13 あの夜会では終わらない
親睦会には、とてもではないが戻れなかった。
こんなに綺麗に着飾ってくれたミアにも、母にも悪いけど。さすがに、社交場に出られる顔じゃないと思う。
王太子執務室から私室に戻ったら、何故かウィリアムとカイルもついてきた。
ちょっと、犬みたいで可愛いけど、疲れたから自分の部屋とか自分の家に帰って欲しい……。
でも、
「姉さんが、処刑されることにならなくて良かった……」
と、ウィリアムが兄の執務室同様に、ソファーに寝っ転がって力無く呟いた時、この可愛いけど生意気な弟の頭を引き寄せて、思いっきりくしゃくしゃーっと搔き撫でたい衝動に駆られた。
そのまま寝息を立て始めた時、やっぱり部屋に帰れ、と思い直したけど。
何となくハーブティーが淹れたくなって、せめてゆっくり眠れますようにと、ラベンダーとカモミールをブレンドして淹れた。
ウィリアムがソファーを一台丸ごと占拠しているため、自動的に隣に座ることになったカイルの前にも、ラベンダーとカモミールのブレンドティーを置く。
深く溜息をついて、ソファに埋もれるように座っていたカイルが、ちらとこちらを見上げて「ありがとう」と呟く。
自分のカップとソーサーをテーブルに置いて、カイルの隣に座ろうとしたタイミングで、カイルが自分と私の間の座面を思いっ切り押さえた。斜めに沈み込んだ座面に、バランスを崩して着地した私は体勢を崩して、そのままカイルの方に倒れ込んでしまった。それを、カイルの両手が抱き留める。
「ちょっと……」
「目、真っ赤だな。腫れてるぞ」
「うるさいわよ」
お子様のウィリアムどころじゃない。私からすれば、カイルの方が余程デリカシーがない。
カイルに横から抱きつかれたまま、身動きが取れない。
何だどうした? カイルも甘えたい年頃なのかな?
そういや、さっきもこんな体勢あったな、と思い返す。
たくさん泣いた。ロゼッタの悪意に泣いて、ステラの謝罪に泣いて。
ステラと出会った頃の、あの笑顔が、楽しい時間が嘘じゃなくて良かった。
ロゼッタとも、義姉妹としてこれからもっと仲良くなれるかもしれないと思っていたのに……。
「ロゼッタは、どうなるのかしら」
「さあ……。ただ、厳しいだろうな」
「そう……」
カイルははっきり言わないけど、処刑は免れられないかもしれない。そういう事なんだろうな。
左肩にカイルの頭の重みと、微かな震えを感じた。
その振動に、彼がまさか、と動揺してしまう。
「ロゼッタは、自分の犯した罪で罰せられるんだ。仕方ない」
「……うん」
「でもアイリーンは違うだろ。本当に、誤解されなくて良かった」
「うん。ありがとう」
右手で、ちょっと遠いけど、カイルの震える頭を撫でる。カイルの黒髪は、ウィリアムの金髪に比べて、少し硬い。
「頼むから、そんなに簡単に諦めないで欲しい……」
絞り出すような声でそう言うと、そのままぎゅっと肩を強く抱き締められた。
私が、誰の邪魔にもならないようにと、悪役令嬢としての退場を覚悟した場面を、この二人は、どんな思いで見ていたんだろう。そう思うと、言いようのない罪悪感が込み上げてきた。
二人だけじゃないか。ミアも、セリカも、もしかしたら兄やステラだって。
左肩の震えと水気に、右手に触れる少し硬い髪に、如何しようもなく愛おしさを感じる。
「本当にごめんね。助けてくれて、ありがとう……」
十分経っても、相変わらずカイルは、私の肩に抱きついたままだ。だが震えも呼吸も落ち着いた。
「ねえ。そろそろお茶飲みたい」
「俺はいい」
そう言うと、またこてっと頭を私の肩に凭れ掛ける。
あれ!? こういうキャラだっけ? 一泣きしたらどこか箍が外れた?
