第24話 矛盾——または、存在証明について
「お前は、本当に『湊聖司』なのか」
ヴィクトールの問いが、事務所に響いた。
聖司は、11年前の書類を握りしめていた。
日本で最後に書いた遺産分割協議書。
その完全なコピーが、なぜかこの世界に存在している。
「俺は湊聖司だ。日本で生まれ、日本で死に、この世界に転生した」
「その『記憶』は、本物か?」
「本物だ。俺の48年間は——」
「ならば、この書類を説明しろ」
ヴィクトールが、書類を指差した。
「お前が生まれる前に、お前の筆跡で書かれた書類を」
聖司は、書類を精査した。
【契約視認】を発動する。
青い文字が浮かび上がる。
『遺産分割協議書
作成日:帝国歴391年 霜月3日
作成者:湊聖司
作成場所:ミサト市行政書士事務所
【備考】筆跡鑑定:本人確認済み
一致率:100.00%』
100%。
完全一致。
聖司の筆跡と、この書類の筆跡が、魔法的に「同一」と判定されている。
「見ろ、湊。この書類の筆跡は、お前のものだ」
聖司は答えなかった。
「お前が11年前にこの世界に来たなら、この書類は説明がつかない。だが、お前が最初からこの世界に『設計』されていたなら——」
「待て」
聖司の声が、鋭くなった。
「この一致率、おかしい」
「何がおかしい」
「100%だ。完全一致。——そんなことは、あり得ない」
聖司は、書類を机の上に広げた。
「人間の筆跡は、毎回微妙に異なる。同じ人間が同じ文字を書いても、筆圧、角度、速度——全てが僅かに変わる」
「それがどうした」
「100%一致する筆跡など、存在しない。人間である限り、必ず『揺らぎ』がある」
聖司は、ヴィクトールを見据えた。
「この書類が俺の筆跡と100%一致するということは、逆に——これが『複製』だという証拠だ」
ヴィクトールの目が、わずかに揺らいだ。
「もう一つ、証拠がある」
聖司は、書類の一点を指差した。
「この文字を見ろ。『相続人』の『続』の字だ」
「普通の字に見えるが」
「普通だ。——だから、おかしい」
聖司の声が、震えた。
「俺がこの書類を日本で書いた時、俺は極度の過労状態だった。三日間、一睡もしていなかった。手が震えていた」
ヴィクトールは黙って聞いている。
「『続』の字の『売』の部分。俺は、上の横棒を書き損じた。震えて、線が二重になった。——それが、俺の『筆跡の癖』だ」
聖司は、書類を叩いた。
「だが、この書類の『続』は、完璧だ。書き損じがない。俺の手の震えが、再現されていない」
沈黙が流れた。
イリアが、息を呑んで聖司を見ている。
ヴィクトールは、無表情のまま立っていた。
「仕様書は完璧だったかもしれないが、人間はもっと汚くて、もっと間違える」
聖司は、立ち上がった。
「この『間違い』こそが、俺がここに生きている証拠だ」
ヴィクトールの表情が、わずかに揺れた。
「記録に残らない、数値化できない、再現できない——人間の『揺らぎ』。それが、俺の『存在証明』だ」
ヴィクトールは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「……さすがだな、湊。高橋が選んだ理由が、また少し分かった」
「教授の名前を出すな」
「出さざるを得ない。——お前は、彼の『傑作』だからな」
ヴィクトールは、部下たちに目配せした。
「撤収だ。今日の監査は、ここまでとする」
監査官たちが、ぞろぞろと事務所を出ていく。
聖司は、安堵の息を——
「湊」
ヴィクトールが、出口で立ち止まった。
振り返らずに、言った。
「お前が本物だとしても、喜ぶのは早い」
「何?」
「禁書庫の『失敗リスト』を見ろ」
ヴィクトールの声が、冷たくなった。
「お前は——『二人目』だ」
聖司の心臓が、止まりそうになった。
「二人目……?」
「最初の『湊聖司』は、11年前に——この事務所で、お前と同じ顔をして死んでいる」
ヴィクトールは、そのまま事務所を出ていった。
静寂が、事務所を包んだ。
聖司は、立ち尽くしていた。
——二人目。
——最初の湊聖司は、死んでいる。
頭の中が、真っ白になった。
「先生……?」
イリアの声が、遠くから聞こえた。
「先生、大丈夫ですか……?」
聖司は、答えられなかった。
自分は、「二人目」。
では、「一人目」は誰だ。
なぜ、死んだ。
そして——自分は、本当に「湊聖司」なのか。
夜になっても、聖司は動けなかった。
イリアが淹れてくれたお茶も、冷めたまま机の上に置かれている。
バルザックが、心配そうに聖司を見ていた。
「おい、湊。何があった」
聖司は答えない。
「あの監査官、何を言った」
聖司は、ゆっくりと顔を上げた。
「バルザック。この事務所、俺が借りた時、何か変わったことはなかったか」
「変わったこと?」
「床とか、壁とか。何か——隠されていたものとか」
バルザックは、首を傾げた。
「いや、特には……。ただ、床の一部が、妙に新しい板で張り替えられていたな。前の住人が何かこぼしたんだろうと思っていたが」
聖司は、立ち上がった。
「どこだ」
「え?」
「その床。どこだ」
聖司は、バルザックが指差した場所に向かった。
事務所の奥。書棚の裏。
確かに、その部分だけ、床板が新しかった。
聖司は、工具を取り出した。
「先生、何をするんですか」
イリアが、不安そうに聞いた。
「確認する」
聖司は、床板を剥がし始めた。
釘が抜ける。板が外れる。
その下には——
「……これは」
聖司の手が、止まった。
床下に、小さな木箱が埋められていた。
埃を被り、蜘蛛の巣が張っている。
長い間、誰にも触れられていなかった。
聖司は、震える手で木箱を取り出した。
蓋を開ける。
中には——
職印があった。
古びた、金属の印鑑。
その刻印には——
『湊聖司 行政書士』
自分と同じ名前。
自分と同じ職業。
だが、これは——自分のものではない。
「先生……これ……」
イリアが、震える声で言った。
「先生の、職印じゃ……」
「違う」
聖司は、首を横に振った。
「俺の職印は、ここにある」
聖司は、懐から自分の職印を取り出した。
二つの職印を、並べて置いた。
形は同じ。刻印も同じ。
だが——
「傷の位置が違う」
聖司の職印には、右上に小さな傷がある。
日本から持ってきた、十三年来の相棒についた傷だ。
だが、床下から出てきた職印には、その傷がない。
「これは——『一人目』の職印だ」
聖司は、床下の職印を握りしめた。
冷たい金属の感触。
だが、その冷たさは——どこか、懐かしかった。
「一人目の湊聖司。お前は、誰だ」
答えはない。
ただ、二つの月が、窓の外で静かに輝いていた。
第24話 完
次回予告
第25話「先代——または、もう一人の自分について」
「この職印、魔力の残滓が残っている」
「残滓?」
「持ち主の記憶の断片だ。触れれば、最後の瞬間を——」
「見せてくれ。俺は、知らなければならない」
——床下から見つかった、もう一人の「湊聖司」の遺品。
その記憶が明かす、11年前の真実とは。




