◇23 - 暗黒騎士
「させないよ! ≪ネブラ・アニマ≫!」
女の声がして、唐突に霧が出始めた。
ものの数秒で、周囲の景色は完全に白一色に染まる。
ルエルラムの熱線が、俺達の居る位置から少し離れたところを通り過ぎ、咆哮が轟いた。
どうやら霧のせいで、向こうもこちらの姿が見えなくなったらしい。
「何が起きたんだ?」
「無事か、君たち!」
呼ばれて振り向くと、そこにミュセが立っていた。
ボロボロの俺達を見て、ミュセは苦い顔をする。
「遅れてすまない。まさかこんな事になっていたとは……あのデカいのが悪魔の本体か?」
「私たちには、アレを倒す術が在りません。ここは離脱します」
そう言ったミラへ、ミュセは苦しい表情でかぶりを振る。
「駄目だ。ここに入ってくるときに確かめたが、ここは一方通行らしい。出ることはできない」
「そんなっ!」
ミラが膝を落とす。
俺たちはまんまと、教区長の罠にかかってしまったと言う訳だ。
「ここを出るには、悪魔を倒すしか方法は無いのか?」
「こんな隔離空間をあの教区長が創り出せたとは思えないし、それは間違いないだろう」
「そんな事、できる訳が無い……」
ミュセの返答を聞き、アイシャからも諦めた気配が漂う。
「……私の霧で認識の攪乱はしているが、それもいつまでもつかは分からない」
ミュセもそう言って肩を落とした。
敵があまりにも強すぎた。
俺たちでは、アレを倒す術を見出す事ができない。
弱点は分かっているのに、それを撃ち込むだけの力も、魔力も残っていない。
わずかに方法が見えている分、それが実行できないのが悔しい。
……こんな所で、俺達は終わるのか。
俺は結局、ミラもアイシャも、守る事は出来ないのか。
「くそっ……」
らしくもなく気力の落ちた顔つきで、ミュセは俺に訊く。
「君たちほどの手練れがここまで苦戦するなんて、いったい何があった?」
「能力紋を見てみろよ。それで分かる」
俺の方にも言葉を返す気力が無くて、投げやりにそう言った。
言われるまま、ミュセは自分の手の甲に刻まれた『能力紋』を開いた。
「これはっ、レベルが下がっているのか! こんな能力が存在するのか……」
ミュセからしても未知の事象だったらしく、彼女は目を見開く。
その一瞬、ミュセの手にレベル10という文字が見えた。
俺は咄嗟にミュセの手を取った。
「ちょっと見せてくれ!」
「ああっ、おいっ!」
驚くミュセの手を引き、その能力紋を覗く。
たった今目の前で、『レベル9』から『レベル8』へとレベルが下がった。
このレベル低下現象は、一気に起きるものでは無いのか。
……だとすれば、魔力量もそれに伴って順に下がっていくはずだ。
もし一度レベルアップができるのなら、わずかだが反撃の機会を得られる。
それに確か、レベルアップ時には呪い浄化の影響なのか、体内の魔力量が一気に回復する現象が起こる。
それを今、ここで再現できないだろうか?
