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騎士アンナは、それでも愛する人を守りたい 〜あなたを忘れる方法を、私は知らない〜  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜筆頭大将編 第二部 激動〜

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508/520

505.私に習得できるでしょうか

 もしかしたら、ルーシエにはすべて見抜かれているのかもしれない。

 ルティーが平静を装っていることも、その内側に押し込めたものまでも。


 それでもルーシエはなにも言わなかった。問うことも、踏み込むこともせず、ただ静かに歩き出す。

 ルティーも遅れまいと、その隣へと歩み寄った。


「ルーシエさんも、アンナ様には会っていかれないんですか?」


 疑問は自然と零れた。

 ルーシエはわずかに視線を伏せ、ゆっくりと頷く。


「ええ。私としても、会ってなにをどう話せばいいものか……」

「顔を見るだけで、アンナ様は笑顔になると思いますけれど」

「わかっています」


 短く返された言葉のあと、二人の間に沈黙が落ちた。冷たい空気が二人の間を流れ、靴音が夜の石畳に淡く響く。

 ルーシエは息を吐き、言葉を選ぶようにして口を開いた。


「ルティーだから言いますが……ジャンが会ったのは、アンナの父親──ロクロウという人物なんです」

「アンナ様の……」


 思わず息を呑む。ルーシエは静かに頷いた。


「あの上級ポーションも、彼がくれたものなんですよ。本当に素晴らしいトレジャーハンターでした」

「そうだったんですね……! アンナ様にお話ししたら、きっと喜ばれます!」


 胸が弾むように言葉が出る。けれどルーシエは、ゆるやかに首を横へ振った。


「父親に、存在を認識すらされていなかったことを……私は、口にしたくないのですよ」


 その一言で空気が変わった。ルティーの喉が、ひゅっと細くなる。


「アリシア様の妊娠がわかる前に王都を出ているので、無理もないのですが……」

「……」


 ルティーは言葉を返せなかった。

 それをそのまま伝えることが──どれほど残酷か。


 アンナを傷つける可能性があるなら、どんな小さなことでも触れたくはない。

 それはルティーも同じだった。


「雷神自身も、告げる必要はないと言っています。望むならば、そういう機会が自然とやってくると」

「雷神?」

「ロクロウの二つ名です。その道ではとても有名なんですよ」


 言われてみれば、どこかで耳にした覚えがある気もした。


「上級ポーションを手に入れられるくらいの方ですものね……」

「ええ。なんの躊躇もなくくださったので、さすがに驚きましたが」


 あの光を思い出す。手の中で静かに輝いていた、エメラルドグリーンの液体。

 ただ見ているだけで、どこか安らぐような、不思議な力を帯びていた。


「セリカさん……飲むでしょうか」


 ぽつりと零れた言葉。

 彼女はすぐに使う決断をしなかった。受け取ってはいたが、その意味の重さを測るように、大事に抱えていた。


「無理に勧めるものではありませんからね。どれほど価値があるものでも……使うかどうかは、その人の生き方に関わることですから」


 その言葉は、柔らかくも重みを持っていた。

 あれは傷を癒すだけの薬ではない。過去を塗り替え、未来の形さえ変えてしまうかもしれないものだ。

 だからこそ、軽々しく手に取れるものではない。


「……でも、聞こえるようになったら、きっと嬉しいですよね」


 その言葉に、ルーシエはわずかに微笑んだ。


「ええ。ですが──今のままでも、彼女は十分に幸せそうでしたよ」


 その一言で、光景が蘇る。

 食卓を囲む笑顔。

 言葉を繋ぐマックスの声。

 自然に補うジャンの仕草。


 不自由はあるはずなのに、それを感じさせない時間。

 穏やかで、満ち足りた空気。


「……はい」


 自然と頷いていた。

 満たされていることと、完全であることは、同じではない。当たり前のことが、胸に静かに落ちていく。


