503.じゃあ、お言葉に甘えて
ぐしっと袖で目元を拭うマックスを、ルーシエとジャンは柔らかな眼差しで見守っていた。
ルティーの胸の奥に、じんわりとした温もりと懐かしさが広がっていく。
「相変わらずだな、マックスは。まぁ座ったら」
「お前な……ここは俺の家だぞ」
言い返すマックスに、ジャンは妖しい瞳を細めてにやりと笑みを浮かべる。
小さく息を吐き、ジャンの隣へ腰を下ろすマックスを、ルーシエは柔和な笑顔で静かに見守っていた。
やり取りのひとつひとつが、まるで過去から切り取ってきたような、変わらない日常の断片で。
ルティーもまた、くすりと小さな笑みをこぼした。
「皆さん、夕飯をぜひ食べていってくださいね。すぐに用意しますから」
「え、あの、そんな……おかまいなく──」
思わず遠慮の言葉を口にするも、セリカはそのままにこにこと台所へ戻っていく。
「あ……」
声が、届いていない。
どうしていいかわからず戸惑うルティーに、マックスが肩をすくめて見せる。
「どうせジャンは食ってくんだからさ。ルティーも遠慮することないって」
「決めつけないでくれる」
「食べないのか?」
「食べるけどね」
ジャンがあっさりと認め、場に小さな笑いが広がる。
「折角ですし、ルティーもいただいていきましょう」
「……はい。じゃあ、お言葉に甘えて」
ルーシエの穏やかな声に背中を押されるように答えると、マックスは満足げに頷いていた。
ほどなくして、台所からは包丁の小気味よい音が響き始め、火にかけられた鍋の香りがゆるやかに漂ってくる。温かな匂いが部屋を満たし、それに呼応するように会話も自然とほどけていった。
「それで、例の人には会えたのか?」
マックスの問いに、ジャンは短く頷く。
「一年半ほど前にね。目的は果たせたよ」
「……そっか」
それ以上は踏み込まない。ほんのわずかに眉を下げただけで、マックスは話を受け止めた。
ルティーもまた、その意味を完全には理解できなくとも、軽々しく触れてはいけないものだと口は挟まない。
「それで、二人は今なにしてるんだよ」
「トレジャーハンターの真似事しながら、まぁ色々。ルーシエは、本を書いたりしてるけどね」
「本、ですか? 読みたいです!」
思わず弾む声がこぼれたその時、セリカが料理を運んできた。マックスが手際よく手伝い、ルティーも慌てて配膳に加わる。
そうして食事は始まった。
セリカは耳が悪いため、両隣に座るマックスとジャンが、ルティーの言葉を耳元で伝えてくれる。
その様子はあまりにも自然で、長い時間を共にしてきたことが伝わってきた。
近況を語り、任務の話に触れ、やがてはどうでもいい昔話へと移り変わる。言葉が重なり、笑い声が弾ける。誰かが話せば、誰かが応じる。その繰り返しが、心地よいリズムを生んでいた。
久しぶりに囲む食卓は、穏やかで、満ち足りていて。
ルティーはその中心にいることが、どこか信じられないような気持ちで過ごした。
そして、食後のお茶が運ばれてきた頃。ジャンが静かに息を吐く。
「で、今日来た本題なんだけど」
その声音が、わずかに変わる。セリカを間に挟んだマックスが眉を上げた。
「なんだよ、改まって」
「これを渡しに来た」
ジャンが懐から取り出したのは、小さな瓶だった。
エメラルドグリーンの液体が、淡い光を内側から放っている。一目で、ただの薬ではないとわかる異質な存在感。
「……なんだ、それ」
マックスの声が低く落ちた。ルティーは思わず息を呑む。
「まさか……上級ポーション、ですか……?」
恐る恐る紡いだ言葉に、ジャンがわずかに口角を上げた。
「当たり」
「は……? 上級ポーションって……めちゃくちゃ高いやつだろ!」
「まぁね。俺も初めて見た」
「すごい……本当に存在するんですね……」
エメラルドグリーンの光に視線が吸い寄せられる。
怪我はもちろん、病すら完全に癒す伝説の薬。純度が極めて高く、使用期限はないとも言われる。
通常のポーションや魔法では、過去の傷までは癒せない。
だが──これだけは違う。
「貰ったんだ。俺が手に入れたわけじゃない」
静かに告げ、ジャンは瓶をテーブルへと置く。
ガラス越しに揺れる光が、木目の上で反射した。
「マックス。これ、使って」
「……誰にだよ」
「セリカに」
迷いなく言い切ったジャンは、そのまま隣のセリカへと柔らかく視線を向けた。
「これなら、耳も戻る」
マックスの呼吸が、目に見えて途切れた。
事情が伝わっていないセリカが、彼らの間で小さく戸惑っている。
「……本気なのか、ジャン」
「当然」
迷いのないその目に、マックスは言葉を失っていた。
その手が、ゆっくりと瓶へ伸びる。躊躇いと希望がせめぎ合う、わずかに揺れる動き。
「……っ」
触れた瞬間、声にならない息が漏れる。瓶を握る手に、わずかに力がこもった。
マックスは身を寄せ、セリカの耳元に唇を近づける。
「ジャンが……上級ポーションをセリカにって」
言葉を受け取ったセリカの瞳が、大きく見開かれた。そのままジャンを見上げる。
「そんな……いただけません!」
ジャンはセリカの耳元に口を寄せ、はっきりと言葉を伝えた。
「ただ俺が渡したいんだ。売るなり捨てるなり、セリカの好きにして」
セリカは困ったように逆側のマックスに目を向ける。
その視線を受けて、マックスはしばし動かなかった。
やがて、ゆっくりと頷く。
顔を伏せ──低く言葉を落とした。
「……ありがとな」
その声は、かすかに震えていた。




