父の言葉
実家のフレミング伯爵家に帰宅したシエナは、急いで父の書斎へと向かった。
ドアをノックして書斎に入ってきた彼女を見て、父は微笑んだ。
「お帰り、シエナ。卒業おめでとう」
青色の美しいドレスを身に着けたシエナの姿に、父が目を細める。
「すっかり立派になったな。ナターシャも、きっと天の上から喜んでいるだろう」
ナターシャは、昨年亡くしたシエナの母の名前だ。優しかった母を思い出して、胸がぎゅっと締め付けられるように感じながら、シエナは父に向かって口を開いた。
「お父様、伺いたいことがあるのですが」
「ああ、何だい?」
「その、私の魔術師団への就職ですが……クリストフ様から、何か言われましたか?」
父が急に真顔になる。
「魔術師団への就職は、見送ってほしいと聞いている。最近、郊外での魔物の出没が増えて、物騒になっているのは君も知っているだろう? シエナにまで何かあったら、ナターシャに顔向けできないよ」
瞳を揺らしたシエナが俯く。彼女の母は、馬車で遠出をした帰りに魔物に襲われて、その怪我が原因で、しばらく臥せった後に息を引き取ったのだ。
「でも、私、どうしても魔術師団で働きたくて……! せっかく魔力量はあるのですし、もっと活かす方法があるのではないかと思うのです。お母様のような魔物の被害者をこれ以上出さないためにも、自分の魔法の力を試す機会を得たいと考えています」
「いいかい、シエナ」
父は彼女を諭すように続けた。
「君の気持ちは、私だって尊重してやりたい。魔術師団への就職のために、一生懸命に努力していたことも知っているからな。だが、クリストフ殿から聞いたが、魔術師団に入団してしまえば、魔物との戦いを避けるのは難しいのだろう? 君が興味を持っていた、魔法の研究を拠点で行う後方支援の部署は、配属人数もごく少ないらしいしな」
(確かに、魔術師団の内情に、クリストフ様がお詳しいのはわかるけれど……)
シエナの肩を、父が優しく叩く。
「クリストフ殿も、君を心配しているからこそそう言っているんだよ。あんなに立派な方が婚約者で、よかったじゃないか。シエナの魔力が彼と相性がよかっただけでも、君が魔力量に恵まれた甲斐があったというものだ」
「……私、クリストフ様とは婚約解消したいのです」
「何だって?」
父が怪訝な表情を浮かべる。
「いったい、クリストフ殿のどこに不満があるというんだ?」
「クリストフ様とは、埋められない価値観の違いがあると思います」
はっきりと答えたシエナだったけれど、父は溜息を吐くと首を横に振った。
「……結婚が近付いて、君が不安定になっているというのは本当のようだな」
「えっ?」
驚くシエナに、父は続ける。
「それもクリストフ殿から聞いているよ。そんな君のことを、気遣ってほしいと私に言っていた。あんなにできた方は、滅多なことでは見付からないぞ。……それに、ユーグにこれからかかる魔法学校の学費も、義弟になるのだからと、快く支援の申し出をしてくださった」
「そうなのですね……」
(クリストフ様がユーグの学費まで支援してくださるつもりだなんて、知らなかったわ)
ユーグはシエナの弟で、魔法のセンスが抜群に良い。魔力量も多く、父は彼に多大な期待を寄せていた。
ただ、母の身体を治そうと、父が生前の母にあらゆる手を尽くしたために、今、フレミング伯爵家の財政状態は厳しい。高額な魔法学校の学費も、用意することが危ぶまれるような状態だった。
「価値観の違いなんて、誰とでもある。政略結婚だったナターシャと私だって、時々小さな喧嘩はしたけれど、私がこの結婚を後悔したことはないよ」
貴族間の婚姻は、家同士の政略によって決まる場合が大半だ。おしどり夫婦と言われたシエナの両親も、元は政略結婚だった。
「意固地になっているようだが、相手に歩み寄ることも大切だ。君を嫁がせるなら、クリストフ殿以上の方はいないように思うのだがな。名門ウェルブルック侯爵家の長男だというのに、偉ぶる様子もなく、格下の我が家と縁を結ぶことについても、ご両親を説得してくださったのだぞ?」
クリストフに心酔している父の様子に、外堀を埋められたことを感じて、シエナは口を噤む。それに、父は伝統的な価値観を重んじる人間だ。女性は外で働くよりも、結婚して家に入るほうが幸せだという昔ながらの考えを、父が持っていることをシエナは知っている。
クリストフに氷魔法で縛られたことは、父に言うことはどうしても憚られた。
(私が間違っているのかしら……)
政略結婚となれば、誰に嫁ぐことになっても、少なからず我慢は必要になる。それを考えたら、クリストフと結婚するべきなのだろうかと、シエナは自分に自信がなくなってきた。
(私がクリストフ様と結婚すれば、フレミング伯爵家も、ユーグも助かる。私が少し我慢するだけで、丸く収まるのだわ)
ぐらぐらとシエナの心が揺れる。クリストフに逆らうことさえなければ、彼が優しいことはわかっている。
父が、フレミング伯爵家のためというよりも、シエナの幸せを願ってクリストフとの結婚を勧めていることが感じられるだけに、彼との婚約解消を望むことは、自分の単なる我儘のようにも思えてきた。
そんなシエナの内心を読み取ったかのように、父は穏やかに言った。
「まあ、しばらく頭を冷やして、よく考えるといい」
「あの、魔術師団への入団については、どうしても認めていただけませんか……?」
父は厳しい表情で言った。
「さっきも言った通り、それは認めない。私が君の保証人として署名するつもりはないからな」
がくりとシエナが項垂れる。魔術師団に就職する場合、入団合意書に、親などの身元を保証する者の署名が必要となる。署名者は配偶者でも問題なかったけれど、仮にクリストフと結婚したとしても、彼が首を縦に振ることは決してないと思われた。
(どうしたらいいのかしら……)
自室に戻ったシエナは深い溜息を吐いた。
(でも、このまま引き下がるつもりはないわ)
必死の思いで受かった魔術師団への入団を、シエナは簡単に諦めるつもりはなかった。




