第25話 先代——または、もう一人の自分について
翌日、聖司はルシエラを訪ねた。
「魔力の残滓を読み取る道具を貸してくれ」
ルシエラは、眉をひそめた。
「何に使うの」
「証拠保全だ。この職印に宿った、持ち主の記憶を確認したい」
聖司は、床下から見つかった職印を見せた。
ルシエラの顔が、強張った。
「これ、あなたの職印じゃないわね」
「ああ。『先代』のものだ」
「先代?」
「俺の前に、この事務所にいた男のものだ」
ルシエラは、しばらく職印を見つめていた。
やがて、奥の棚から小さな水晶球を取り出した。
「これを使いなさい。魔力同調装置よ。職印に触れながら、この水晶を握れば——持ち主の記憶が、あなたの中に流れ込む」
「副作用は」
「精神的な負荷がある。他人の記憶を追体験するのは、魂を削る行為よ」
聖司は、水晶球を受け取った。
「構わない」
事務所に戻った聖司は、イリアとバルザックを外に出した。
「先生、一人で大丈夫ですか」
イリアが、心配そうに聞いた。
「大丈夫だ。少し、確認したいことがある」
「でも——」
「イリア」
聖司は、イリアの肩に手を置いた。
「お前のことは、信じている。だから、俺を信じて待っていてくれ」
イリアは、少し俯いてから、頷いた。
「分かりました。待っています」
一人になった事務所。
聖司は、机の上に二つの職印を並べた。
自分のものと、先代のもの。
形は同じ。刻印も同じ。
だが、傷の位置が違う。
俺は、二人目だ。
では、一人目は誰だ。
聖司は、先代の職印を左手で握り、右手で水晶球を握った。
意識を集中する。
すると——
世界が、反転した。
目の前に広がったのは、見慣れた風景だった。
ミサト市の街並み。
だが、何かが違う。
色がない。
建物も、道も、人も全てがセピア色に染まっている。
そして、人々の動きが——ぎこちない。
まるで、プログラムで動かされているマネキンのようだった。
「これが11年前のミサト市か」
聖司の声は、誰にも聞こえなかった。
これは、記憶の中の世界。
聖司は、傍観者として、先代の記憶を追体験している。
視界の中心に、一人の男が現れた。
黒い髪。黒い目。整った顔立ち。
自分と——同じ顔だった。
だが、その目は聖司よりも鋭く、冷たかった。
「一人目の湊聖司」
先代は、事務所に向かって歩いていた。
その足取りは、迷いがなかった。
まるで、全てを知っているかのように。
場面が切り替わった。
事務所の中。
先代が、机に向かって書類を書いている。
完璧な筆致。一切の乱れがない。
その横には——
「イリア?」
聖司の心臓が、跳ねた。
先代の横に、イリアがいた。
今と変わらない姿。今と変わらない笑顔。
「先生、お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとう」
先代は、イリアに微笑みかけた。
その笑顔は——聖司がイリアに向ける笑顔と、全く同じだった。
また、場面が切り替わった。
深夜の事務所。
先代が、一人で書類を読んでいる。
その書類は——『設計仕様書』だった。
「支援要員」
先代の声が、震えていた。
「イリアは、俺の精神安定のために『配置』された存在なのか?」
先代は、仕様書を机に叩きつけた。
「ふざけるな……! 彼女は、俺の助手だ。俺が救った女の子だ。設計された『部品』なんかじゃない!」
場面が、また切り替わった。
禁書庫。
先代が、何かを書き換えようとしている。
「仕様書を改竄する。イリアの消去条件を、削除する」
先代の手が、震えていた。
「職務放棄と言われようが、構わない。俺は、この世界のデバッガーじゃない。俺は——行政書士だ」
その瞬間——
黒い影が、先代の背後に現れた。
『ルールの番人として、警告する』
影の声が、響いた。
『転生者・湊聖司。汝は、仕様書の改竄を試みた。これは、同一性保持の規定に違反する』
「知ったことか」
先代は、振り返らずに言った。
「俺は、イリアを守る。たとえ、世界のルールを壊すことになっても」
『ならば——汝を、消去する』
影の腕が、先代に伸びた。
先代は——抵抗しなかった。
ただ、静かに笑った。
「やっぱり、俺は完璧すぎたんだな」
『何?』
「完璧に仕様書を理解して、完璧にデバッグして、完璧に世界を運営しようとした。——だから、完璧に絶望した」
先代の体が、光に包まれ始めた。
「でも、次の俺は——きっと、もっと泥臭く、もっと間違えながら、もっと強く生きる」
先代は、最後に職印を握りしめた。
「湊君」
その声は——聖司に向けられていた。
「君がこれを読んでいるなら、高橋教授の計画は『次の段階』に入ったということだ」
聖司は、息を呑んだ。
「いいか。今のイリアは——俺が救った『オリジナル』ではない」
「何だと?」
「俺が消去された時、オリジナルのイリアも——巻き添えで消えた。今、君の側にいるイリアは——」
先代の体が、光の中に溶けていく。
「——世界が、君のために『再配置』した、新しい支援要員だ」
光が、弾けた。
先代の姿が、消えた。
聖司は、現実に戻った。
手の中の職印が、冷たくなっていた。
もう、魔力の残滓は残っていない。
先代の記憶は、全て——聖司に引き継がれた。
「先代」
聖司は、呟いた。
「あんたは完璧すぎて、この世界に絶望したのか」
答えはない。
「悪いな、俺はあんたほど利口じゃない。泥をすすってでも、この『中途半端な日常』を守らせてもらうぜ」
聖司は、立ち上がった。
そして——事務所のドアを開けた。
「先生!」
イリアが、駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか? 顔色が悪いですよ」
「ああ、大丈夫だ」
聖司は、イリアを見つめた。
今と変わらない笑顔。今と変わらない瞳。
だが——
——今のイリアは、俺が救った『オリジナル』ではない。
先代の言葉が、頭の中で響いていた。
「先生? どうしたんですか?」
イリアが、不思議そうに聖司を見つめている。
聖司は——
答えられなかった。
目の前にいるこの少女は、誰なのか。
11年前の記憶を持たない、新しい「イリア」なのか。
それとも——
「何でもない」
聖司は、目を逸らした。
「少し、疲れただけだ」
イリアは、心配そうな顔をしていた。
聖司は、その顔を——直視できなかった。
第25話 完
次回予告
第26話「疑惑——または、信じたいものについて」
「イリア。お前に、聞きたいことがある」
「はい、先生。何ですか?」
「お前は11年前のことを、覚えているか?」
「11年前? すみません、よく分かりません」
——先代の記憶が、聖司の心に影を落とす。
目の前のイリアは、本当に「イリア」なのか。
そして、聖司は——彼女を、信じることができるのか。