このひとの箍は目にでも付いていたのかな、とかしょうもないことを考えながら、今日何度目だろうという溜息をつく。
「疲れた?」
と訊かれ、
「そりゃあね」
と答える。
「色々あったけど、やっと終わった……」
「まだ終わってないだろ。裁判だってこれからだ」
「でも、私達の手は離れるでしょう?」
「まあな」
「じゃあ、ひとまず終わりよ」
ぽんぽん、とカイルの腕を叩き、笑ってみせる。
カイルがようやく、私の肩を抱く腕を解き、お互いに離れる。目、赤いけど腫れてないな。
それからハーブティーを飲むが、やっぱり冷めている……。
「俺は、ここからが本番」
眠るウィリアムの横顔を眺め、カイルが言う。
それからぱっとこちらを向く。何か、さっきまでの距離を思うと照れてしまう。
「一つ聞くけど、コルド王国にはどうしても行きたい?」
「ええ? どうしてもって……」
「どうしても、ラルフ殿下に嫁ぎたい?」
「嫁ぎたいとかじゃなくて、もう決まってるし……」
「そういうんじゃなくて。二国間の和平とか関係なければどう?」
「何なのもう。そんなどうしてもって程思い入れはないわよ。考えたこともないわ」
「ああ、そう」
カイルは座ったまま姿勢を正して、上着を整えると、冷めたハーブティーを一口で飲み干して立ち上がった。
「じゃあ、考えておいて。多分これから状況が変わるから」
「えっ?」
「国内での降嫁も有り得るって事」
「私が……?」
「そう」
カイルはそのまま、ソファーで眠りこけるウィリアムを横抱きに抱え上げた。容易く抱き抱える動作に、思わずぎょっとするが、まあ、男とはいえ、ウィリアムは割と小柄だし細いもんね。カイルも鍛えてるみたいだし。
それにしても……。
「何だか、今日はよく喋るわね」
寡黙な氷の貴公子はどこ行った。泣いたり喋ったり甘えて来たり、氷が大分溶け気味じゃないか?
「俺は最近、外ではずっと喋っている」
仏頂面だけ従来仕様だが、目は赤いままだし拗ねたように外方を向いたり、やっぱりどこか違う。
「ええ? カイルが? 氷の貴公子が?」
「その小っ恥ずかしい渾名やめて。じゃあ、俺はウィリアムを連れて行くから」
「うん。お疲れ様」
「アイリーンも。ミア呼んでおく」
そう言い残して、カイルは扉から出て行き、ウィリアムの私室に向かった。
その後は、ミアと一緒に母が来て、一気に賑やかになった。
ミアから事情を聞いたという母は、勢いよくがばっと抱きついてきたかと思うと、「ロゼッタがそんな事をしていたなんて!」と怒ったり、「アイリーンが無事で良かったわ」と泣いたり、色んな感情表現に大忙しだった。
「ああ、でもやっぱり綺麗だわ、アイリーン」
と思うと今度は一歩引いて、目尻を思い切り下げ顔を綻ばせる。
「ウィリアムがね、貴女にはシンプルなデザインも似合うって。本当ね、よく似合ってるわ。カイルはこのドレスに何か言ってくれた?」
「ありがとうございます、お母様。いえ、カイルは特に……」
「あら」
今回は母の趣味とかなり路線が違うなと思ったら、やっぱりウィリアムの趣味か。やっぱり、イケメンはセンスがいい。
カイルからは特に何も聞いていない。着飾ったところで、今までだって、何か褒められたということもない。
「気付かなかったのかしら……?」
「何に?」
「ふふ。アイリーン、この生地銀色だけど、こうして光が当たると青味がかってブルーグレーにも見えるわね」
「えっ?」
ブルーグレーにも見えるドレスの生地に黒いリボンって、それは……。その色は。
先程まで左肩に乗っかっていた幼馴染の顔が浮かぶ。
「え……? だって、私には婚約者が……」
「あら、耳まで真っ赤よ、アイリーン。あんな名ばかりの婚約者なんて、この際放って置きなさいな」
「そんな……」
これは、一国の王妃の発言として問題ないのか。
傍で聞いているはずのミアも、母の侍女も、澄ました顔で知らん振りだ。いいのか。
ああ、明日から学園が夏季休暇で良かった。
色々と、どんな顔をして通えばいいか分からないもの。
* * *
そうは言っても、きっとウィリアムのお付きでカイルは来てしまう、と焦ったのも束の間。
カイルはしばらく遠方での任務の為、王宮に上がる事は出来ない、とウィリアムから聞いた。
そのウィリアムも、ロゼッタの件の調査や手続きや残務処理とかで、しばらくは忙しいと言って出て行った。ああ、そう。
その代わりではないが、親睦会の翌日、セリカが私を訪ねて来た。
あの、例のノートを数冊持って。
「ご機嫌よう、アイリーン様。こちら、ウィリアム殿下からお預かりしていたので、お返しに上がりました」
セリカは相変わらずの淑女スマイルだが、そのノートを見た私は、「ええ、ありがとう」と答えつつも、顔が引き攣って上手く笑えなかった。
それに対しセリカは、「あら? お疲れですわね」と、より一層口角を上げた。あれ? 氷の姫君は案外意地悪?