「……はっ、ははは」
わずかに見えた可能性に、思わず笑みがこぼれる。
そんな俺へ、三人は異質な眼を向けた。俺の気が触れたとでも思ったかな。
「ぎっ、ギル?」
心配そうに俺を呼んだミラへ、言う。
「まだ、やれる事はあるぞ。たった一回きり使える、最後の賭けだ」
俺の言葉に、ミュセは興味を引かれた様だった。
「ほう。何をやらかすつもりだ?」
「まず確認だ。アイシャは今の魔力保有量で、≪クリア・カース≫が使えるか?」
「いや、でも今は魔力が……」
「回復できたらの話だ」
「なら、全快状態なら一度くらいは使えるかも」
よし。条件一はクリアだ。
「なら次にミュセ。聖水と魔力ポーションは持っているか?」
「ああ。持ち歩いているよ。今日はがっつり支援するつもりで荷物を選んだからね。
……だが、それには最後の条件が足りないんじゃないのかな?」
ミュセは既に俺が何をしようとしているのか気づいたらしく、それを目ざとく指摘してきた。
「大丈夫だ。それもばっちりクリアしている」
ルエルラムの熱線を受けてから感じているこのどす黒い倦怠感は、間違いなく魔物の呪いと同質のものだ。
もしかすると、それよりも呪いの濃度は高いようにも感じる。
身体に負荷を感じるほどにまで濃い呪いならば、これは高純度の加護へ変換できる可能性があると、俺は見ている。
「ならやってみろ。君の判断に任せる」
ミュセから聖水の瓶を手渡され、俺は中味を一飲みする。
同じ様に魔力水を渡されたアイシャは、戸惑っていた。
「えっと……結局何をするつもりなの?」
「レベルアップだよ」
俺の返答に、アイシャとミラは目を丸くする。
「こっ、この状況でですか?」
「こんな状況だからなんだ」
訝しむミラへ、俺は説明する。
「奴のレベルは1だ。それよりも高レベルなら、奴を普通に倒せる可能性は高い。
現に俺たちの防壁魔法や、この霧みたいに、高レベルな魔法で奴の行動を阻止する事に成功している。
効果は有るんだ。ただ、俺達がいつも通りに戦えていないだけだ」
「でも、レベルアップしたところで、また下げられるんじゃ……」
アイシャが反論する。そちらの対策も、もちろん考えている。
「そうだが、一瞬で下がる訳じゃない事をミュセが証明してくれた。
一つレベルが下がるのは約一秒。レベル2に上がったとしても、それだけ在れば≪ブラック・フレア≫を最大火力でぶつけられる。うまい事レベル33に成れたら、三十ニ秒時間が確保できるんだ。やる価値はある」
「でも、ギル一人に危険な役をやらせる事になるよね……」
アイシャはそう、不安を口にする。
それを即座に否定したのは、意外な事にミラだった。
「私はギルを信じます。それに、私のゴーレムもまだ動きますし、援護くらいはできると思います」
そう言うミラの傍らには、半身を欠いた女型ゴーレムが佇んでいた。
残った骨で組めるのは、このくらいだったのだろう。
「迷っている時間は無いぞ。この霧ももうすぐ晴れる。晴れたら、その時点で敵は私たちを認識してくるぞ」
ミュセに急かされ、アイシャは堅く頷いた。
「分かった。私もギルを信じる。今の私には、このくらいしかできないから」
アイシャは魔力水を飲み干す。
高濃度の魔力を経口摂取できる様に造られたポーションだが、うちのはミュセ特性なので他よりも効果が強い。
その分生産コストも馬鹿にならないらしいので、俺達は個々に持たされていない貴重品だったりする。
