14 氷の貴公子の策略
アイリーンの私室を出て、ウィリアムの私室へ入ると、ウィリアムの寝室に彼を下ろした。
寝室から出て、背伸びをしていると、さっき寝かせたはずのウィリアムが出て来た。
「起きてたなら自分で歩け」
「今起きた」
窓の外から喧騒が聞こえる。親睦会が終わったようだ。もう少し落ち着いたら、俺も帰ろう。
「あーあ。兄上怖かったな」
嘘つけ。全然怖がってなかっただろ。と水差しからコップに水を注いで飲みながら、白々しい事を言うウィリアムを見る。
「あんなに怒ってる顔は、初めて見た。父上そっくりだったな」
確かに。こどもの頃から知っているが、笑っていないレオナルドなんて、見たことがない。アイリーンやウィリアムが悪戯をした時だって、困ったように笑うだけだった。
アイリーンと言えば。
あれで、気付いただろうか。国内での降嫁先はどこか。何故俺がそんな事を口走ったのか。
まあ、気付いても、気付いていなくてもいいか。今はまだ、はっきりと言葉には出来ないのだから。
「それより、あのドレスの色は何だ」
「あ、気付いてた? 姉さんは気付かなかったのに」
ウィリアムが、悪びれもせずけらけらと笑う。
「セリカが気付いてた。他にも気付く人間がいたらどうしてくれる」
セリカはアイリーンが入場するなり、「あら。私の色と同じだわ」とこっちを見てにやにやしていた。
隣国の王太子の婚約者であるアイリーンが、下手に不貞を疑われる訳にはいかないのに。
「別にー。ドレスの色くらい好みだとか何とか言って誤魔化せるだろ。それに、黒はラルフ殿下の色でもあるんだぞ」
ぐっと言葉に詰まる。そういえばそうだった。だから何も知らないはずの王妃も許可したのかも知れない。
だがこれは、この後廊下ですれ違った王妃に、「どうだった? 私の娘、可愛かったでしょう。貴方も気に入ってくれていたら嬉しいわ」と囁かれたことで、彼女も共犯だったと判明する。どうしてこんなに筒抜けなんだ。
「自分だって、黒いリボンとか贈ったりしてる癖に。まさか、婚約者と仲良くどうぞ、って意味じゃないだろ」
「別に意味とか……」
「はいはい。あれもよく似合ってたよ。まあ、姉さんは何でも似合うけど」
隠れて渡しているのに、何故知られてしまったんだろう。
もういいや。どうせあちらこちらに知られているみたいだし。
「明日からだっけ」
「悪いな。しばらくはここに来れない」
「ここからは正式に王命だ。頑張れよ」
俺の仕事はここからが本番だ。明日から、父であるマクラウド公爵の補佐としてコルド王国に派遣される。そこで、これまで蒔いてきた種の成果を苅ってくる。
* * *
国王陛下も、次男坊の友人の片想いに同情して肩入れしてくれる程、暇ではない。
俺にああしてけしかけてきた時点で、コルドにはアイリーンを嫁がせるには不安な要素が既にあった。
コルド王国は今、水面下での国王兄弟の関係悪化や、度重なる災害で不安定な時期にある。災害にはニースランド王国からも支援している状況だったが、王女が嫁すには不安がある。
俺だけじゃない。王国としても、秘密裏に動いていた。
でも、それでも特別に、まだ十三歳の俺に声を掛けてくれたのは、おそらく俺は試されている、と思うことにした。
筆頭公爵家の後継者として、王女の伴侶の候補として。
これで合っているかは分からないけれど、やれる手を尽くしてきたつもりだ。
コルド王国の王都は、国最大の港を見下ろす高台にある。
流通において不都合な面もあるが、戦争の際には攻略し難い要塞となる。
まあ、それも長く和平関係にあるニースランドには関係ないが。
王宮の謁見の間にて、国王への挨拶を済ませた後、ささやかながら歓迎の宴が開かれる。
そこで改めて、アイリーンの婚約者である王太子のラルフ王子と会った。
幼少期に一度だけその姿を見た。その時は単純に、強く自信に溢れた堂々たる王子の姿を、格好良いと思った。
その後、この二年の間に、隠れて見た事はあるが、こうして正面から対峙するのは初めてだ。
「ようこそ。歓迎するよ、カイル・マクラウド公爵令息」
カイルを見て、余裕たっぷりな微笑を浮かべるラルフは、男の自分から見ても憎らしい程、美しく魅力的だ。
「私などの名前までお覚えいただき光栄です。今日は、このように歓迎いただき、恐悦至極にございます」
失礼に当たらないよう意識しすぎて、馬鹿丁寧になったかもしれない。慇懃無礼だったか……?
