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あれから 満開の桜のそばで 〜目が見えにくいあなたとの物語〜  作者: 綾瀬 桜


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家族会議

 残暑と呼ぶには暑すぎる空気が満ちている。それなのに時折、秋めいた風が私の髪を撫でていく。


「ただいまー」

 玄関に入ると、いつもとは違った賑やかなお母さんの声が聞こえてくる。


「あ! やっと帰ってきたわね!」

 リビングからお母さんが顔を覗かせる。手招きをされて、リビングへと急いで向かう。


「おかえり、奈月」

「お父さん! 帰ってくるの、明後日じゃなかったっけ?」

「そのつもりだったんだがな。上司が早く帰れってうるさいから」

 お父さんが苦笑いを浮かべる。


「そんなことより! ね、奈月は晩ご飯、唐揚げがいいわよね?」

「え?」

「お父さんは揚げ物なら天ぷらがいいって言うから。多数決で決めようと思って」

「父さんはもう、どっちでもいいんだ」

 お父さんと目が合う。二人で同時に小さな溜め息をつく。

「私も、唐揚げがいいな。お肉食べたい」

「やっぱりそうよね! じゃあ決まり」

 お母さんがウキウキした足取りで台所へ向かう。


「……訊かれたから答えただけなんだが」

 お父さんの独り言は、包丁が響かせる音と混ざって消えていった。


「いただきます」

 目の前にある大量の唐揚げに手を伸ばす。


 パリッ。ジュワッ。

 鶏肉のジューシーな味わいが口いっぱいに広がる。


「美味しいね」

「でしょー。あ、こっちは塩唐揚げね」

「……ほんとだ!」

 向かいに座るお父さんも、美味しそうに黙々と食べている。


「奈月、最近学校はどうなんだ?」

 きゅうりの酢の物に手を伸ばしながら、お父さんが尋ねてくる。

「学校はまだ夏休みだけど、卒論のことで時々図書館に行ってるよ」

「そうか。まだ夏休みだったな」

「大学の夏休みって長いわよねえ。でも、会社の面接も受けたりしてるから忙しいわよねー?」

 お母さんが私と目を合わせる。そこが聞きたいんだと告げるような表情で。

「今、いくつか面接受けてて。全部、県内の会社なんだけど」

「……そうか」

 お父さんはそれだけ言って、麦茶を飲む。


「お母さんはね、県外の会社も考えてみてもいいんじゃないかって思うわよ」

「どうして? ……私が出て行っちゃったら、寂しくないの?」

 麦茶のグラスを掴むと、映り込んでいる照明の光がゆらゆらと揺れる。

「そりゃ寂しいわよ。でも、子どもはいつか巣立っていくものだし」

 お母さんがパクリと唐揚げを食べる。

「奈月がいいなら構わないけど、県外にも目を向けた方が可能性は広がるかなって。ね? お父さん」

「まぁな」

「それに。いろいろ考え時なのよ、今は」

「え……?」

 お母さんは空いたお茶碗を片手に立ち上がってしまう。


「奈月。他にお父さんに言いたいこと、あるんじゃない?」

 おかわりのご飯を食べ始めたお母さんが、優しく呟く。

「ん? そうなのか?」

 お父さんがこちらを見つめる。

「う、うん。えっと……」

 膝の上で、手をもじもじとさせてしまう。

「あのねっ、その……」

 周りの音がいつの間にか消えて、私の声だけが響く。


「いっ、今……付き合ってる人っ、が、います」

 ピクッとお父さんの眉毛が動く。

「……どんな人なんだ?」

「えっと……覚えてないかもしれないけど、前に、遠くに行っちゃうって話した人。今、県外に住んでて」

「あぁ……そうなのか」

 お父さんの頬が緩む。


 覚えていて、くれたんだ……

 じんわりと、心が温かくなる。


「でも、しょっちゅう奈月に会いに来てくれてるわよねー」

 お母さんが弾んだ声を出す。

「うん。……お父さん」

 私がお父さんを見つめると、お父さんもまっすぐ見つめ返してくれる。お母さんが、そっと口をつぐむ。


「彼……目が見えにくいの。病気で」

「……そうか」

「うん……」


「父さんは」

 お母さんが口を開きかけたけれど、お父さんがそれを制するように続ける。

「奈月を大事にしてくれる人なら、それでいい」

「……うんっ」

 涙が一粒。淡い月明かりのような光を帯びて、グラスの中へと吸い込まれていく。

「そうね。お母さんもそう思ってるわ」

 お母さんがにっこり笑う。


「……でもね、お父さん」

 お母さんがパッと明るい声で続ける。

「この前、彼に会ったのよ! そしたら、すごくいい人でね! かっこいいし、礼儀正しいし。奈月にすっごく優しいのよ!」

 キャッ、とお母さんが女子高生みたいな甲高い声を上げる。

「母さん……」

 お父さんが、肩をすくめる。

「あら。なぁに、お父さん。あっ、もしかしてヤキモチ?」

「……んなわけあるか。呆れてるんだ」

「あらやだ。心配しなくても、私が愛してるのはあなただけよ」

「急に何言い出すんだっ!」

 お父さんが勢いよく顔を窓の方へと向ける。

 その赤みを帯びた横顔に月明かりがさして、ほんのりと色が淡くなった。

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