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◇16 - 変わらない日常。変化するもの。

 聖杯を手に入れても地下墳墓の瘴気がいきなり無くなる訳もなく、魔物が待ち受ける道を引き返して、俺達は帰路に着いた。


 そして、心身ともに疲れた聖杯探索から、二日が経った。




 今朝の朝刊には、聖女のパーティーが聖杯を発見したという内容が大々的に報じられていた。


 外の様子は全く見ていないので分からないが、恐らくお祭り騒ぎになっている事だろう。


 俺達はまたしても体よく使われたと言う訳だ。


「君はそれについてどう思うね?」


 通りがかったミュセが、声をかけて来た。

 今日はローブすら羽織っておらず、ほとんど裸同然の姿である。


「お前……いくらここが自宅だからって、その格好は無いだろう」


「別にいいじゃないか。見られても減るもんじゃないし」


「俺が困るんだ。正直目に毒だ」


 美人は三日で飽きるなんて聞いた事があるが、そんな物は嘘っぱちだと言ってやりたいね。

 日常的に裸同然の恰好で生活を送っているエルフ美女と、一つ屋根の下で暮らすというのは色々と持て余す。


 過不足ない肉付と、バランスの良い膨らみ。そしてそれらを均等に配した曲線美。


 腕の良い芸術家が掘り出したのではないかと思うほどに、作り物めいた完ぺきな美しさがある。

 エルフは総じて美形だと評判だが、それが顔の造形に止まらない事を、ミュセと出会って思い知った。


 ミュセは揶揄からかう様な笑みを浮かべて、こちらに顔を近づける。


「なんだいギル? もしかして、お姉さんに欲情でもしちゃったのかな?」


「俺はお前のそういう品の無いところは嫌いだ」


 それ以外は完ぺきなんだけどなぁ……


「おやおや。嫌われてしまったね。けれど、別に私が特別って訳じゃないんだぜ? エルフは大体みんな、こんな格好で生活してるんだよ」


 ミュセはわざとらしく肩をすくめて、そんな事を言う。


 エルフ族は人里離れた聖域に住むという希少種で、ほとんど街で見かける事は無い。

 俺も実際に会ったのは、ミュセが初めてだったりする。


 種族ごとの民族性や文化の違いによって、確かに衣食住は変化するが、エルフってそんな破廉恥な種族だったのか……


 いや、別に邪な考えはない。これはあくまでも、文化的知識の探究だ。


「……マジっすか?」


 冗談と本気の境目が分かりにくい女なので、確認を取る。


 すると、ミュセは真面目な顔を一気に享楽的な笑みで歪めた。


「うっそー。本当に君は健全な男子だねぇ」


 ミュセは俺の横で、ケラケラと笑う。 


「まったく……お前という奴は……」


 人の純情を弄んで楽しいか……いや、冷静になってみると十分邪だったわ。

 我ながら、バカ過ぎるやり取りだ。


「はははっ、まあ冗談はこのくらいにして、話を戻そうか」


 ミラはそう言って、新聞を指さす。

 聖杯の件について聞いているのだろう。


「まあ、当然の結果だよな」


「おや、意外と冷めてるね」


「最初から分かっていた事だろう? 俺だってそこまで節穴じゃない」


 最初から依頼書には、任務が終わった後も口外するなとはっきり念を押す記載があったのだ。

 あんなもの、真実が外に漏れると困る事をこれからやらかすぞと言っている様な物である。


 今更あの教区長がやる事に怒りなど湧いてこないが、アイシャとミラを気の毒には思う。


 アイシャは真っ直ぐな性格だから、こんな宣伝に加担させられることを、良くは思っていないだろう。


 ミラにしてみれば、ようやく実力を世間に認めさせるチャンスだったのに、それをまたしても歪められてしまったのだ。

 それはあまりにも、酷な話だ。