だが、ラルフはそんな事気にもならない様子で、
「なるほど。氷の貴公子とはこういうことか。愛想笑いも下手くそなんだな」
と破顔した。
なんだこいつ、と苛つきを覚えつつも、努めて顔には出さないよう注意する。何故、他国の一貴族の渾名なんて知っているんだ。
「気を悪くするなよ。君に一杯食わされたのはこっちなんだ。このくらいはご愛嬌だろ」
この言葉で、俺は背筋が凍る。俺が仕掛けた事に、ラルフは気付いている、と確信する。
そして、休憩室へと促され、先を歩くラルフに続いて会場を出た。
「マリナをけしかけたのは君だろ」
ラルフは王族専用の休憩室に入室するなり、単刀直入にそう切り出した。余裕綽々な笑顔に見えて、案外気が短い。
「私はニースランドの一学生です。何の事だか……」
「ちゃんとこちらでも調べはついている。君はお忍びで来ていたつもりだろうが、俺も君を見るのは初めてじゃない。今日は茶髪じゃないんだな」
変装までばれてたか。と内心舌を出す。
マリナというのは、コルド王国で昨年現れた「幸福の乙女」と呼ばれる少女である。王宮に保護され、ニースランドで言う聖女のような扱いを受けている。
そうだ。アイリーンの話した、ヒロインと王子の運命の愛とやらを、ここで演出した。
アイリーンの描くヒロイン像と、ラルフの女性の好みを掛け合わせた人物を探し出すことに苦労したが、そうして見つけた孤児のマリナは、当時十七歳と、ラルフに対して年頃も丁度良く、話を持ち掛けると、どうせ大して捨てる物もない、とすぐに乗っかってくれたのが幸いだった。
仮に王妃となったとしても、乗り切れるんじゃないかと思える知性と豪胆さも垣間見えた。
ステラのような奇跡の力を授ける訳にはいかない。
ただ、幼い頃の僕等が夢のようだと感じた知識を、マリナに話して聞かせた。
程なくして、マリナの住む街の近くを流れる川から、大量の砂金が見つかり、マリナは街に富をもたらした幸福の乙女と呼ばれるようになった。川から金が採れるなんて、アイリーンから聞いたときには、夢か妄想かと思っていた。
ただ、多少は他の川から採取した物も足したのだが、あんなに見つかるとは思わなかった。予想外の幸運に、本当に幸福の乙女を引き当てたと思ったくらいだ。
その話が王宮にも伝わり、王宮に招聘されたマリナの美貌にラルフが惹かれ、また凛々しい王子にマリナも惹かれ、コルド王国における運命の恋物語が始まったのだ。
まあ、ラルフの琴線を震わせるべく、ラルフ好みの衣装を用意したり、侍女を連れていき質素ながらも、街娘にしてはかなり手を掛けて全身を磨き上げたり、多少の脚色はした。
あとはロゼッタの手口と同じだ。各方面から断片的な事実を噂として流し、国民感情を盛り上げた。
ニースランドと違うのは、ラルフとマリナは本当に愛し合っていることだ。
「別にいいけどね。君の見つけてきたマリナは逸材だよ。美しい上に頭もいい。あとは貴族連中が受け入れてくれるかだが、これもマクラウド公爵家と縁のある家がいくつかある。君も後ろ盾に付いてくれるんだろう?」
「……微力ながら」
アイリーンの好きな恋愛小説をいくつか読んだ事もある。身分差を越えた真実の愛とやらは、実った後が厳しい。孤児出身の王妃なんて前代未聞だ。
けしかけた以上は、責任を持たねばなるまい。
「ただ、お二人の関係が末永く良好であれば、きっとお二人の名は歴史に色濃く遺ります」
「……煽ってくるじゃないか。まあ、それもいいだろう」
そのために、少なくとも、当事者であるラルフ本人に熱は保っておかねばならない。
