過去のヒト その3
「今日はありがとう。あの映画、見たかったんだ」
商店街のツルッとしたコンクリートが、鮮やかなグラデーションで夕日を映し出している。
「私も気になってたんです。原作の小説が良かったので」
「あ、君は原作読んでたんだね」
「はい。でも、映画と原作で結末が少し違ったんですよ」
「そうなんだ」
彼が楽しそうに頷く。
「最近は小説とかアニメとかが原作の映画、結構多いよね」
「そうですね」
今なら。
彼の横顔を見上げて、ふいに感じた。
「河野さんは……普段、本読んだりしますか?」
心臓の音が。手から伝わってしまわないだろうか。
視線を景色に向けるけれど、ちっとも鼓動は落ち着いてくれない。
「うん、時々」
彼が、いつもの穏やかな声で続ける。
「でも、目が疲れちゃうから、少しずつしか読めないけどね」
「そう、なんですね……」
彼の切なさを帯びた横顔を、夕日がひっそりと照らしている。
「最近知ったんだけど、小説を音楽みたいに聴けるサービスがあるんだって」
「え、そうなんですか?」
「うん。でも僕は、実際の本の方が好きだな。あのページをめくる感覚とか、本の重みとか」
「……本を読んでるなって、実感できますよね」
「そうそう」
彼がにっこりと笑う。
「そうだ。ここの商店街、わりと大きい本屋があったね。寄ってく?」
「いいんですか?」
「うん。よかったら、君の好きな作家とか教えて? 僕も教えるよ」
「……はいっ」
私だけが、変に気にしてしまっているのか。
彼がまた、私を気遣ってくれているのか。
本当のところは分からないけれど。
彼の言葉は。笑顔は。素直に受け取りたい。
「あ、旅行のガイドブック、見てもいい?」
「はい」
本屋に入ってすぐのところにある旅行コーナーで立ち止まる。
「なんかさ、自分が住んでる場所のガイドブックって気にならない?」
「なります! 意外な発見があったりしますよね」
「そうそう」
彼が頷きながら、一冊、手に取る。
「……うどんの紹介ページが多いなあ」
「ですね」
隣から、私も覗き込む。
「あ、アート関係も載ってますよ」
「ほんとだ。今度、島まで行ってみようか」
「はい!」
彼の何気ない一言が、私の声を弾ませる。
「……あった。これが僕のオススメ」
単行本コーナーで、彼が一冊の本を見つけ出す。
「綺麗な装丁ですね」
「うん。ストーリーの雰囲気によく合ってるんだ。たしか文庫本もあるんだけど、奈月ちゃんはどっち派?」
「持ち歩かないなら単行本がいいです。本棚に並んでると、色が綺麗だなって」
「分かるよ。じゃあ、これ、プレゼントするね」
「え!?」
思わず、彼の顔を見る。
「君と、もっと本の話がしたいから。そのきっかけに」
「……ありがとうっ、ございます」
あなたの気持ちが、この上なく嬉しいです。
そう、言えればいいのに。
どうして、胸に仕舞い込んでしまうのだろう。
彼が抱えたその本の表紙を、じっと見つめた。
「はい、どうぞ」
外に出たところで、彼が本を丁寧に手渡してくれる。
「ありがとうございます」
「読めたら、感想言い合おうね」
「はい」
受け取った本には、彼の手のぬくもりが残っていて。
いつまでも。しっかりと。抱いていたかった。
「あれ? 圭太郎くん?」
そんな私の気持ちをひょいっと奪い去るような風と共に。
聞き覚えのない声が突然舞い込んできた。