 だが、ミラは果たしてこの展開を予想していなかったのであろうか。

 あの子は結構しっかりしている。この程度の事はあの依頼文から十分に察していたはずだ。


「だけど……ミラは、どう思っているんだろうな」


「彼女も君と同じ意見じゃないかな」


 ミュセは断言する様に、あっさりそう答えた。


「何でそう言い切れるんだ? あの子なら、俺達の見えないところで色々と抱え込みそうなものだけどな」


「少し前ならそうだったかもしれないね。けれど、ここ数日の彼女の変化には目を見張るものが在る。

 この二年間、私は彼女が安寧に過ごせる様に、できる限りの事をしてきたが、あの子を変えるための決定的な要素は用意できなかった」


「何なんだ、その要素ってのは?」


英雄ヒーローだよ。彼女に憧れをもたらした絶対的な存在だ。ミラは一人の少年に救われ、その生き様を追う様になった。それが今の彼女を生かす理由の全てになっている。

 だが、それは本当にそうなのか、と君も話を聞いて疑問を感じたんじゃないのかな?」


「……まあ、確かにな」


 ミラは俺に助けられた経験から、それを模倣する事で人に求められる存在になれるのではないかと考えたという。

 誰がを助ける英雄になれば、人から好かれるようになるのではないのかと。


 だが同時に、ミラはそれが不可能である事も知っていた。

 他人も、世界も、そんな単純なものでは無い事を、自覚していた。


 その矛盾に対しての答えを、俺はミラから聞いていないのだ。


「あの子はね、人に認められて、求められたいんだ。そこは確かだ。だけどね、それは誰でも良いって訳じゃなかったんだよ。

 あの子にはそもそも、迫害行為を行った人間に対する憎悪の感覚が薄い。だから見返してやるって感覚も、口で言うほどない様に思えるんだ。

 だから、不特定多数の誰かに対して自分の力を示そうとか、自分の価値を認めさせようとか、そういうのは本質的な物じゃないのだと思う。

 あの子自身、自分の気持ちを上手く整理できなかったせいで、そういう事をなんとなく追いかけていただけだったんだろう」


「……なら、ミラの本当の願いは何だったんだ?」


「だから、英雄ヒーローだって言っているだろう?

 憧れた偉大な存在に認知されたい。ただ、それだけで良かったのさ。

 どうでも良い多数の感情より、ただ一人からの本物をあの子は求め続けていたんだ。

 最近になってようやく、私もその事に気づいたよ」


「本物……」


 ……うまく言えないが、きっと俺はそれが苦手だ。


 それを誰かに求めて、裏切られたから俺はここに居る。

 アイシャが向けてくれたそれを、俺はずっと突き放してきたから、拭えない罪悪感が胸の底でくすぶり続けている。


「仲間って、良いものだろう?」


 ミュセは問う。まるで俺の葛藤すら、お見通しとばかりに。


「そうだな。確かに、信じられる人が居るって良い事だ」


 同じ境遇を持つ者同士、しょせんは傷のなめ合いだと、どこかで最初は思っていたのかもしれない。

 けれど、ミラと一緒に過ごしてきて、それははっきりと否定された。


 信じられるもの、命を預けられるもの、一緒に居たいと思うもの。

 それは俺たちが他人に求めて居たもので、決して得られなかった物。

 ミュセの言う、本物。


 本物の感情、本物の信頼。


 俺がそれをあの子に見出した様に、ミラもそれを求めて居たのだろうか?


「そうそう。これをあの子に持って行ってくれないかな?」


 そう言って、ミュセは手に持っていた小瓶を俺の前に置いた。


「ポーションか?」


「まあ、それに近いものかな。目とか内臓みたいなデリケートな部分は、傷を塞いだだけじゃ完全には治らないんだ。時間をかけて、機能の調整みたいな事もしていかなきゃいけない。まあ、何事もそう都合良くはいかないという事さ」


