名前屋 5
アルシアの町を旅立ってから二週間。
ルカは北の丘陵地帯にある小さな学術都市へ辿り着いていた。
学者たちの町。
書物の町。
そして夜空を観測する人々の町だった。
町へ入るなり、ルカは妙な視線を感じた。
人々がこちらを見ている。
いや。
正確には背中の鞄を見ている。
「名前屋だ」
「本当に来たのか」
「間に合ったな」
そんな声が聞こえる。
ルカが首を傾げていると、一人の青年が走ってきた。
「ルカさんですか!?」
「そうですが」
「先生がお待ちです!」
「先生?」
「天文塔の長です!」
何が何だか分からないまま連れて行かれた。
町の中央。
白い石で造られた塔。
その最上階で、一人の老人が夜空の地図を広げていた。
痩せている。
白髪。
細い指。
だが目だけは若者のように輝いていた。
「おお!」
老人はルカを見るなり立ち上がる。
「名前屋殿!」
「どうも」
「待っておりました!」
その勢いに少し押される。
「依頼でしょうか」
「その通り!」
老人は机の上の地図を叩いた。
「星です!」
ルカは瞬きをした。
「星?」
「新しい星です!」
興奮した様子だった。
老人は地図を広げる。
無数の点。
星々。
その中の一つを指差した。
「三年前に発見しました」
「それは凄いですね」
「しかし名前がない!」
そこで老人は真顔になった。
「三年も名前がないのです」
まるで病人を心配するような口調だった。
ルカは思わず笑いそうになる。
「名前を付けたいのですか」
「もちろん!」
老人は窓を開いた。
夕暮れだった。
空が紫色に染まっている。
「夜になれば見えます」
「ぜひ見てください」
その夜。
ルカは天文塔の屋上へ上がった。
風が冷たい。
空は晴れている。
雲一つない。
無数の星々が輝いていた。
ルカはしばらく言葉を失った。
旅をしていると夜空はよく見る。
だが。
こんなに静かな夜空は久しぶりだった。
「ほら」
老人が指差す。
「あれです」
ルカは目を凝らした。
小さな星だった。
決して明るくない。
大きくもない。
夜空の中では目立たない。
見落としてしまいそうなほどだった。
「なるほど」
ルカは呟く。
「地味でしょう?」
「ええ」
「だが美しいのです」
老人は笑った。
「誰も見向きもしない」
「派手でもない」
「特別明るくもない」
「ですが」
老人の目は星を見つめていた。
「毎晩そこにいる」
「三年前も」
「昨日も」
「今日も」
ルカも見上げる。
確かにそこにいた。
静かに。
何も主張せず。
ただ輝いている。
翌日からルカは町に滞在した。
天文学者たちの話を聞く。
記録を読む。
観測日誌を見る。
すると不思議なことに気付いた。
その星を発見した者たちは皆、同じことを書いていた。
夜道に迷った時。
研究に行き詰まった時。
人生に悩んだ時。
ふと見上げるとその星があった。
偶然だろう。
ただの偶然。
だが。
それでも皆、その星のことを書き残している。
まるで古い友人のように。
数日後。
名前を決める日が来た。
天文塔には多くの学者が集まっていた。
老人もいる。
青年もいる。
皆がルカを見ていた。
「決まりましたか」
老人が尋ねる。
ルカは夜空を見上げた。
あの星が見える。
静かだ。
目立たない。
だが確かにそこにいる。
ずっと。
誰かが見上げる日を待つように。
「その星の名は――」
風が吹く。
夜空が広がる。
「ネルア」
人々がその響きを繰り返す。
「ネルア……」
「どういう意味です?」
青年が尋ねた。
ルカは少し考えた。
「古い旅人たちの言葉に近い響きです」
「夜の途中で見つける静かな灯」
それは辞書に載る言葉ではない。
けれど。
その星にはその名前しかない気がした。
目印ではない。
導きでもない。
希望でもない。
そんな大層なものではない。
ただ。
疲れた夜にふと見上げた時。
そこにいてくれるもの。
ネルア。
学者たちは空を見上げた。
誰も反対しなかった。
理由は分からない。
だが納得していた。
昔からそう呼ばれていたような気さえした。
「ネルアか」
老人は微笑む。
「良い」
「実に良い」
その夜。
町中で新しい星の名前が語られた。
酒場で。
宿で。
広場で。
人々は空を見上げる。
「ネルア」
その名を口にする。
星は何も変わらない。
昨日と同じ場所で輝いている。
けれど。
今まで名前のなかった星は。
今夜から誰かに呼ばれる星になった。
ルカは宿の窓から夜空を見上げた。
ネルアは静かに光っていた。




