513.あんま、期待しねぇ方がいいかもな
トラヴァスの執務室を出たカールは、足を止めることなく、そのまま幽閉所へと向かった。
廊下に乾いた靴音が鳴る。
アンナは、ティナを幽閉所に収容した事実を公にするつもりはないようだった。独断だと言っていた以上、それも当然だ。
そのため、この件を知る者はごく一部に限られている。中でもカールとトラヴァスは、アンナから幽閉所の鍵の管理を任されていた。
出入りを許される者が限られている以上、責任は軽くない。
食事は扉の横に設けられた細長い小窓から受け渡しできるようになっていて、直接の接触は最小限に抑えられている。捕虜という立場ではあるが、食事は三度きっちり出すよう厳命されていた。
カールは南京錠に鍵を差し込み、金属音を響かせながら回す。わずかに軋む音を立てて扉を開け、中へと踏み込んだ。
ティナがベッドの片隅で膝を抱え、体を小さく丸めて座っていた。
「……また来たの?」
かすかに上げられた顔には、警戒と疲労が混じっている。
昨日と比べれば血の気は戻っていたが、完全に落ち着いたとは言い難い。視線の奥には、消えきらない恐怖が残っていた。
置かれていた昼食は半分ほどしか減っていない。朝食に至っては、ほとんど手つかずだったという報告も受けている。
「ストレイアの飯は、口に合わなかったか?」
その問いに、ティナは小さく首を振る。
「ううん、美味しかった。でも今は、食べる気がしなくて……」
「お前、軍人だろ? 食える時に食っとくのは鉄則だぜ」
「あは。カールって、敵なのに優しい」
「勝手に餓死でもされっと困っからな」
答えながらカールは備え付けの椅子へと腰を下ろした。
この幽閉所は、一般の牢とは性質が異なる。
ここに収容されるのは、罪を裁くための囚人ではない。事情があって表に出せない立場の者たちだ。
政争に巻き込まれた王族や貴族。
あるいは、扱いを誤れば火種となり得る客人。
そうした者を外界から切り離しつつ、同時に保護する。
閉じ込める場所でありながら、守るための檻でもある。
幽閉所は城の一角に建てられた塔の上層に位置している。窓には格子がはめられているが、視界そのものは遮られていない。遠くには王都の屋根が連なり、その先に連なる山並みまで見渡せる。
寝台には厚手の寝具が整えられ、机だけでなく、テーブルと椅子も用意されている。棚には検閲を通過した書物が整然と並べられていた。
自由はない。だが、単なる牢とは比べものにならない環境であることは明らかだった。
(なんでアンナは、ティナを幽閉所に入れたんだ?)
思考が自然とそこへ向かう。
ティナをここへ連れてくる決断を下したのはアンナだ。シウリスの命令ではない。
遺跡でトレジャーハントをしていただけなら、牢に入れるほどでもない──そう判断した可能性はある。だが、それにしてもこの場所は格が違う。
幽閉所に入れられるような身分や重要性を、ティナが持っているとは思えなかった。
(ま、なんか事情があんだろ)
結論を先送りにし、カールは意識を目の前へ引き戻す。今やるべきことは、目の前の女から話を引き出すことだ。
「で、なんだってわざわざストレイア領の遺跡に来たんだ?」
問い掛けると、ティナは露骨にうんざりした表情を浮かべる。
「だから、何度も言ったよ? ただの金策だって」
「なら、荷物にお宝がないのはおかしな話じゃねぇか」
「それは……そういう日もあるっていうか」
「お前は凄腕のトレジャーハンターなんだろ?」
「えへ。まぁね」
そこでようやく、ティナの顔に笑みが浮かんだ。
抱えていた足をゆっくりと下ろし、ベッドの縁に座り直す。
「優秀なくせに収穫なしだ? やっぱおかしいだろ」
「敵国だから遠慮しただけだし。遺跡の探索が好きだから、見て回るだけで十分なんだ」
「本当かよ」
カールは眉を寄せる。
嘘は混ざっていない。だが、核心には触れていない。そんな違和感が残る。
「ま、いいや」
「……え?」
「今すぐ吐けとは言わねぇよ」
「いいの?」
「よかねぇよ」
「なにそれ、どっち!?」
ティナが笑う。
どこかで見たような笑い方だった。
その印象が、わずかに胸に残る。
「ただな。そのままだと、お前──損するぜ」
言葉を落とすと、ティナの表情が引き締まる。笑みが消え、代わりに不安が顔を出した。
「私……どうなっちゃうのかな」
「さぁな。まだ決まってねぇから俺も知らねぇ。けどよ、素直に吐けば── 無事に返してもらえるよう、口添えくらいはしてやるよ」
ティナの目がわずかに見開かれる。
「……ほんとに?」
探るような声。
信じていいのか、それとも裏を疑うべきか。測りかねている響き。
「保証はできねぇ。決めんのは上だからな。けど、黙ってるよりマシだろ」
「……」
ティナは視線を落とし、シーツの端を握りしめた。
沈黙が落ちる。塔の外で風が鳴り、格子がかすかに軋む。
「……帰れる、かな」
ぽつりと漏れた声は、ひどく小さい。
「帰りてぇのか?」
問い返すと、ティナは一瞬だけ言葉を詰まらせた。こくりと小さく頷く。
「そりゃ……帰りたいよ。帰らなきゃ、いけないし」
その言い回しに、カールの眉がわずかに動く。
「〝帰らなきゃ〟……か」
「……」
返答はない。
だが、その沈黙がすべてを物語っていた。
(やっぱ、なんかあるな)
ただの金策ではこんな顔にはならない。背負っているものがある。その確信が強まる。
カールはしばらくティナを見つめていたが、やがて勢いよく立ち上がった。
「ま、いっか」
「……え?」
拍子抜けしたような声に、カールは口元を歪める。
「無理に引き出そうとして誤情報掴まされるよか、トラヴァスに任せた方が早ぇ。知ってんだろ、〝氷徹〟のトラヴァス」
その名を聞いた瞬間、ティナはぱっと表情を明るくした。
「穏やかでにこやかで、優しい人だよね! 兎獣人の集落で会ったことある!」
「一体どこのトラヴァスだよ、そりゃ……」
思わず呆れが漏れる。
冷ややかで感情の読めない男のはずが、ティナの中ではまるで別人になっている。
「え、違った?」
「あんま、期待しねぇ方がいいかもな」
「それってどういう──」
「どうせ言うなら早い方がいいってこった」
わざと含みを持たせる。
拷問はしない方針だが、なにもされない保証もない──そう思わせる程度には。
ティナの体がぴくりと強張る。カールは扉へと向かい、取っ手に手をかけた。
「ま、それまでゆっくり考えとけ。ああ、飯はちゃんと食えよ」
言い残して外へ出る。
扉が閉まる寸前、視界に入ったティナの表情は──唇を強く噛み締めたものだった。
カールは鍵をかけながら、小さく息を吐く。
(どう出てくっかな)
軽く首を鳴らし、来た道を引き返していく。
——この時のカールは、捕虜に助けられる未来など、夢にも思っていなかった。