「存外、幸福の乙女がコルドにも幸福をもたらせてくれるかもしれない。こういうのは、そう思い込むだけでも転機となることがある」
「……そうである事を祈ってますよ」
意外と、それもあるのかもしれない。
マリナの街は砂金の街として栄えているし、ラルフの進言にて彼女を王宮が保護してから、王都での犯罪は減ったと聞く。
「気に入らないのは、六歳も下の君が誂えた据え膳に、まんまと食い付かされたことだよ」
「……それは、私のせいではありません」
「よく言う」
俺がしたのは演出とセッティングまでだ。勝手に食いついたのはそっちだろ。
心底悔しそうに聞こえるが、その顔はなおも余裕を感じさせる不敵な笑みを浮かべ、俺に一歩近付き、俺を見下ろしている。
十センチは高い上に、鍛え上げられているのだろう精悍な体躯のラルフに見下されると、思わず後退りしたくなる程、圧倒される。
俺個人ではまだ、到底この男には敵いそうにない。やはり、格好良い王子だ。
だが、それでも、
「しかも国内がこの状況で、アイリーン姫が嫁いでくることは、ニースランドにとっても好ましくないだろうな。近々婚約は解消される見込みだ」
こうして、アイリーンを国内に留めおくことには成功した。
「氷の貴公子がだらしない顔してるな」
「…………」
自分でも表情が緩むのが分かる。仕方ない二年掛けた工作と、もういつからか分からないほど長く焦がれた想いが、実を結ぶかもしれないのだ。
それを止められず、ラルフの視界を避けるように俯く。
「ミアの言う通りだな。アイリーン姫を守る氷の貴公子は、意外と可愛いところがある」
「は?」
「意外でもないだろ。俺にだって情報源はある。その一つを明かしただけだ。次期マクラウド卿とコルドの関係が良好なら害ではないだろう」
意外な事実を知り、再び背筋が凍る。だが確かに。コルド王家との連絡手段と分かれば、有益でもある。
気になるのは、
「ならば、忘れていたわけでもないでしょうに、今までアイリーン様を蔑ろにされてきたのは、何故ですか?」
アイリーンは、表向きには、無視されているに近い扱いを受けている、名ばかりの婚約者だ。
「……特に、意味があるわけでもないよ。苦手なんだ、手紙も贈り物も。俺の知っているアイリーン姫は五歳なんだよ。何をしてあげたらいいのか、よく分からないんだ」
何だか急に弱々しいことを言い始めた。さんざん色男として知られている癖に。
「それはお互いなんじゃないか? あちらからも手紙の一つもないからな」
「……まあ、確かに」
「しかし、悪役令嬢だっけ? 俺もしてやられたけど、好きなお姫様本人すら差し出すなんて、君も随分な手を使うよね」
このラルフとマリナの恋物語において、障害となるのは、王族と孤児というこれ以上ない身分差と、あと一つ、隣国の王女様という絶対的な婚約者の存在だ。
隣国にいて姿を現さないアイリーンが、マリナに嫌がらせをする訳にはいかない。
なので、噂を操作して、アイリーンが数ヵ国語を操る才女であるとか、生まれながらに完璧な淑女であるとか、その偶像を大きく作り上げて、その上で、ラルフに手紙すら返さず、高慢で、ラルフを顔だけのお飾りのように扱っているなどと言い広めた。
全部が全部、嘘は言っていない。学園を卒業する頃には数ヵ国語話しているかもしれないし、手紙を出さないのも本当だし、アイリーン自身、ラルフの良いところは顔しか知らない。
こうして、民衆の中でアイリーンはいつの間にか、二人の恋路を邪魔する、悪役令嬢になっていった。
こればかりは、ウィリアムにも言えないな。




