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名前屋  作者: San


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3/7

名前屋  3

ルカが二十六歳になった頃。


 


 名前屋としての評判は各地へ広がっていた。


 


 名のない植物。


 


 新しく見つかった動物。


 


 呼び名の定まらない道具。


 


 あるいは、自分の名前を嫌い、新しい名を求める人々。


 


 ルカは旅をしながら、そうした様々なものに名前を与えていた。


 


 ある日のことだった。


 


 彼は大きな川のほとりにある町へ辿り着いた。


 


 その町は川によって二つに分かれている。


 


 川の東側。


 


 川の西側。


 


 人々は橋を使って行き来していた。


 


 市場も。


 学校も。


 教会も。


 


 町の生活はその橋によって支えられている。


 


 だが町へ入ったルカは少し不思議に思った。


 


「橋の名前は?」


 


 宿屋の主人に尋ねたのだ。


 


 すると主人は困った顔をした。


 


「橋?」


 


「ええ」


 


「橋は橋ですよ」


 


「名前はないのですか?」


 


「考えたこともありませんな」


 


 主人は笑った。


 


「橋なんて橋です」


 


 ルカは少し気になった。


 


 翌朝。


 


 彼は橋を見に行った。


 


 大きな石橋だった。


 


 川幅は広い。


 


 橋脚は太い。


 


 古いが頑丈そうだ。


 


 多くの人が行き交っている。


 


 農夫。


 


 商人。


 


 旅人。


 


 子供。


 


 誰もが当然のように橋を渡る。


 


 そして誰も橋を見ていない。


 


 まるで空気のように。


 


 当たり前のものとして扱われていた。


 


 ルカは橋の欄干に腰掛けた。


 


 川を眺める。


 


 流れは穏やかだった。


 


 すると隣に老人が座った。


 


「旅人かね」


 


「名前屋です」


 


「ほう」


 


 老人は少し驚いた顔をする。


 


「名前屋か」


 


「この橋について何か知りませんか」


 


 老人は橋を見上げた。


 


 しばらく黙る。


 


 そして静かに語り始めた。


 


「昔、この町は二つの村だった」


 


「二つの村?」


 


「川を挟んでな」


 


「仲は悪かった」


 


 ルカは耳を傾ける。


 


「水を取り合い」


 


「畑を取り合い」


 


「何十年も争った」


 


「だがある年」


 


「大洪水が来た」


 


 老人の目が遠くを見る。


 


「両方の村が滅びかけた」


 


「その時だけは助け合った」


 


「争う余裕など無かったからな」


 


 風が吹いた。


 


 川面が揺れる。


 


「そして洪水の後」


 


「皆でこの橋を造った」


 


「二つの村を繋ぐために」


 


「もう争わないために」


 


 老人は小さく笑った。


 


「わしの祖父の祖父の話だ」


 


「今では誰も覚えておらん」


 


 ルカは橋を見上げた。


 


 古い石。


 


 擦り減った欄干。


 


 無数の足跡。


 


 何百年もの時間。


 


 橋は黙ってそこにいた。


 


 人を繋ぎ続けていた。


 


 誰にも褒められず。


 


 誰にも感謝されず。


 


 ただそこにある。


 


 それが役目だから。


 


 その日の夕方。


 


 ルカは橋の上を歩いた。


 


 子供たちが走る。


 


 恋人たちが話している。


 


 商人たちが荷車を押している。


 


 橋の上には笑い声があった。


 


 争いはない。


 


 東側も西側もない。


 


 今では一つの町だった。


 


 ルカは立ち止まる。


 


 橋の中央。


 


 川の真上。


 


 夕日が水面を赤く染めていた。


 


「そうか」


 


 彼は小さく呟いた。


 


 数日後。


 


 町長や住民たちが集められた。


 


「名前が決まったのですか?」


 


 町長が尋ねる。


 


 ルカは頷いた。


 


「はい」


 


 人々が静かになる。


 


 ルカは橋を見た。


 


 何百年もそこにあった橋。


 


 争いを終わらせた橋。


 


 人を繋ぎ続けた橋。


 


「この橋の名は――」


 


 風が吹く。


 


 川が流れる。


 


 夕日が石橋を照らす。


 


結橋ゆいばし


 


 人々が顔を見合わせた。


 


「結ぶ橋です」


 


「人と人を」


 


「村と村を」


 


「過去と未来を」


 


「だから結橋」


 


 静寂。


 


 そして。


 


 一人の老婆が涙を流した。


 


「いい名前だねぇ」


 


 その言葉に続くように。


 


 人々が頷く。


 


 誰かが拍手する。


 


 また誰かが笑う。


 


 子供たちが橋の名前を呼び始める。


 


「結橋!」


 


「結橋だ!」


 


 声が響く。


 


 橋は何も言わない。


 


 石橋だから当然だ。


 


 だがルカには。


 


 長い間名前を待っていた誰かが。


 


 ようやく呼ばれたように思えた。


 


 その夜。


 


 宿へ戻る途中。


 


 ルカは振り返った。


 


 月明かりの中。


 


 結橋が静かに川を跨いでいる。


 


 明日も。


 


 来年も。


 


 百年後も。


 


 誰かと誰かを繋ぎ続けるのだろう。


 


 ルカは少し笑った。


 


 そしてまた旅支度を整える。


 


 世界にはまだ。


 


 名前を持たないものがたくさんあるのだから。

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