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名前屋  作者: San


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4/7

名前屋 4

その町へ着いた時。


 ルカはまず空を見上げた。


 


 曇っていた。


 


 いや。


 


 いつも曇っているのだろう。


 


 町の人々の顔を見れば分かった。


 


 誰も空を見ない。


 


 雨が降ることが当たり前だからだ。


 


 石畳は濡れている。


 


 屋根も濡れている。


 


 壁も濡れている。


 


 町の隅々まで湿っていた。


 


「変わった町ですね」


 


 ルカが言うと、近くの商人が笑った。


 


「旅人さんかい?」


 


「ええ」


 


「なら驚くだろうな」


 


 商人は町の中央を指差した。


 


「あれを見な」


 


 ルカは視線を向けた。


 


 そして足を止めた。


 


 大きな塔だった。


 


 鐘楼のようにも見える。


 


 だが鐘はない。


 


 窓もない。


 


 入口も小さい。


 


 ただ高く。


 


 ただ静かに。


 


 町の中央に立っていた。


 


「古い塔ですか?」


 


「古いなんてもんじゃない」


 


 商人は笑う。


 


「誰が建てたかも知らない」


 


「記録もない」


 


「ずっと昔からある」


 


「名前は?」


 


 すると商人は首を傾げた。


 


「名前?」


 


「はい」


 


「そんなものあったか?」


 


 周囲の人々も顔を見合わせる。


 


「そういや聞いたことねえな」


 


「塔は塔だろ」


 


「呼び方なんか必要か?」


 


 ルカは塔を見上げた。


 


 妙だった。


 


 とても妙だった。


 


 巨大な建造物なのに。


 


 誰も名前を付けていない。


 


 その日の午後。


 


 ルカは塔を調べ始めた。


 


 中へ入る。


 


 暗い。


 


 石の螺旋階段。


 


 上へ。


 


 上へ。


 


 ひたすら続いている。


 


 息が切れる頃。


 


 ようやく頂上へ辿り着いた。


 


 そして驚いた。


 


 屋上の中央に。


 


 巨大な石の器があった。


 


 雨水が溜まっている。


 


 澄んだ水。


 


 長年雨だけを受け続けたような静かな水。


 


 ルカは覗き込んだ。


 


 空が映っている。


 


 灰色の空。


 


 流れる雲。


 


 ぽつり。


 


 雨粒が落ちる。


 


 波紋が広がる。


 


 それだけだった。


 


 だが。


 


 不思議と目が離せない。


 


 翌日からルカは町中を歩き回った。


 


 古い記録を調べる。


 


 老人たちに話を聞く。


 


 何日も。


 


 何日も。


 


 すると一人の老婆が教えてくれた。


 


「昔ね」


 


 老婆は暖炉の前で語った。


 


「大干ばつがあったそうだよ」


 


「干ばつ?」


 


「ええ」


 


「川も枯れた」


 


「畑も枯れた」


 


「人も死んだ」


 


 静かな声だった。


 


「その時だけは不思議だったらしい」


 


「何がです?」


 


「塔の上だけ雨が降ったんだよ」


 


 ルカは瞬きをした。


 


「塔だけ?」


 


「そう」


 


「だから人々は塔の水を分け合って生き延びた」


 


 暖炉の火が揺れる。


 


「でも年月が経って」


 


「皆忘れた」


 


「助けられたことも」


 


「塔がそこにある理由も」


 


 老婆は笑った。


 


「人間なんてそんなものだよ」


 


 その夜。


 


 ルカは再び塔へ登った。


 


 雨が降っていた。


 


 静かな雨。


 


 冷たい雨。


 


 器の水面に波紋が広がる。


 


 ルカは考える。


 


 塔は雨を集める。


 


 だがそれだけではない。


 


 長い年月。


 


 誰にも気付かれなくなっても。


 


 ずっとそこに立っている。


 


 何かを蓄えるように。


 


 何かを待つように。


 


 まるで。


 


 空から落ちてくる無数の雨粒を。


 


 一つ残らず覚えているようだった。


 


 翌週。


 


 町の広場に人が集まった。


 


 ルカが名前を与える日だった。


 


 皆が塔を見上げる。


 


 灰色の空。


 


 小雨。


 


 静かな午後。


 


「決まりましたか?」


 


 町長が尋ねる。


 


 ルカは頷いた。


 


 そして少し考えてから言った。


 


「この塔の名は――」


 


 人々が耳を傾ける。


 


「アルシア」


 


 聞き慣れない響きだった。


 


「どういう意味です?」


 


 誰かが尋ねる。


 


 ルカは塔を見上げた。


 


「昔の古い言葉で」


 


「集めたものを失わない場所」


 


 もちろん今では誰も使わない言葉だ。


 


 記録の片隅に残っていた古語。


 


「雨を集め」


 


「人々の命を繋ぎ」


 


「その記憶さえ抱え続けている」


 


 ルカは少し笑った。


 


「だからアルシアです」


 


 静寂。


 


 誰もすぐには喋らなかった。


 


 だが不思議だった。


 


 意味を聞けば納得できる。


 


 けれど。


 


 雨塔や命塔のように説明そのものではない。


 


 塔だけが持つ名前。


 


 昔からそう呼ばれていたかのような名前。


 


「アルシアか……」


 


 老婆が呟く。


 


「いいねぇ」


 


 町長も頷く。


 


「確かにそんな気がする」


 


 子供たちが口にする。


 


「アルシア!」


 


「アルシアだ!」


 


 その名は少しずつ町へ広がっていった。


 


 翌日には市場で。


 


 一週間後には酒場で。


 


 一か月後には誰もが。


 


 当然のようにその名前を口にしていた。


 


 そして旅立ちの日。


 


 ルカは町の外から振り返った。


 


 雨の中。


 


 アルシアは静かに立っている。


 


 何百年も前からそうであったように。


 


 何百年先もそうであるように。


 


 空を見上げながら。


 


 静かに雨を受け止め続けていた。

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