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名前屋  作者: San


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6/7

名前屋 6

その森は地図に名前がなかった。


 


 それ自体は珍しくない。


 


 世界にはまだ名付けられていない場所が数多く存在する。


 


 だが。


 


 ルカがその話を聞いた時、少しだけ興味を持った。


 


「名前が決まらない?」


 


 街道沿いの宿で聞いた話だった。


 


「そうだよ」


 


 宿の主人が頷く。


 


「昔から何人も名前屋が来た」


 


「けど誰も決められなかった」


 


「決められなかった?」


 


「変なんだ」


 


 主人は首を傾げる。


 


「森を見るたび印象が変わる」


 


「ある人は優しい森と言う」


 


「ある人は不気味な森と言う」


 


「ある人は古い森と言う」


 


「ある人は若い森と言う」


 


 ルカは黙って聞いていた。


 


「だから誰も納得できる名前を付けられない」


 


 主人は笑った。


 


「名前屋泣かせの森さ」


 


 翌日。


 


 ルカは森へ向かった。


 


 町から半日。


 


 丘を越えた先。


 


 森はあった。


 


 遠くから見れば普通だった。


 


 深い緑。


 


 広がる木々。


 


 鳥の声。


 


 風に揺れる枝。


 


 だが近付くにつれ。


 


 妙な感覚があった。


 


 森がこちらを見ているような。


 


 そんな感覚。


 


「……」


 


 ルカは森へ足を踏み入れた。


 


 木漏れ日が落ちる。


 


 鳥が鳴く。


 


 小川が流れている。


 


 静かだった。


 


 そして優しかった。


 


 森は人を拒んでいない。


 


 むしろ迎え入れているようだった。


 


「穏やかな森だな」


 


 思わず呟く。


 


 その時だった。


 


 遠くで鹿が走った。


 


 ルカはその後を追う。


 


 しばらく進む。


 


 すると景色が変わった。


 


 木々は太くなり。


 


 光は減り。


 


 空気は重くなる。


 


 先程までの優しさが消えていた。


 


 何百年も誰も触れていないような場所。


 


 静かすぎる。


 


 鳥もいない。


 


 風もない。


 


「……同じ森か?」


 


 思わず立ち止まる。


 


 まるで別世界だった。


 


 夕方。


 


 森を出たルカは宿へ戻った。


 


 そして記録帳を開く。


 


『穏やか』


 


 と書こうとして止まる。


 


 違う。


 


 あの深部は穏やかではない。


 


『古い』


 


 違う。


 


 若い木々もあった。


 


『静か』


 


 違う。


 


 入口では鳥たちが騒いでいた。


 


 何も書けない。


 


 ルカは初めてだった。


 


 こんなことは。


 


 数日。


 


 さらに数日。


 


 彼は森へ通った。


 


 朝。


 


 昼。


 


 夕方。


 


 雨の日。


 


 晴れの日。


 


 曇りの日。


 


 何度も歩く。


 


 だが答えは出ない。


 


 ある日は母親のように優しい。


 


 ある日は賢者のように静か。


 


 ある日は獣のように荒々しい。


 


 まるで一つの顔を持たない。


 


 いや。


 


 違う。


 


 顔が多すぎるのだ。


 


 そして十日目。


 


 ルカは森の中央にいた。


 


 倒木に腰掛ける。


 


 疲れていた。


 


「分からないな」


 


 誰に言うでもなく呟く。


 


 風が吹く。


 


 葉が揺れる。


 


 その音を聞きながら。


 


 ふと。


 


 昔の師匠の言葉を思い出した。


 


『名前は説明ではない』


 


『本質を掴むものだ』


 


 ルカは目を閉じた。


 


 穏やか。


 


 恐ろしい。


 


 若い。


 


 古い。


 


 明るい。


 


 暗い。


 


 その全てが浮かぶ。


 


 そして気付く。


 


 どれも間違いではない。


 


 どれも本当なのだ。


 


 森は変わっているのではない。


 


 最初から全部持っている。


 


 人間も同じだ。


 


 優しい人が怒ることもある。


 


 強い人が泣くこともある。


 


 一つの言葉では表せない。


 


 それでも名前はある。


 


 ルカはゆっくり目を開いた。


 


「そうか」


 


 初めて。


 


 心が少しだけ静かになった。


 


 数日後。


 


 町の広場。


 


 人々が集まっていた。


 


「決まったのか?」


 


「本当に?」


 


 皆がざわめく。


 


 ルカは森の方を見る。


 


 風が吹いていた。


 


 緑の海のように木々が揺れる。


 


 そして口を開いた。


 


「この森の名は――」


 


 静寂。


 


「ヴェルナ」


 


 人々が首を傾げる。


 


「どういう意味だ?」


 


 ルカは少し考えた。


 


「古い言葉です」


 


「たくさんの姿を抱いたまま、一つであり続けるもの」


 


 説明しきれない響き。


 


 だが不思議だった。


 


 誰も違和感を覚えなかった。


 


 優しい日も。


 


 恐ろしい日も。


 


 静かな日も。


 


 全て含めて。


 


 ヴェルナ。


 


 そんな気がした。


 


 町人たちは森を見つめる。


 


「ヴェルナか」


 


「確かに」


 


「そんな感じだな」


 


 誰かが笑う。


 


 誰かが頷く。


 


 子供たちがその名を繰り返す。


 


「ヴェルナ!」


 


「ヴェルナの森!」


 


 風が吹いた。


 


 森がざわめく。


 


 葉が鳴る。


 


 まるで長い間黙っていた誰かが。


 


 ようやく呼ばれたことを喜ぶように。


 


 ルカはその音を聞いていた。


 


 そして少しだけ思った。


 


 名前とは。


 


 全てを説明するものではないかもしれない



 むしろ


 説明しきれないものを。


 


 そっと呼ぶためにあるのかもしれない、と。

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