始祖
来日して十日後。
綺羅はその高校に門の前に立っていた。
「……土御門学園高校。たしかに私には似合いの高校ですね」
諸々の事情により、結局帰国子女ということに設定になった綺羅は薄く笑う。
むろん、それは「土御門」という文字から連想される、魔を封じる者として有名なある人物に思い至ったからだ。
だが、それも長くは続かなかった。
「それにしても、まさかの失敗です」
「たしかに女子高校生とは仕事が完了するまでのかりそめの姿。雑用に追われぬよういつも通りホテル住まいという選択は間違ってはいません。ですが……」
「普通の女子高校生が高級ホテルから学校に通うなどありえない話です」
「帰国したばかりで色々と慣れないことがあるなどと理由はつけられますが、どこか適当な住処を早急に見つけなければいけませんね」
「学校の寮か契約している住居があればいいのですが」
むろん、そのようなものはなく、結局しばらくの間はホテル暮らしになることが決まる。
だが……。
「どうやら住処探しは必要がなさそうですね。まさかこんなに早く見つけられるとは思いませんでした」
そう。
学校内に入った瞬間、気づいたのだ。
あの懐かしき香りが漂っていることを。
それとともに緊張が走る。
「学校内に寝所があるなどというおかしな事態でなければ、当然私のターゲットは教師か生徒として生活しているということになります。ですが、今は昼。つまり、その者は太陽の下で行動できる」
ヴァンパイアハンターと同様吸血鬼にもランクがある。
そして、太陽の下で行動できるのはその中でもかなりの上級ということになる。
「それができるのは真祖の一族のみ。これがこれまでの常識。ですが、すべての真祖が消えた今は、最上級者はファースト・ロッジということになります。ファースト・ロッジの者でも昼間に活動できるものがいる。これは大きな情報です。それとも……」
「真祖の一族の生き残りがおり、日本に滞在しているということでしょうか」
「まあ、それはどちらでもいいこと。会って話を聞ければよし。そうならなくても始末はできますから」
だが、その余裕もここまでだった。
おかしい。
綺羅は気づく。
自身の嗅覚に反応する数はひとつではなかったのだ。
最低でも三つ。
しかも、すべてが上位種のもの。
あり得ない。
しかも……。
「ふたつは徐々に近づいてきています」
「もしかして、ここで戦闘になるのですか?」
さすがにそれは色々な面でまずい。
だが、相手がその気であるならば、こちらも相応の準備をしなければならない。
綺羅はポケットに手を入れる。
小型ナイフのみ。
上級吸血鬼と戦うにはとても足りない。
そうなれば、対吸血鬼用に自身の能力を開放しなければならないが、それはこのような多くの目がある場所では使うことが憚れるもの。
やり過ごすしかないですね。
少なくてもこちらから仕掛けるわけにはいきません。
心の中でそう呟いた綺羅は、ナイフを握りしめながら、近づいてくる者たちを確認する。
そして……。
「……教師?教師をやっているのですか?吸血鬼が」
男。
見た目の年齢は二十代半ば。
イケメンの部類に入る顔立ち。
そして、なにより驚いたのはその男はジャージに身を包んでいる。
つまり、体育教師ということ。
驚きの表情をどうにか隠し込んだ綺羅に一瞬だけ目をやったものの、その男はそのまま通りすぎていった。
だが、直後、もうひとつの存在が現れる。
再び教師。
しかも、女性。
さすがに今度はジャージ姿ではなかったのだが。
「教師として紛れ込んでいるのですか……」
「……まあ、そういうことだ」
思わず漏れ出した自身の言葉に耳元で反応する男の声。
「よう」
驚き飛びのき、そして振り返った綺羅が見たもの。
それは男子高校生。
むろん知り合いなどではない。
だが、相手は自分を認識している。
いや。
それどころかヴァンパイアハンターとしての言葉に反応していた。
「誰ですか?あなたは」
「誰ですかはないだろう。俺に会いに来たのだろうが」
「はあ?」
綺羅はその男子高校生を睨みつける。
先ほどのふたりと違い、この高校生からは吸血鬼の香りがしない。
つまり、違う。
ですが、私はこの男の接近に気づかなかった。
油断?
いや。
吸血鬼にばかり気を取られていたため、普通の人間の気配には気づかなかったのだ。
「あなたなどに用はありません」
「本当に?」
「もちろん。それに何か勘違いをしているようですが……」
男は右手で綺羅の言葉を遮る。
そして、ニヤリと笑う。
「これでもか?」
その瞬間、禍々しい香りが一帯を覆う。
「あなたはいったい……」
「言うまでもない。あんたの待ち人」
「六条野可和羅。それが俺の名だ」
ありえません。
綺羅は男を睨みつけながら心の中で呟く。
自身が発する吸血鬼の匂いを完全に消し去ることができる?