「なるほどな。ミラなら、自分の部屋に居るぞ」


「まあ、そう言わずに頼むよ」


 ミュセはそう言ってウインクすると、そそくさと自室に戻って行ってしまった。

 まったく、お節介な人である。


 仕方なく薬の小瓶を持って、ミラの部屋の戸を叩いた。





 ミラの返事を受けて、部屋に入る。

 彼女は椅子に座って、装備品の点検をしていた。


「薬を持ってきた。ミュセから聞いたよ。目の調子はどう?」


「はい。最初は左右で焦点が合わなかったんですけど、今ではすっかり元通りです」


 そう言うミラの雰囲気は、いつもと少し違っていた。

 きっと、前髪が浅くなって目が見える様になったからだろう。


 魔物によって雑に切り取られた前髪は、整えられて綺麗になっている。

 さっきミュセと何かしていたから、恐らく彼女に整えてもらったのだろう。


「髪、切ったんだな」


「あっ……はい。変ですよね」


 困り顔を浮かべて、ミラは視線を逸らす。


「いいや。変じゃないよ。良く似合ってる」


 本人には面と向かって言えないが、目が出ているといつにも増して可愛く見える。

 ミラの瞳は綺麗だ。


「そうですか。お世辞でも、嬉しいです」


「お世辞なもんか」


 ミラに小瓶を手渡す際に、目が合った。彼女は頬を赤く染めて、慌てて視線を逸らす。

 やはり人に慣れていないと、視線というのは気になるものなのだろうか。


 今度から少し気を遣った方が良いのかもしれない。


「そう言えば、聖杯の件は読みましたか?」


 唐突に、ミラが訊いてきた。

 俺は空いている椅子を借りて、腰かける。


「ああ。朝刊なら読んだよ。ちょうど今、その話をミュセともしていた所だ」


「そうですか。……ギルはどう思っていますか? やっぱり悔しいですか?」


「いいや。どうせこんな事だろうと思っていたよ。今更怒る気にもならん。そっちこそどうなんだ?」


「私も同じです。あの教区長が、私たちの存在を世間に公表するとは思えませんでしたから」


 ミラは平然とした態度でそう返した。


「……なあ、ミラはこのままで良いと思っているのか? いや、別に責めている訳じゃないし、この教会の在り方に口を挟むつもりも無い。ただ、今のままじゃどうやったって、ミラの願いには届かないんじゃないかなって、そう思ったんだ。……もちろんそれも、俺が口出しする事じゃないっていうのは、分かってるんだけどさ……」


「いえ、ギルの言う通りです。先日は当たる様な事を言いましたが、確かに現状のままでは、異端である私たちが受け入れられる道はないでしょう」


 けれど、と彼女は言う。


「私は、本当のところそれでも良いのだと思ってしまったんです。……本当に、ギルには申し訳ない話ですが」


「教会に、使われたままでも良いと?」


 ミラはかぶりを振る。


「教会の依頼を受ける事で、それが達成されているなんて言うつもりはありません。でも、人を助ける事はできていると思うんです。現に先日も、人の命を救う事ができました。

 それに……それにですね。私、自分が本当は何がしたかったのか、最近になって気づいたんです」


 ミラはどこか不安そうな顔をして、ミュセと同じことを言う。


「……一つ訊いても良いでしょうか。ギルは、二年前に私と会った事がありますよね?」


 ミラは俺に問う。

 答えなど分かっているはずなのに、それをはっきりと、俺の口から聞こうとする。


 それで何かが変わる訳でも無いだろうに、頷くのには勇気が必要だった。

 きっとそれは、全てを認めるという事への責任感からだったのだと思う。


「……ああ、会ってるよ。あの日お前を助けたのは、俺だ」


「そう、なんですね」


 ミラは、すっきりとした表情をする。


「二度目に助けてもらったあの日、≪ブラック・ランス≫のスキルを見て、ほとんど確信していたんです。けれど、やっぱりそれを確かめる気にはなれなくて……顔は見えませんでしたから」


「そうだな。俺もこの前あの話を聞くまで、まったく気づかなかった」


「私はずっと、貴方の背中を追いかけてきました。貴方の様に成りたいと思ったから、そう思っていたから。けれど、ちょっとだけ勘違いだったのかなって、貴方がここに来てから思う様になりました」


 ミラは俺を見る。

 目を逸らさずに、不安げに揺れる瞳で真っ直ぐに視線を合わせて来た。


「私は、ずっと貴方に知って欲しかったんだと思います。私の事を知って、私の価値を貴方が認めてくれたらって。

 ―――ギル。わっ、私は、貴方の事が好きです。出会って間もない私から、こんな事を言われるのは……おかしいと思うかもしれませんが、私は二年間ずっと貴方を探していました。二年前からずっと、貴方に憧れていました」


 今にも泣き出しそうな顔で、ミラは言い切った。

 体は小さく震えているし、膝の上で握られた拳は強く固く握られている。


 不安と羞恥を抑え込んで、ミラがどれほどの勇気をもってその言葉を発したのかは、痛いほどに伝わってきた。


 本物の信頼。本物の感情。俺が、本当に欲しかったもの。

 それを他ならぬミラから向けられた事を、心の底から嬉しく思う。


「ありがとう、ミラ。俺もだ」


 そう答えた途端、ミラは不安げな表情を一気に歪めて泣き出した。両手で隠しながら、顔を伏せる。


「あっ……なにも、泣く事は無いだろう」


「ははっ、なんか、安心したら、涙が出てきちゃって。……でも、嬉しいんです。私の願っていた事、ようやく叶ったから」


 泣きながら、ミラは笑う。


「……そっか」


 本当に嬉しい。だけどまだ、少しだけ怖くもある。

 人に望まれる事を望んでいたくせに、いざそれを目の前にすると、どうして良いか分からなくなる。


 人の心は恐ろしいほどに難解だ。それを受け入れられずに失敗するのが怖い。

 人に見放される痛みを、俺たちは痛いほどに知って居るから。


 ミラの想いは、まだ俺には眩しすぎる。

 だけどきっとこの子となら、俺もそれを受け入れられる様に変わって行けると思った。

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