「弟は、アイリーン様の事を心配してましたわ。それまでは、特に私には何も言いはしなかったのですが、学園入学に際して、『アイリーン様に何か起こらないか注意しておいて欲しい』って頼まれまして」
セリカに何が飲みたいか尋ねると、ハーブティーと答えたので、ミアに今日はカモミールとローズヒップをブレンドして淹れてもらう。
セリカはそのお茶を、綺麗な色、と言って穏やかに微笑む。
「アラン様とカイルが、何やら調べているのは気付いていましたが、詳細は知らされていなくて。そうと知っていれば、もっとお側におりましたものを、って後悔しました」
「えっ、そんな。セリカ様には十分仲良くしていただいて……」
学園では一番親しくしてもらった。セリカが後悔する事なんてないのに。
「そんな私ですが、こちらの書類と昨日の話で、ようやく事の次第を知ったのです」
表情こそしおらしく、でもやはり作り物めいた顔で、私の前に置かれたノートを手で指す。それに気付いて、私ははっと開口したまま、息も忘れて愕然とする。
えっ? いやちょっと。書類って。私の日記だし。
「聖女候補様の事と、アイリーン様がいかに彼女をお慕いしていたかが、本当に……っ」
徐々に、彼女の象徴でもあるアルカイックスマイルが崩れていき、両手で顔を抑え肩を震わせ始めた。
これ、私、笑われてるわよね。
「アイリーン様のお人柄が……、大変よく分かりました」
「そう……」
いや、敬語使ってるけど、かなり失礼だからね。
苦しいとばかりに笑いを堪え、涙目になるセリカを見て、身の置き所がないくらいの、恥ずかしさを覚える。
「読んだのは、ウィリアム様に渡された最初だけで、後はほとんど読んでいません。でも、私が出てきたところだけ少し。アイリーン様のお心に、少しでもいい印象で残ったのならと、嬉しかったです」
瞬きをして、少し考える。
私、セリカについて何て書いたっけ。
確か、一緒にランチをして、私が作ったお菓子を食べて、そんな時間を過ごせることが楽しいって……。
あと、セリカが一緒にいてくれると、周りの嫌な空気が和らぐって……。
「私も、アイリーン様と過ごすお昼は楽しかったです。王女様でありながら、誰よりも勉強にと努力されるところも、尊敬しております。よろしければ、これからもご一緒にいさせてください……」
セリカは、そう言って優しく微笑む。あのお人形みたいな笑顔じゃなくて、照れと優しさが滲み出るような笑顔が、可愛いと思った。
「私こそ、セリカ様とお友達になりたいわ……」
「もう、お友達かと思っておりました」
「うん……」
あー。こんなのまた泣く。でもぐっと堪える。もっとセリカとたくさん話したいから。
「昨日のドレス、とてもお綺麗でした。あの色……」
「えっ? ありがとう……えっと、あの色は、ウィリアムが……」
「私の色でしたわね。嬉しいです」
「……貴女、思ったよりいい性格してるわね」
「ふふ、光栄です」
でも、そのうちお友達じゃなくて姉妹ですわね、ととても公にはできない言葉も口にしながら、セリカとしばらく談笑をして、その日は過ごした。




