この世界を「デバッグ」するためではなかった。
教授の娘——ユキの「器」を見守るため。
イリアが「ユキ」になるのを、助けるため。
「俺は……『楔』だったのか」
聖司は、天井を見上げた。
「教授。あんたは法を愛していたんじゃない」
声が、震えていた。
「法という『器』を使って、死んだ娘の幽霊を捕まえたかっただけだ」
涙が、頬を伝った。
「教授、これは実務家として言わせてもらう。あんたのこの設計は、救いようのない『違法』だ」
夜明け前。
聖司は、仕様書を閉じた。
頭の中で、用語が渦巻いていた。
証拠調べ(エグザミネーション)。
利益相反。
不当利得。
教授は、「公的な立場(世界の設計者)」と「私的な利益(娘の再生)」を混同した。
イリアの命そのものが、世界のバグから得られた「不当な利得」かもしれない。
だが——
「それでも」
聖司は、呟いた。
「それでも、イリアは——今、ここにいる」
朝。
事務所のドアが、静かに開いた。
イリアが、立っていた。
目は赤く腫れていた。一晩中、泣いていたのだろう。
「先生」
「……イリア」
「私、夜通し考えました」
イリアの声は、震えていた。
「私は——ユキなんですか?」
「私は、先生が助けてくれた『イリア』じゃないんですか?」
聖司は、イリアを見つめた。
156歳のエルフの少女。
第1話で、奴隷市場から救い出した。
11年間、共に過ごしてきた。
彼女の笑顔も、涙も、全て——見てきた。
「イリア」
聖司は、立ち上がった。
イリアに、近づいた。
彼女の肩に、手を——
伸ばしかけて、止まった。
仕様書の警告が、頭をよぎった。
『転生者が「目的外利用」——すなわち、個人的な感情を優先した場合、支援要員は「消去」される』
イリアを抱きしめれば、彼女は消えるかもしれない。
彼女を「イリア」として愛すれば、「ユキ」としての定着が妨げられ——システムに排除されるかもしれない。
「先生?」
イリアが、不安そうに聖司を見つめていた。
「ああ、お前はイリアだ」
聖司の声は、かすれていた。
「少なくとも、俺の『書類』の上ではな」
その瞬間——
イリアの瞳が、光った。
一瞬だけ、見たこともない琥珀色に。
「え……?」
イリアが、自分の目を押さえた。
「今、何か……私の中で……」
聖司は、後ずさった。
イリアの体に、何かが起きている。
仕様書通りの——変異が、始まっている。
「先生……助けて……私、怖い……」
イリアが、聖司に手を伸ばした。
聖司は——
その手を、取れなかった。
第27話 完
次回予告
第28話「選択——または、書類の限界について」
「イリアの体に、『ユキ』の記憶が定着し始めている」
「止める方法は」
「仕様書を書き換えるしかない。だが、それには——」
「それには?」
「お前が、『楔』であることを、やめなければならない」
——イリアを救うか、イリアを「ユキ」にするか。
聖司は、行政書士として——そして、一人の人間として、選択を迫られる。