「だからこそ、彼女の選ぶ答えが最善なんでしょう」


 ルーシエの声は静かで、揺るぎがなかった。

 夜風が二人の間をすり抜ける。だが、不思議と寒さは感じない。

 隣にいるだけで、どこか守られているような感覚があった。


 やがて宿舎が見えてくる。見慣れた建物の前で、ルティーは足を止め、ルーシエを見上げた。


「今日は本当に素敵な時間を過ごせました」


 ルーシエの柔和な笑顔が返ってくる。


「私もですよ。ルティーの元気そうな姿を見られてよかった」


 心が満たされ、白い息をひとつ吐く。

 すると、ルーシエが懐から一冊の本を取り出した。


「これを受け取っていただけますか?」

「あ、そう言えば、ルーシエさんは本を書いてるって……!」

「大したものではありませんよ。雑学書、のようなものだと思ってください」


 差し出されたのは、手のひらに収まるほどの小さな本。

 紙の手触りが、どこか温かい。


「ありがとうございます!」

「それともう一つ」


 続けて差し出されたのは、魔法の書だった。

 受け取りながら、ルティーは首を傾げる。


「これは……雷の書、ですか?」


 ルーシエは静かに頷いた。


「詳しくは本に書きましたが……習得できれば、役立つ時が来るかもしれません」

「雷魔法……私に習得できるでしょうか」

「そればかりは、なんとも……しかし、肌身離さず持つことで、習得できる確率が上がるという研究結果も出ています」


 半信半疑ではあるものの、拒む理由はどこにもない。

 ルーシエの言葉が無駄だったことなど、これまで一度もなかったのだから。


「わかりました。今度習得師のところに行ってみます」

「ええ……けれど書には相性がありますから。決して無理をしてはいけませんよ。それだけは約束してください」

「はい、大丈夫です。無茶はしません」


 まっすぐに答えると、ルーシエは安堵したように目を細めた。


「会えて嬉しかったですよ」

「私もです……本当に」


 胸の奥がまた、じんわりと熱を帯びる。言葉にしきれないものが込み上げてくるのを、なんとか堪えた。

 ルーシエは一歩下がり、静かに視線を和らげる。


「では、ここで」


 簡潔な別れの言葉。

 けれど、そこに込められたものは十分に伝わってくる。


 ルティーはぎゅっと本を抱きしめ、小さく息を吸った。


「……はい」


 まだ言いたいことがある気がした。

 けれど、それを口にすれば、この別れはきっと長引いてしまう。


「ルーシエさん……お元気で」

「ええ。あなたも」


 柔和な笑顔は、最後まで変わらない。

 ルティーは深く頭を下げ、踵を返した。

 宿舎へ向かって歩き出す。


 しかし数歩進んだところで、足が止まる。

 どうしても、もう一度だけ確かめたくなって──振り返った。


 夜の中に立つルーシエの背中は、どこか現実から切り離されたようで。

 次の瞬間には消えてしまいそうな、そんな儚さがあった。


「ルーシエさん!」


 呼びかければ、すぐに視線が返る。


「……はい?」


 ほんの一瞬の迷いのあと、ルティーは笑った。


「また、会えますよね」


 問いというより、願い。

 それを受け止めるように、ルーシエは目を細める。


「ええ」


 穏やかに、確かに頷く。


「きっと、また」


 それは約束のように、静かに落ちた。

 ルティーは今度こそ前を向き、宿舎の扉へと歩み寄った。扉を開き、閉める直前にもう一度だけ振り返る。

 だがそこには、すでに誰の姿もなかった。


 夜は静かに更けていく。けれど胸の内には、確かな温もりが残っていた。

 別れの寂しさと、それ以上に満ちたもの。ルティーはそっと胸に手を当てる。


(……明日も、頑張ろう)


 小さく息を吐き、ルティーは本と魔法の書を抱きしめた。

 その指先が、かすかに熱を持つ。


 なぜかはわからない。

 けれど──これを手放してはいけないと、そんな思いが湧き上がっていた。


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