いや。
この男は自由に操れるということだ。
そのような吸血鬼に出会ったことはない。
違う。
そのような報告もないし、教書にも書かれていない。
そして、そうなると先ほどの件は、自分の気の緩みなどではなく、相手が完全に気配を消して近づいたと思っていい。
つまり……。
相当やる。
だが……。
「安心しろ。ここは学びの場。荒事はおこなうべきではない。それに……」
「もうすぐ授業が始まる。教室も戻らねばならない。案内してやるからついて来い」
「不要です」
「だが、結局また会うことになるぞ。久家月綺羅」
六条野可和羅と名乗ったその吸血鬼に自分の名を呼ばれた綺羅はさすがに驚きの感情を完全には隠せない。
「……なぜ知っている。私の名を」
「相手の情報を手に入れているのが自分たちたちだと考えていたのか。人間」
「一応言っておけば、おまえは俺と同じクラス。つまり、同級生ということだ。そういうことで……」
「これからよろしく」
そう言って、可和羅は背を向ける。
今なら殺れる。
そう思った瞬間、綺羅は気づく。
自分たちが異様な空間にいることを。
一見すると何も変わっていない。
だが、ほんの少し前までそこに歩いていた生徒や教師が消え、自分と可和羅しかいない。
「何をしたのですか?」
「何をした?」
「ここは……」
「ああ。そのことか」
そう言って可和羅は黒い笑みを浮かべる。
「俺たち、いや、私たち以外の時間を止めている。さすがに今の会話は他人には聞かせられないからな」
「もちろん指を鳴らせば元に戻り、皆何事もなかったかのように動き出す」
時間を止める。
そのような能力を持った吸血鬼は知らないし、もちろん異能の持ち主であるの集まりであるヴァンパイアハンターにもそのような能力を持った者はいない。
「そのような能力を持っているのならなぜ私を始末しないのですか?私の名前を知っているということなら、私の本当の仕事を知っているのでしょうし、ここに来た目的も知っているのでしょう」
「言っておきますが、私は強い。もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれませんよ」
むろん強がりである。
だが、それと同時に本音でもある。
それだけの能力があるのなら殺すことは容易い。
それをおこなわないということは自分を圧倒的強者と認識し、やってきた相手を弄ぶことが目的。
どんなことがあろうともそのようなものにはなる気はない。
「ですが、死ぬ前に聞いておきましょう」
「いったいあなたは何者ですか?」
「言いたくはありませんが、あなたはこれまで会ったどの吸血鬼よりも強い」
「もちろんファースト・ロッジはもちろん、真祖も含めてです」
「まあ、そうだろうな」
「確かに私は彼らよりも強い」
「なぜなら、真祖と呼ばれる彼らには私の能力の一つしか与えていないのだから」
「そして、おまえに見せたふたつの能力は彼らに与えていないものだ」
「もしかして……」
「そういうことだ」
「私は始祖。始まりの吸血鬼だ」
「……とにかく授業が始まる。話の続きは放課後してやる」
可和羅はそう言って指を鳴らすと、それまでの静寂が嘘のようないかにも授業が始まる休み時間といえる慌ただしい空間が復活する。
「遅れるなよ」
それからすぐ。
綺羅はその教室で紹介を受けていた。
すべてが日本に来る前に学習したとおり。
だが、どれこれも予定外。
本来は明日の朝、ホームルームで紹介されるはずだった。
それが半ば強引に教室に連れ込まれたのだ。
可和羅に。
しかも、流れのまま、授業も受けさせられる。
私服で。
むろん授業そのものは難しくはない。
小手調べと言わんばかりに教師から指名され、問題を解く。
そして、休み時間になるとクラスメートが群がる。
学期の半ばで入学してきた生徒に起こるお決まりの光景といえるだろう。
そつなくすべてをこなしながら、綺羅の視線はひとりに注がれていた。
六条野可和羅。
だが、可和羅の様子に変わったところはない。
男子たちのグループの中心となり笑い合う普通の男子高校生。
そして、寄ってくる女子にも。
吸血鬼だという真実を知らなければ一瞬で目を逸らすことだろう。
だが、気を許してはいけない。
あれは自分をだますための演技ということも十分に考えられるのだから。
いや。
実際にそうなのだから。
だが、腑に落ちない点もある。
いや。
そればかりと言ってもいいかもしれない。
そもそもなぜあの吸血鬼は人間社会に溶け込んでいるのだ?
そう。
綺羅が知るかぎりそのような吸血鬼はこれまで存在しなかった。
もちろん大部分の吸血鬼は昼間に行動できない。
それができる上級の吸血鬼も人間と関わりを持つことを避けてきた。
だが、この吸血鬼は違う。
それはおそらく僕である教師をしているふたりも同じ。
ということは、何か特別な目的があるということになる。
それを知り、ロンドンに伝えねばならない。
むろん、この状況からそれができるかはわからないが。
「まずは放課後をやり過ごし、ホテルに戻ることを今日の目標にしましょう」




