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騎士アンナは、それでも愛する人を守りたい 〜あなたを忘れる方法を、私は知らない〜  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜筆頭大将編 第二部 激動〜

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504/530

501.この機を逃す理由がない

 年が明けて三日が経ち、休暇を取っていた騎士たちが続々と王都へ戻ってきた。

 静まり返っていた城内にも再び人の気配が満ち、足音と声が重なり合う。


 多くの騎士にとって仕事始めとなるこの日、筆頭大将アンナによる新年の激励が飛んだ。

 短くも鋭い言葉は、緩みかけていた空気を一瞬で引き締める。

 張り詰めた気配が軍全体へと行き渡り、各軍団はそれぞれの持ち場へと散っていった。


 トラヴァスもまた、気持ちを切り替え、第二軍団の軍務室に立っている。部下たちへ的確に指示を飛ばし、流れるように業務を動かしていく。

 第二軍団は、かつてグレイの指揮下にあった部隊である。優秀な人材はそのまま残しつつ、トラヴァスは自らのやりやすい形へと組み替えてきた。

 同時に、トラヴァスはフリッツの護衛長という立場も利用していた。

 警護の名目で接触の機会を増やし、直接言葉を交わす場を作る。露骨にならぬよう、あくまで緩やかに、だが確実に。

 そうして積み重ねた五年の結果として、第二軍団の大半はフリッツに対して好意的な認識を持つに至っていた。


 今ならば──トラヴァスが命じれば、この軍団はシウリスに刃を向ける。


 だが、それでも一軍団に過ぎない。

 十二のうちの一つ。盤面を覆すには、あまりにも足りない。


 水面下で味方を増やすしかないが、それには時間がかかる。かといって急激に動けば、必ず露見する。

 そうなれば、あの男は躊躇なく潰しに来る。


(……綱渡りだな)