そもそも本格的な魔法職でも無いので、荷物を減らすためにも持ち歩いていなかったのだ。
ミュセが今日に限って付いてきてくれたのが、一番の幸運だったと言える。
こんなものを持ってきているという事は、ミュセも激闘は覚悟していたのだろう。
運良く在って助かった。
「すごいこれ。魔力が一気に回復した……」
その効能に、アイシャは感心した様子で呟いた。
俺はまだ一度も飲んだ事が無いので、どんな感じかは全く想像がつかない。
「もう、霧が消えるぞ。―――十、九……」
ミュセがカウントダウンを始める。
アイシャの正面に立ち、能力紋を開いた。
「じゃあ、やってくれ」
「うん。―――≪クリア・カース≫!」
アイシャが両手を俺へと向けて、解呪の魔法を唱えた。
体内の呪いが浄化され、体が軽くなるのを感じる。
途端に、能力紋に表示されたレベル数値が35へと引き上がった。
これは思ってもみなかった展開だ。まさか一気に三レベルも上がるとは、嬉しい誤算だ。
続けて新スキル【カウンター】の追加が表示され、職種が【アサシン】から【ダークナイト】へと変化した。
おそらく【暗黒剣】と【カウンター】を習得した事で、戦闘スタイルの適正が変化したのだろう。
ミュセは言った。俺が必要に応じて戦い方を変えていけば、職種もそれに合わせて変化していくのだと。
だからきっとこれは、俺が今一番必要としている力なんだ。
正面切って敵と戦い、騎士として仲間を守る。そういう力。
暗黒っていうのが引っかかるが、そこはもう俺から切り離せない要素と思うしかない。
レベル数値が34になると同時に、霧が晴れた。
「≪ブラック・フレア≫!」
霧が晴れた向こうにルエルラムの姿を捉え、【俊足】スキルで駆けだすと同時に右手で火炎球を飛ばす。
漆黒の炎はルエルラムの頭部に直撃し、顔の向きを変えた。
あらぬ方向へ、熱線が放たれる。
その隙に、ルエルラムの足元へと潜り込んだ。
「≪暗黒剣≫!」
魔力が大幅に剣へと吸収され、剣が黒い揺らぎを纏った。
剣その物が一つの闇属性魔法へと変化したのを感じる。
使わなくても減っていくのだ。魔力を惜しみはしない。
【俊足】スキルで高速移動しながら、ルエルラムの脚を斬りつけていく。
「ウオオオオォォォォォォォッ!」
足をやられたルエルラムが、痛みに呻く様に咆哮を轟かせ、床へと倒れ込む。
ルエルラムは腕を床について角度をつけると、俺へ目掛けて顔から熱線を放出した。
「≪カウンター≫!」
俺の前に黒い防壁が展開される。
それに熱線が触れた途端、防壁は熱線のエネルギーを取り込んで巨大な棘となり、ルエルラムの方へと突き出した。
棘に顔面を貫かれ、ルエルラムはまたも絶叫を上げる。
強力なスキルだが、今ので魔力を空にされた。
残るのは剣が纏った魔力のみ。消えるまで、全力で斬りつける!
俺の方へと振り下ろされてきた手を斬りつけて、指を切り落とす。
突かれた腕の後ろへと回って身を翻し、更に腕を斬りつける。
少しずつ手ごたえが無くなってきている。レベルが段々下がってきているんだ。
もっとだ。もっと速く、剣を振れ!
腕を両断し、バランスを崩したルエルラムが顔面を床に叩きつける。
その頭を狙って、剣を突き出す。
ルエルラムが顔の向きを変え、俺を見た。
穿孔の奥に、赤い熱線の揺らぎが見える。確実に、俺を狙いに来た位置。
しかしこちらも止まらない。
俺が止めを刺すのが先か、奴が俺を仕留めるのが先か。
―――いいや、そうじゃない。
今の俺は、仲間と戦っているんだ!
