◇30 - 悪魔の娘
―――目が覚めると、そこは誰かの部屋だった。
湿気と黴の匂いが立ち込める石造りの空間。
壁や床に貼り物はされておらず剥き出しで、床を敷き詰める冷たい石レンガの隙間には苔が生えている。
そんな下水路の一角みたいな不潔な場所に、家具が乱雑に配置されていて、妙に生活感はある。
視界の端に人の気配を感じて視線を向けると、エルゼリータが居た。
エルゼリータは真っ赤な腸詰を口にくわえながら、俺の方に近づいてきた。
「おー、やっと起きたね」
戦闘時のテンションの高さはどこへやら、エルゼリータは気だるそうな顔で俺の前にしゃがむ。
「はい。あーん」
エルゼリータは片手に持った皿から腸詰を一つ摘まみ上げて、俺の前に差し出す。
エルゼリータ自身が食べていたから妙な物は入っていないと思うが、食べる気にはならない。
頑なに口を閉じて居たが、彼女も俺に食べさせないと気が済まないのか、俺の口に無理やり詰め込もうとする。
埒が明かないので根負けして、大人しく口に入れた。
肉の風味と一緒に、血の臭いが口の中に広がる。
「ぐっ……おい、何だこれは」
「ブラッドソーセージだよ? 大丈夫。人間のお肉じゃないよ」
「……」
冗談なのだろうが、随分とシャレにならないことを言う。
こいつなら本当に食人くらいして居そうだ。
「ダディがね、ボクに作り方を教えてくれたの」
「またダディか……」
確かコイツ、俺をそうするとか言って攻撃してきたんだよな。
差しの勝負に負けて、捕まってしまったのだろう。
腕と足は、背後で鎖の様な物に縛られている。これくらいなら、魔法で破壊できそうだ。
「はい、もう一つどーぞ」
腸詰を飲み込むと、間を置かずにエルゼリータが新しいのを差し出してきた。
「いらん」
血の癖が強すぎて、好きになれそうもない。
それに、こんな得体の知れない女が作った物なんて、怖くて体に入れたくない。
「おなか減ってないの?」
エルゼリータは案じるような顔をこちらに向ける。
危機感は拭えないが、どうもこの女にこちらを害する意図は無さそうである。
普通に対話できるのなら、こちらが聴き方を工夫すればいいのか。
「腹は減ってない。大丈夫だ。
それよりも、説明を聞かせてもらいたい。お前はどうして、俺をここに連れてきた?」
「さっきも言ったけど、貴方にボクのダディになってもらいたいの。……ダメ?」
エルゼリータは心配そうに、俺の顔を覗き込む。
「ダメかどうかはこれから決める。そのダディって何だ?」
「ダディは、ダディだよ?」
何を当たり前の事を訊くのかと言いたげに、エルゼリータは不思議そうにして首を傾げる。
言葉通りの意味と受け取って良いのだろうか。
つまりは、父親。そう言えばさっき、父親に腸詰の作り方を教わったと言っていたか。
「……お前の本当のダディはどうした?」
「死んじゃった。ボクのせいで、教会の人に殺されちゃったの」
そんな予感はしていたからこそ、こちらとしても聴きにくい質問だったが、エルゼリータは哀しそうにしながらも、すんなりとそう答えた。
「……つまり、あれか? お前の親父の代わりを探している訳か」
「うん。そう言う事だね」
こちらの理解を得られて嬉しいのか、エルゼリータは嬉しそうに頷く。
嫌悪に思わず顔をしかめた。そうせずには居られなかった。
一体何があれば、こういう壊れ方をするのか。
それとも、これを"壊れている"と称する俺の方に、問題があるのか。
「ダディがね、教えてくれたの。無くなったなら、新しく作るか、探せばいいって」
死んだ父親が死に際にそうとでも言ったのか?
