エピローグ:終幕
そして、事件は幕を閉じた。
既に終業式は終わっている。
解散を命じられた生徒達は、そのまま下校した。
PTAや教育委員会と言った来賓たちも全員、学校を出て行った。
これ以上関わり合いになりたくないらしく、逃げるように学校から出て行った。
マスコミもまた、前代未聞の大スクープを配信すべく慌ただしく動き出した。
警察も、今は席を外している。
事件に関与した教師達に対して、逮捕状を請求するための手続きをしているのだろう。
手続きが済み次第、教師達を日野原署まで連行する予定だ。
そして、体育館に残っているのは、青木教諭と林田弁護士の二人だけになった。
「さあ、賞金を頂きましょうか」
人目を気にする必要が亡くなった途端、青木は早速、賞金を要求して来た。
先程の智也の言葉も、まったく気にした様子もない。
「本当によろしいのですか、青木先生?」
あらためて、林田は確認する。
「今更何を言っているのよ! 自白したんだから、約束通り賞金をよこしなさいよ」
「この賞金を受け取るという事は、生徒達や同僚の先生方の信頼を裏切ることになるのですよ。直接関与しなかったとしても、隠蔽工作を黙って見ていた事は事実です。罪に問われなくても、マスコミや世間からも非難を浴びることにもなる」
「そんなことぐらい覚悟の上よ」
弁護士の忠告を、青木は一蹴した。
「あたしは今まで、すべてを犠牲にしてこの学校の為に尽くしてきたわ。やりたくもない進路指導をやって、ガキどもからクソババアなどと罵られながら、婚期を逃してまで仕事に打ち込んで来たわ」
結婚が出来ないのは、確実に本人の人格に問題があるからだと思うが――それを指摘するほど林田は愚かではなかった。
「それも、今回の事件で全て台無しよ。これ以上、教師を続けたって、先は見えているわ。でもね、三億二千万あれば、人生をやり直すことはできる」
「わかりました。そこまでの覚悟があるならば、もう何も言いません」
結婚を諦め、教師である事すらやめた女に、逆らえるものなどいない。
大きく息をつくと、林田は鍵を差し出した。
「賞金は校長室の書類用金庫にあります。場所はわかりますね?」
「……これで、賞金は私のものね!」
すでに、林田の声は聞こえていないのだろう。
目を輝かせて鍵を見つめる青木に、林田は冷たく言い放つ。
「それはどうでしょうか」
「……どういう意味?」
「言い忘れましたが、加納家の遺族――長女の久保田早苗さんから、賞金の返還要求があったんです」
「え?」
「賞金は加納大悟氏の一存でやった事で、家族は承知していない。大悟氏が死亡した時点で、賞金は無効になるはずだ、というのが加納家側の言い分です」
「そんな……」
「金庫を開けるには、鍵とは別に暗証番号を打ち込む必要があります。賞金を手に入れるには、校長から暗証番号を聞き出さなければならない。裏切り者のあなたにみすみす、賞金を渡すくらいならば、校長は返還に応じるはずです」
「ちょっと、そんな話聞いてないわよ! 何とかしてよ、あんた弁護士でしょう!?」
「お断りします」
慌てふためく青木教諭を、林田弁護士は冷めた眼つきで見つめる。
「私は転落死事件の事後処理のために、日野原中学に雇われたのです。事件は解決した。そして、あなたはもうこの学校の教師ではない。私の仕事は終わりました。ここから先は、あなたの個人的な問題です」
「そんな……」
「覚悟しておくことですね。あなたも大概ですが、大悟氏の長女、久保田早苗さんも相当な業突く張りですよ。あらゆる手段を使って、あなたから賞金を取り戻そうとするでしょうね」
「…………」
真っ青になって絶句する教師の顔は見ものであった。
「そろそろよろしいですかな? 林田先生」
話が終るのを見計らって、酒井刑事がやって来た。
既にほかの教師たちは、警察署に連行されている。
残っているのは、彼女だけだ。
「詳しい事は、署で聞きましょうか。さ、こちらへ」
背後で待機していた野本刑事が、青木を拘束する。
「ちょっと待って! そんなのってないわよ!」
野本刑事に引きずられようにして体育館を出て行く青木を、酒井と林田は見送った。
「まったく、呆れたものですな」
いつものように飄々とした様子で、酒井刑事はつぶやく。
「あれで教師だって言うんだから、呆れるしかありませんよ」
「私たちも人の事は言えないでしょう」
「違いない」
林田が言うと、酒井は苦笑する。
「まあ、何にしてもこれで一件落着ですな。この度はいろいろとお世話になりました」
「こちらこそ。ありがとうございます」
互いに、軽く会釈する。
いろいろあったが、酒井刑事に遺恨はなかった。
弁護士として、警察として、互いに職分を全うした。それだけだ。
「これから、どうなさりますか?」
「服部真美さんの身柄を引き取りに行きます」
服部真美は現在、拘置所にいる。
真相が明らかになった以上、彼女も証言を取り下げるはず。
彼女を開放することが、林田の弁護士としての最後の仕事だった。
「そうですか。迷惑かけてすまなかった、と、彼女に伝えておいていただけませんか?」
「ご自分でどうぞ」
意地の悪い言い方をすると、刑事は苦笑した。
「そうしたいのはやまやまなんですが、私もこれから用事がありましてね。これから先生方を署まで連行しなければなりませんので。それでは失礼します、先生」
そう言い残し、酒井は体育館を出て行った。
○
刑事と別れた後、林田は体育館を後にした。
校舎の中に、人影はない。
静まり返った廊下を歩く途中、掲示板に目を止める。
そこには『日野原市主催。クリスマスチャリティーパーティー』のポスターが貼ってあった。
クリスマスツリーが描かれたポスターを見て、今日がクリスマスだという事を思い出した。
無性に父親らしいことをしたくなってきた林田は、懐からスマートフォンを取り出した。
娘の中学も今日から冬休み。
きっと、家にいるはずだ。
「……もしもし、未希か? ……うん、お父さんだ」