 わずかな均衡の上を、踏み外さぬよう進むしかない。

 あのシウリスから簒奪するためには──


「トラヴァス様」


 呼びかけに、思考が断ち切られる。

 顔を上げれば、隊長のウェイが立っていた。同期であり、将任命時に他軍団から引き抜いた一人だ。


「どうした、ウェイ」

「カール様がいらっしゃっています。お話があると」

「わかった。あとは任せる」

「っは」


 すでに大枠の指示は出し終えている。細部は任せても問題ない。

 トラヴァスは迷いなく軍務室を後にした。

 廊下に出ると、壁にもたれかかるようにして立っていた赤眼赤髪の男が、軽く手を上げる。


「っよ。ちょっといいか?」

「私は問題無い。お前の隊は大丈夫なのか?」


 問い返すと、カールは気安く笑った。


「問題ねぇ。オルフェンは優秀だし、ジークのやつも張り切ってるしよ。第三軍団、舐めんなよ?」

「別に、舐めているわけではない」


 短く返すと、カールは片目を細めて一歩踏み出した。

 トラヴァスがその背を追うと、人通りの少ない談話室へと辿り着く。重要な話をするには都合のいい場所だ。


「ここならゆっくり話せんだろ」


 扉が閉まり、鍵がかかる。

 外界と切り離された静寂の中で、カールの表情が一段引き締まった。


「悪ぃな、仕事始めの忙しい時によ」

「急ぎのようだな」

「いや……急がなくていいとは言われてんだけどな」


 その言葉に、わずかな違和感が残る。

 急がなくていい用件。それが意味するものを探る前に、カールは懐から一通の封書を取り出した。

 トラヴァスは無言でそれを受け取る。


 真っ白な封筒。

 宛名も封蝋もない。


「……誰からのものだ?」


 問えば、カールは抑揚のない声で答える。


「ミカヴェル・グランディオルだ」


 その名が出された瞬間、空気がわずかに張り詰めた。

 カールの声音が平坦であることが、かえって異様さを際立たせる。


「……会ったのか」

「おう。帰ったら、普通に食卓囲んでやがった」


 鼻で笑うような声音。

 だがその裏にあった衝撃の大きさは、想像に難くない。


「しかも、ミカだけじゃねぇ。百獣王と刹那狩りまでいやがった」

「カジナルの双璧まで……よく無事だったな」

「〝利害は一致している〟〝氷徹への渡りをつけたい〟だとよ」


 その言葉を聞いた時点で、内容はほぼ読めた。

 それでも確認のため、封を切り、紙を取り出す。


 流麗な筆致。整いすぎた文章。

 そこに綴られていたのは、回りくどくも明確な意志だった。



 ⸻


 雪解けを待たずして

 氷はひび割れる


 静かに見える水面の下で

 流れはすでに形を変え始めている


 凍てついた王座は

 重みを受け続け

 均衡は崩れ去る


 溢れ出すものは

 血か水か

 舵取の選択に委ねられる


 敵と定めた者同士

 同じ嵐を見上げるならば

 それは敵である前に

 同じ舟にある


 刃は振るうべき時に振るわれるべきだ

 無為に削り合うより

 嵐を越える術を選ぶのが賢明だ


 同じ景色を前に

 言葉を交わさない理由はない


 氷は影を伴うな

 余計な波紋は望まない


 その理が守られるならば

 歓迎の用意はある


 ⸻


 そこまで読み終え、トラヴァスは静かに息を吐いた。


「……随分と、詩的だな」


 低く零す。カールが腕を組んだまま顔を顰めた。


「あいつは昔からの回りくどい書き方すんだ。どうだ、トラヴァス。わかったか?」

「十分だ」


 手紙をカールに向けながら、簡潔に結論を告げる。


「シウリスが邪魔だ──そう書いてある」

「……やっぱそうかよ」


 大きく驚くことはない。予想していたのだろう。

 向けられた手紙をカールは受け取り、視線を走らせた。


「んじゃあ、〝嵐を越える術〟ってのは──」

「一時的な共闘だ」


 その言葉に、カールは一瞬黙した。


「互いに刃を向ける前に、まずは王を落とす。その提案だ」


 トラヴァスが続きを言葉にすれば、カールは苦々しく笑う。


「ったく、ずいぶんと都合のいいこと言ってきやがる」

「ああ。だが理には適っている」


 トラヴァスは顎に手を当て、思考を沈ませる。


 現状、フィデル国を相手にしながら簒奪を狙うのは困難だ。だがそのフィデルが協力に回るなら、状況は大きく変わる。

 フィデル国にとっても、シウリスが邪魔なのは間違いない。


「どうするよ、トラヴァス」


 呼びかけに、思考が浮上する。


「グランディオルの話を聞く価値はある。実際組むかどうかは、条件次第ではあるが」


 現時点での最適解だ。少なくとも方向性は見えた。


「けどよ、この〝氷は影を伴うな〟っつーのは……」

「私を単独でフィデルに呼びつけているな」


 淡々と告げると、カールは眉を寄せた。


「一人で行くのはやべぇだろ」

「だが二人同時に休暇を取るわけにもいくまい」

「だけどよ」


 心配が滲む声音。トラヴァスの内側がわずかに緩む。


「大丈夫だ、交渉相手を殺すつもりはないだろう。私が死ねば、フリッツ派は勢力を削ぐことになる。それはあちらも望まないはずだ」


 交渉が決裂したとしても、フリッツ派はシウリスを削る駒として機能する。それを向こうも理解しているはずだ。

 加えて、この交渉は表に出せないものだ。迂闊に手を出せば、己の首を絞めることにもなる。

 ならば、ここで排除される可能性は低い。


「わかった。お前が言うなら、そうなんだろ」


 カールは短く頷いた。納得というより、信頼に近い。


「しっかしよ。いつ、どこでが書いてねぇじゃねぇか」

「それもわかる」


 答えれば、カールは軽く眉を上げた。


「書いてたか?」

「いいや。だが〝急がなくていい〟と言われていたなら、こっちの都合でいい」

「場所は?」

「百獣王と三日月の剣士が所属しているのはカジナル軍だろう。さらにミカヴェルはカジナル領の五聖代理だ。カジナルは軍と庁舎が並んでいるからな。どちらかに行けば会える」

「敵の本拠地じゃねぇかよ」

「まぁ、そうだ」


 淡々と告げると、カールは露骨に不満を浮かべた。


「やっぱ危ねぇじゃんか」

「虎穴に入らずんば虎子を得ずという」

「んあ? なんだそりゃ」


 カールは顔を歪めながら手紙を返した。トラヴァスは受け取りながら言葉の意味を説明する。


「危険を承知で踏み込まなければ、得られないものがある、という意味だ」

「……はっ、好きだな。そういうの」


 呆れた声音。だが、その奥には理解も見えた。


「当然、無策で行くつもりはない」


 トラヴァスは手紙を折り、静かに封筒へ戻す。


「こちらの都合でいいと言うのなら、条件を整えられる。動く時期も、導線も、すべてこちらで選べるということだ」

「……なるほどな」


 カールは壁に寄りかかり、腕を組む。


「向こうは〝呼びつけてる〟つもりでも、実際は〝待ってる〟ってことか」

「そういうことだ」


 短く答え、トラヴァスは視線を落とした。


 罠である可能性は、当然ある。

 だが──それを踏まえた上でなお、価値がある。


(最短で王へ届く手になるかもしれない)


 思考はすでに次の一手へと進んでいた。


「行くんだな」


 カールの声に、顔を上げる。


「ああ。この機を逃す理由がない」


 迷いはない。

 しばし見つめていたカールが、小さく息を吐く。


「……ちゃんと戻って来いよ」

「当然だ」


 わずかに、笑う。トラヴァスはその封書を懐へ収めた。


「準備に入る。時期は私が決める」

「……ああ」


 話は終わった。カールが扉を開けると、外の喧騒が一気に流れ込んでくる。

 先ほどまでの静寂が、嘘のように掻き消された。

 カールの背が遠ざかるのを見送りながら、トラヴァスはひとり、思考を巡らせる。


 敵の懐へ踏み込む一手──それは破滅か、それとも転機か。


「選ぶのは、こちらだ」


 一人呟き、トラヴァスは歩き出した。


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