夏の夜空に その2
屋台の前を通る度に、違う香りが漂ってくる。金魚すくいの前には子どもたちが集まっている。楽しそうな話し声。下駄の軽やかな音。その全てが、この空間を今日だけのものにしている。
「何か、食べたい物ある?」
彼が穏やかに尋ねてくれる。
「そうですね……あ! たいやき」
たいやきの可愛らしいイラストが目に留まる。
「いいね、行こう」
彼が嬉しそうに頷く。
「河野さんは何味にしますか?」
列の最後尾から、メニュー表を見上げる。
「そうだなあ……」
「昔はあんことカスタードくらいしかありませんでしたよね」
「うん」
「えっと……イチゴ、抹茶、レモンもありますよ。あんこは、こしあんみたいです」
「カスタードもある?」
「はい」
「じゃあ、僕はそれかな」
「私は、イチゴにしてみます」
「たいやきと言えばあんこのイメージだけど、どれが一番人気なんだろうね」
「どうなんでしょう? 最近の若い子って、あんこ食べるんですかね」
「君も若いじゃん。で、あんこ選んでないし」
「河野さんもカスタードじゃないですか」
「だね」
二人でクスクス笑いながら、列が進むのを待った。星たちもお祭りを楽しんでいるかのように、キラキラと輝き始めた。
「たいやき、アツアツだから気をつけて」
「はい」
通りの隅に避けて、たいやきの包みを広げる。
「奈月ちゃん、一口ちょうだい?」
「いいですよ、どうぞ」
「いや、先に食べなよ。君のなんだから」
「……はい」
言われて、一口かじる。
「美味しい」
「ほんと?」
私が彼の方に差し出すと、かじりかけの部分を一口パクッと食べる。
「ほんとだ。僕のもあげるね」
そう言って、彼も自分のを差し出す。
私は、かじられていない部分を一口もらう。
「美味しいですね」
「うん。あ、どっちの方が好き?」
彼がこちらを覗き込む。
「……カスタード」
「じゃあ、残り、こっち食べなよ」
「えっ、でも」
「僕、イチゴ気に入ったから」
言いながら、ひょいっと交換する。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
彼がにっこりと笑う。
「なんかさ」
たいやきを食べ進めながら、彼が呟く。
「間接キスって、ドキドキするね」
ゴホッ。
反射的に、むせてしまう。
「大丈夫?」
「……っ、変なこと言わないでくださいっ!」
頬が、一気に熱くなる。
「ごめん、ごめん」
「……それ、悪いと思ってます?」
「勿論」
彼のいたずらっぽい笑顔が、胸をやけに高鳴らせて。それ以上は言い返せなかった。
仕方なくたいやきをかじると、さっきまでよりも甘く感じた。
花火の時間が迫ってくると、人の波が一気に動き始める。私たちも花火が見やすい場所を探して歩き出す。
カラン、カラン。
そこら中から、軽快な音が響いてくる。
浴衣姿の女の子たちが通り過ぎていく度、目で追ってしまう自分がいた。
「……やっぱり、浴衣にすればよかったかな」
その言葉は、人混みの騒がしさで掻き消された。はずなのに。
「見れなかったのは残念だけど」
えっ!?
口元を手で思いっきり覆う。
「でも、そのワンピースも可愛いよ」
「あのっ」
「それに」
彼は歩く速度を緩めずに、続ける。
「違ったら恥ずかしいんだけど……僕の為かなって」
「……迷惑、でしたか」
足の力が上手く入らなくなって、立ち止まる。それにつられるように、彼も足を止める。
周りの人たちが、私たちを避けるようにして、どんどんと通り過ぎていく。
「どうして、そう思うの?」
「だって……」
あの日から。彼の目のことを意識しすぎている自分がいて。
どう接すればいいのか、時々分からなくなる。
でも、彼の望みはきっと違うから。
どこからが、迷惑になりますか?
「そんなわけないよ」
彼が、力強く告げる。
「君が真剣に考えてしてくれたことを、僕は迷惑だなんて思わない」
彼が、まっすぐに私を見つめている。
「ありがとう」
「はい……っ」
彼がスッと近づいてくる。私の頬に流れた一筋の涙を、手探りで拭い去る。
「行こう。花火、始まっちゃうよ」
「……はい」
夜風が運ぶ、体に堪える暑さの名残をすり抜けて。彼と一緒に歩いていく。満天の星空の下、どこまでも。