「≪フォンセ・ピック≫!」
ミラの声がして、視界の中にボーンゴーレムが現れた。
ゴーレムは隻腕を突き出し、闇属性の刺突攻撃をルエルラムの顔へと叩き込んだ。
再び顔面の向きを変えられて、ルエルラムの熱線は天井を穿つ。
「これで、終いだっ!」
ルエルラムの顎下部へ剣を突き立てる。
瞬間、剣が纏っていた黒い揺らぎが、ルエルラムの体内で爆ぜた。
これが【暗黒剣】と言うスキルの本質だ。
俺が敵に与えた衝撃を黒い揺らぎが蓄積していき、それを放出して消滅する。
爆発によって首元を抉られた悪魔は、嘆く様な低い音を発して床に倒れた。
再び頭と胴を切り離されて、その体は今度こそ、黒い瘴気となって崩れていく。
同時に、赤く染まっていた周囲の景色も、元の色へと変化していった。
「なっ、何とか勝った……」
倒したと分かった瞬間、全身の力が抜けて、その場に尻もちをついた。
悪魔の呪いを再び体に受けている影響も有るのだろう。倦怠感がすごい。
「ギルっ、やりましたね!」
ミラが泣きながら飛びついてきた。強く体を抱きしめられる。
激闘を潜り抜けたご褒美がこれって言うのは、悪くない。
―――って、そんな事言ってる場合でもないか。
ミラの身体は、小さく震えていた。
俺の作戦を支持してくれたが、本当のところは不安でいっぱいだったのだろう。
心配してくれる人が居るって、やっぱりうれしい事だ。
「ありがとうな、ミラ。さっきの一撃が無かったら、死んでた。助かったよ」
感謝を伝えて、ミラの頭を撫でる。
「あうっ……」
小さくダメージを受けたように呻いて、ミラは顔を伏せる。わずかに見える顔は真っ赤だった。
「まったく、見せつけてくれるね」
アイシャは呆れた様に笑って、歩いてきた。
「……はぁ、うらやましい」
「何か言ったか?」
「なっ、何でもない。なんでもない!」
よく聞き取れなかったので聞き返すと、アイシャは慌てた様子で否定した。なぜだか悪い事をした気がする。
「アイシャもありがとうな」
「うん。役に立てて良かった」
アイシャはそう言って、清々しい顔で微笑む。
「おや、私には無いのかな?」
茶化す様にして、ミュセが来た。彼女は結構"構ってちゃん"なのかもしれない。
「もちろん、ミュセにも感謝しているよ。この勝利はみんなで勝ち取ったものだ」
そう伝えると、ミュセは満足げに笑った。
物語のハッピーエンドみたいに、みんなが笑っていた。
ただ、一人を除いては。
「ばっ、馬鹿な。こんな事があるはず無い!」
柱の陰から出て来た教区長が、青ざめた顔で声を荒げる。
「……アンタの負けだよ教区長。自分の罪を認めな」
そう言い放つと、教区長は更にその表情を怒りに歪めた。
「私の罪だと! 忌み子風情がふざけるな! この教区ではな、私は何をしても許されるのだ。なぜなら私は、この街の王だからだ! 王は誰にも咎められん!」
「お前っ、本気で言ってるのか! この夜だけで何人死んだと思ってるんだ!」
さすがに我慢ならない。自分が一体何をしたのか、その重さの自覚がこの男には無いのか。
「貴方は……人として失格です」
ミラは俺の手を強く握りながら、震える声で教区長を非難した。
「今の発言は流石に聞き捨てなりませんよ、教区長」
アイシャも教区長へ咎めるような鋭い視線を向けた。
「まあまあ、君たちその辺で。後は大人に任せなさいな」
ミュセはそう言って前に出て、俺たちと教区長との間に立った。
「赤髪のエルフ……まさかお前はっ!」
教区長はミュセの姿をまじまじと見るなり、蒼白になる。
「馬鹿なっ、賢聖ミュセルポルタだと! お前……いや、貴方様がどうしてこんな僻地に!」
賢聖? 一体何の話をしているんだ?
ミュセはクツクツと不敵に嗤って、狼狽える教区長へ言い放つ。
「とうの昔にその席は捨てたのだがね。私を知って居るのなら話が早い。君の事は聖人議会に報告させてもらう。
審査会などと悠長なことを言っている暇もなく、君は然るべき処分を受けるだろう」
「まっ、待ってくれ! この通りだ!」
教区長は両膝をつくと、額を床にこすりつける様にして頭を下げた。
何が目の前で起きているのか、俺にはさっぱり分からない。
ただ、教区長がこの期に及んで、意地汚くも権威にしがみ付いて居るのは、理解できた。
「頭を下げたところでどうにかなると思っているのなら、いよいよ度し難い。私の家族をここまで傷つけたんだ、地獄の底で一生詫びるんだな」
ミュセは冷酷にそう言い放ち、こちらへ振り返る。
「ミュセ、お前はいったい―――」
「良い女には、複雑な過去が付きものさ」
俺の問いに、ミュセはお道化たようにそう言ってウインクした。