……いや、それはどうも考え辛い。だとすれば、俺の他にもダディ候補が居るという事か。
「それを君に教えたダディはどこに居るんだ?」
「あそこ」
エルゼリータは振り向いて、部屋の隅を指さした。
そこに佇んでいたのは、先ほどエルゼリータが連れていた黒い人影だった。
改めて見てみると、人影と称するにはやや形が簡素過ぎる。
長方形の上に小さな正方形を乗せて、その中に白い点を二つ打っただけの、落書きの様な姿だった。
ルエルラムも漆黒の人型だったが、あちらはもっと造形が細かかった。
冷静になってみると、同じ存在にはとても見えない。
だからと言って、このダディが何者なのかは見当もつかないのだが。
「あれが、君の父親なのか?」
その問いに、エルゼリータは悩む様にして首を傾げる。
「うーん。あれはダディだけど、ダディじゃない。ボクのダディはもっと強くないとダメなの」
どうやら彼女のダディには、保護者とか後見人と言った意味も含まれているのだろう。
それにしたって、あのヘンテコな黒い影を保護者とするのも、随分と変わった話である。
「あー、つまり、お前を負かしかけた俺の実力を見込んで、ダディにしたいと言っている訳だ」
「その通り。お兄さんは強いから、私のダディなの」
エルゼリータはそう言って、無害な微笑みをこちらに向ける。
なんだかコイツと話していると、警戒心が削がれる。
敵愾心とか持っているのが馬鹿らしく思えてくるような、そんな平和な雰囲気があるんだよな。
霧の中で戦っていた時とは、だいぶ雰囲気が違う様だ。
これなら、巡礼者を襲っていたのにも、俺達の予想も出来ない間抜けな理由が在りそうである。
「それじゃあ、今まで街の巡礼者を襲っていたのは、お前より強い奴を探すためだったのか?」
「ううん。あれはね、ダディに言われたからやったの。やっつけると、ダディが喜ぶんだ」
あの黒い人影に命じられていた?
つまり街の事件は、コイツの意思ではなく、悪魔(暫定)の意思だったわけか。
だとすれば、一応は殺人事件との共通点は発見できた形になる訳だが……やはり、あの人影の正体を探らない事には、話にならないか。
「なあ、エルゼリータ。あの黒いのは、一体どういう人なんだ?」
「ボクのダディだよ」
「……それは分かってる。えっと、具体的に君に何をしてくれた人なんだい?」
「ボクにお仕事をくれる人」
「仕事?」
エルゼリータはしまったと言う顔をして、口を塞いだ。
それから部屋の隅に居る人影を、恐れる様に窺いだす。
どうやら、今のは口止めされていたらしい。
悪魔には未知の部分が多いが、あれだけの力を持った存在が人を使って何かをする様な、回りくどい行動をわざわざするだろうか?
どうも、あの人影は胡散臭い。
「なあ、エルゼリータ。俺はあの人と話がしてみたいんだ。できれば、この拘束を解いてもらえないかな?」
黒い人影はさっきから微動だにしていない。
奴を調べるにはこっちから出向くしかない訳だが、拘束されていてはそれもままならない。
しかし、エルゼリータは俺の申し出に、強く否定の意思を示した。
「ダメ。そんなことしたら逃げるでしょう」
「逃げないよ。約束する」
「ダメなものはダメ!」
駄々をこねる様にそう言い放つと、エルゼリータは立ち上がってどこぞへと歩いて行ってしまった。
居なくなったなら、それはそれで都合がいい。自力で脱出すればいいだけなのだから。
こっそり≪ブラック・ランス≫を使おうとした途端、エルゼリータが椅子を持って戻ってきた。
彼女は俺の目の前に椅子を置くと、椅子の背に腕と顎を乗せるような姿勢で、俺の前に座った。
どうやら俺が逃げないように監視するつもりらしい。
「やれやれ……今夜は長くなりそうだ」
妙なものに捕まってしまった自分の情けなさと、この状況の間抜けさに呆れて、深い溜息が出た。




