512.急ぐ書類でもない
トラヴァスは自室で、静かに荷物を改めていた。
机の上に整然と並べられているのは、昨日の夕刻、幽閉所に収容したティナの所持品である。
装備は無駄がない。
武器は短剣が一本。刃こぼれはしていないが、使い込まれていることは一目でわかる。
ヒップバッグの中には、乾いた携帯食が数日分と水筒。さらに、繊維がほつれかけた布の手袋が入っていた。
どれも実用一点張りで、贅沢さとは無縁だ。
その中に、ひとつだけ異質なものがあった。
──小さな贈答用の木箱。
(これは……)
指先で重みを確かめ、トラヴァスはゆっくりと蓋を開いた。
内部に収められていたのは、淡く青い光を宿した液体の入った小瓶。
(中級ポーション……!)
思わず息を呑む。
取り出し、角度を変えて光に透かす。
液体の色味、粘度、瓶の加工──どれを取っても紛れもない本物だ。しかも保存状態は良好で、使用期限にもまだ余裕がある。
まさに、トラヴァスが求めていた代物だった。
だが捕虜の所持品はすべて軍の管理下に置かれる。それが原則だ。
しかもティナの処遇は未だ決定されていない。現段階で勝手に使用すれば、後に問題となるのは明白だった。
仮に、彼女を交渉材料としてフィデル国へ返還することになれば──その際、私物に手をつけていた事実は国の信用を大きく損なう。
些細な一件であっても、外交の場では決して軽くは扱われない。
トラヴァスは小さく息を吐き、瓶を木箱に戻した。
(誰かからの贈り物のようだな)
所持品リストに中級ポーションと記載しようと、万年筆を走らせかける。
手が止まった。
贈った者の意図は想像に難くない。大切に思う相手へ、万一の備えとして託したのだろう。
それを押収し、軍の備品として扱うことは正当な処置だ。だが、胸の奥にわずかな引っかかりが残る。
(急ぐ書類でもない)
ティナの処遇が決まってからでも遅くはない。
トラヴァスは筆を置き、記載を保留した。
ヒップバッグの中には、他にも小さな手帳があった。
中身に目を通したが、遺跡に関する断片的な記録ばかりで、特筆すべき情報はない。
(ただのトレジャーハントか……だがカジナルの〝金策担当〟に遺跡を踏み荒らされるのは看過できんが)
思考を巡らせていた、その時。扉が無遠慮に開いた。
「おい、トラヴァス」
「カール。どうだった、ティナの様子は」
赤髪の男が気安い調子で中へと入って来た。
幽閉所に入れた時、ティナは恐怖でまともに会話ができる状態ではなかった。
一晩経った今、どこまで落ち着きを取り戻したのか──それが気に掛かる。
「元気ってわけじゃねぇけど、普通に話せたぜ。遺跡でなにやってたのか聞いても、〝金策だ〟の一点張りだったけどよ」
「……ふむ」
トラヴァスは顎に手を添え、わずかに視線を落とした。
トレジャーハンターが国境を越えること自体は珍しくない。実際、金策のために遺跡へ入るという話も不自然ではなかった。
だがカジナル軍に所属している以上、その行動が政治的な意味を帯びることは避けられない。
それを理解できないほど彼女は愚かだとは思えなかった。
「……なにか、裏がありそうだがな」
「金策じゃねぇってことか?」
「実際、荷物に宝などなかった」
淡々と事実を並べる。
中級ポーションはあった。だが遺跡で見つけたなら、贈答用の木箱になど入っていないはずだ。
「ただ単に、なんも見つけられなかったんじゃねぇの」
「カジナルの〝金策担当〟とまで呼ばれる者がか?」
「そう言われりゃそうだな。けど探索する前に捕まったってことも考えられるぜ」
「確かにそうだが……」
言葉は続かなかった。
可能性はいくつもある。しかし、どれも決定打に欠ける。
結局のところ、本人の口から引き出すしかない。
「カール。時間がある時にでいい。ティナから聞き出せ。ただし、拷問はなしだ。まだどういう扱いになるかは、確定していないからな」
「わかった。けど金策以外の理由が出てくるとは思えねぇぜ」
「しかし可能性がある以上、放置するわけにもいくまい」
「うへ、面倒臭ぇ」
露骨に顔をしかめるカールに、トラヴァスはわずかに口の端を上げた。
「頼んだぞ、カール」
「ま、聞くだけな」
軽く手を振り、カールは部屋を後にする。扉が閉まると、再び静寂が戻った。
トラヴァスは視線を机へ落とす。そこに置かれたヒップバッグに、かすかな既視感があった。
記憶が、ゆっくりと遡る。
──グレイがまだ生きていた頃。
共に兎獣人の集落を訪れ、ティナと接触した日のこと。
人懐こい笑顔。素直な言動。敵国の人間である可能性など微塵も疑わず、無邪気に話しかけてきた。
一緒に食事をとり、絶え間なく言葉を紡ぎ、場を明るく満たしていた。あの様子からは、裏で画策するような人物には到底見えない。
少なくとも──表裏のない人間だと、トラヴァスは認識している。
好みの女性ではない。
けれど、人としての印象は決して悪くなかった。たとえ敵であったとしても。
そのティナが、シウリスに斬られた時。トラヴァスは迷わず救命に当たった。
戦争の火種を、あの場で生み出すわけにはいかなかったからだ。
氷魔法で傷口を塞ぎ、低級ポーションを口移しする。
生存の見込みは決して高くなかったが、それでも彼女は生き延びた。仲間の手当ても的確だったのだろう。
しかし、その代償は大きい。
今の彼女の怯えようを見れば、あの一撃がどれほど深く刻まれているかは明らかだ。
死の淵に立たされた記憶は、そう簡単に消えるものではない。
それほどの経験を経たにも関わらず。なぜストレイア王国の遺跡へ足を踏み入れたのか。
遭遇の確率が低いとはいえ、ゼロではないのだ。
その可能性を承知でなお、ストレイアに足を踏み入れたのだとすれば。
(なにか必要な任務を帯びていた……そう考える方が自然だ)
金策ではない。もっと別の、明確な目的。
トラヴァスは静かに目を細める。確証はない。ただ、感覚がそう告げていた。
ティナは、偶然ここにいたのではない──と。




