528.その気持ちだけで充分
夜になると、アンナは約束通りトラヴァスの部屋へ向かった。
中に入るとすでに夕食の準備がなされていて、いい香りが鼻孔をくすぐる。
「わざわざ着替えてきてくれたのか」
迎えてくれたトラヴァスが、アンナの服に視線を落とした。着飾る気にはなれなかったので、暗めのワンピースだ。
「騎士服では食事した気分にならないのよ」
理由を告げると、トラヴァスは無言で椅子を引いてくれる。そっと着席すると、トラヴァスも対面に座った。
彼は白いグローブをつけたまま、乾杯もせずに食事をとり始める。
居心地のいい沈黙。いくらか食べ進めたところで、アイスブルーの瞳が向けられる。
「今日のアンナはおかしかったな」
責める響きはなかった。ただの事実を告げるような、淡々とした声。
「なにかミスをしでかした覚えはないけれど」
ナイフを動かしながら答える。逆にトラヴァスの手は止まり、まっすぐな視線がアンナへと押し寄せた。
「だが、なにかあったはずだ。伊達にアンナと長く付き合ってはいないからな。それくらいはわかる」
トラヴァスとはもう、十一年もの付き合いになる。
だがそれでも、ティナのことで落ち込んでいるとは結びつかなかったのだろう。
姉妹だと気付かれないようにしていたのだから、無理もない。
フォークに刺した人参のグラッセを、ゆっくりと口の中へ運び込む。
そんなアンナの仕草を、トラヴァスはわずかに眉を寄せながら見つめている。
「シウリス様となにかあったのか?」
問いに、なにをどう答えるべきか迷った。シウリスとのことは、色々とあり過ぎて。
その中で、一番衝撃だったことと言えば──
「そうね。グレイの死の真相を聞いたわ」
「グレイの?」
トラヴァスらしからぬ、驚きの声音が吐かれた。
その顔は、深刻さと慎重さが混ぜ合わさっている。
「どんな理由だった」
即座の疑問。
大事な仲間の死の理由を、きちんと確かめるための。
「気分のいい話じゃないわよ」
「わかっている。相手がシウリス様ではな」
聞く覚悟は決まっている。そう言わんばかりの言葉に対し、アンナはしばし口を開けなかった。
これを言えば、トラヴァスはシウリスに対して悪印象を持ってしまうだろう。
今は一致団結しなければいけない時だ。無用な反感は避けたいところだ。
しかし、グレイの死の真相を知りたいと思う気持ちもわかる。
そして──アンナ自身、この話を誰かに聞いてもらいたかった。
「あなたたちもやったでしょう? あの指輪を見つけ出すゲームを」
ゆっくりと言葉を形にすれば、トラヴァスは一瞬固まったように動きを止める。
「……まさか」
「ええ。グレイもそれを……やらされていた」
視線を落とす。左手の薬指には、グレイに貰った銀色の指輪。
それを見るだけで、胸が引き裂かれそうだった。
トラヴァスはなにも言わず、ただ次の言葉をじっと待っている。
「詳細は私にもわからない。だけど……指輪を見つけられなかったら、おそらく私が危険な目に遭っていた」
トラヴァスの目がわずかに細まった。嫌忌の表情だと悟る。
「グレイは指輪を見つけ出せなかった。でも──自分が死ぬ代わりにアンナには手を出すなって……そう、言ったらしくて……」
「アンナ……」
言葉に出した途端、込み上げてきそうになった。グレイの気持ちを思うと、どうしたって胸が痛くなる。
それでもアンナは心を飲み込む。気を遣わさないように、何事もないフリをして食事を続ける。
トラヴァスはなにかを思案するように、しばらくそのまま動かなかった。
無言のまま、ナイフとフォークの音だけが部屋に小さく落ちる。
やがて、食事はお腹の中へと消えていた。
「ありがとう、ご馳走様」
アンナはそう言って立ち上がる。
トラヴァスはやはり無言のまま、なにかを考えていた。
グレイに思いを馳せているのだろう──そう思ったアンナは、邪魔しないように彼の隣を通り過ぎる。
その時。手が握られた。
白いグローブ越しのトラヴァスの指。わずかに熱が伝わってくる。
アンナは思わず目を見張った。
触れられたことはある。怪我をした際には運んでくれた。カールが重体の時は、励ますように背を叩いてくれた。
だが──
これはそれらとは違う。
明らかな、意思のある接触。
「トラヴァス……!?」
困惑の声が飛び出る。
立ち上がったトラヴァスの、離すまいとする指先。呼吸は目の前。
「今日は──泊まっていきなさい」
耳元で囁かれた言葉に、息が止まる。心臓は驚くほど跳ね上がった。
その意味がわからないほど子どもではない。
トラヴァスのアイスブルーの瞳は、驚くほど透き通っていた。冗談が言えるような男でないことは百も承知だ。
だが、そこにあるのは……きっと同情。そして慰め。
アンナはそっと首を振る。
「泊まらない」
「なぜ?」
「グレイ以上の人じゃないと嫌なの」
「そんな男はそうそういない」
「そうね」
トラヴァスにじっと見つめられる。その視線は、いやらしいものではなかった。
胸に響くような……心地良く、それでいて優しい瞳。
「私はアンナを助けたいと思っている。友人としても──それ以上の存在としてもだ」
心に甘い痛みが触れた。
胸の奥がじわりと温度を帯び、肌が淡く痺れる。
心が、体が、わずかに安心へと傾いていく。
けれど。
強く瞼を閉じる。理性が息を吹き返す。
そっと瞳を見せながら。アンナはトラヴァスの優しい手を、ゆっくりと離した。
「──その気持ちだけで充分」
嘘のない本音。
視線が重なった。数秒……十数秒。
やがてトラヴァスはふっと息を吐き、アンナは微笑を浮かべる。
「ありがとう、トラヴァス。話を聞いてくれて……嬉しかった」
彼は、なにも言わなかった。けれど無表情のようでいて、どこか柔らかさも滲んでいる。
トラヴァスのことは、大切な友人だ。
これからもずっと、この関係が続けばいい──そう願っている。
だが扉に向かい、部屋を出ようとしたその時。
「アンナ」
声を掛けられ、振り向いた。
そこには、いつも以上に真面目なトラヴァスの顔。
「私は他の騎士も……カールをも出し抜くつもりでいる。覚えておいてくれ」
アイスブルーの瞳に射抜かれたように、アンナは言葉を発せなかった。
ただその眼から逃れるように扉を開け、足速にその場を去る。
トラヴァスの気持ちがわかりづらいのは、今に始まったことではない。
真意を計り兼ねる言葉など、日常茶飯事だ。
だが、それでも──
(……あまり、深く考えてはいけないわね)
考えかけて、首を振る。
アンナは廊下を一人歩きながら、彼の言葉を胸の奥に仕舞い込み──そっと、鍵を掛けた。




