駆け引き
誤字報告をありがとうございます、修正しております。
シエナが腕輪の宝珠に触れるのを、クリストフは余裕の表情で眺めていた。
「君の魔法が上達したのは認めるが、今の君が一対一で僕と戦って勝てる訳がない。使役する魔物を出したところで、ハンデにもならない……」
そこまで言いかけたクリストフの顔が、みるみるうちに引き攣った。シエナの腕輪から現れた白銀の姿に、呆然と目を見開く。
シエナの頭上には、彼女に負けず劣らず激しい怒りを滲ませた、巨大な竜が揺蕩っていた。
「まさか。シエナに、あんな最上位ランクの竜を従えられるはずが……」
掠れた声で呟いたクリストフに、白銀の竜が宙を滑るように突進していく。慌ててクリストフが放った氷魔法の刃も、竜の鱗は軽く弾き返した。
「なっ……僕の氷魔法が効かない……?」
白銀の竜は、あっという間にクリストフの身体に絡みついた。ぎりぎりと身体を締め付けられたクリストフが、苦しげな声を上げる。
苦し紛れにクリストフがいくつか唱えた攻撃魔法にも、竜はびくともしなかった。
どんな魔法を使ったところで、この竜に敵うはずがないと、クリストフは察したようだった。
「……シエナ、僕の負けだ」
白銀の竜に巻き付かれたクリストフを、シエナが見つめる。怒りに満ちた瞳をした彼女だったけれど、その頬には一筋の涙が伝っていた。それは、やるせなさと悔しさから込み上げた涙だった。
「クリストフ様。私……貴方は魔術師団で、この国の人々を守るため、魔物と戦う崇高な業務を担っているのだと尊敬していたのです。婚約していた時、貴方に魔力を注いだのも、そんな貴方を支えたいと思っていたから。なのに……」
シエナがクリストフに向ける瞳には、怒りと共に悲しみが滲んだ。
「どうして、エリオス様の竜に邪悪な魔法なんて掛けたのですか? 私、そんな卑怯なことに使うために、貴方に魔力を分けたのではありません」
ぎょっとしたように目を瞠ったクリストフの顔が、すうっと青ざめる。
「な、何を言っているんだい、シエナ? 僕は、そんなことは……」
「私、魔法に込められた魔力の個性を感じ取れるようになったのです。エリオス様の竜の傷口から感じた魔力は、確かにクリストフ様のものでした」
「そんな魔法は知らない。やったのは僕じゃない」
否定するクリストフの身体を、さらに白銀の竜が締め上げる。呻き声を上げたクリストフに、シエナは言った。
「早く、エリオス様の竜に掛けた魔法を解いてください」
「だから、僕は知らないと……」
「その竜は、エリオス様の竜の番です。愛しい番に掛けられた魔法を貴方が解くまで、その身体を放すことはないでしょう」
焦燥を滲ませたクリストフの瞳が、ふっと虚ろになる。厳しい表情で彼を見つめていたシエナに、彼はさっきまでとは違う、力のない声で言った。
「僕だって、やりたくてやった訳じゃない。だが、僕の才能を見込んでくれた、ある公爵に頼まれたんだ。……早くここで上を目指すためには、どうしても断れなかった」
クリストフがぽつぽつと続ける。
「エリオス様の窮地を狙えと言われたが、さすがに人を襲うことはできなかった。だから、彼の竜を狙った。エリオス様の竜以外には、誓って味方に攻撃などしていない。……だが、エリオス様の竜がしぶとく生命を保ち続けるせいで、あの魔法を維持するために魔力が枯渇しそうだった。結構身体に堪えたよ」
シエナは、初めてクリストフから真実の言葉を聞いたような気がした。
(クリストフ様があれほどしつこく私との結婚を急いでいたのは、それも理由だったのかしら……)
同情の余地はまるでなかったけれど、改めてクリストフに目をやると、彼は顔色が悪く、魔力が不足していることが見て取れた。
「理由はどうあれ、エリオス様の竜に掛けた魔法をすぐに解いてほしいのです。あの竜は、今も貴方の魔法に苦しめられているのですから」
しばらく口を噤んだクリストフは、のろのろと顔を上げてシエナを見つめた。
「シエナ。……あの魔法は解くから、僕と取引をしないか」
「取引? 何を言って……」
眉を顰めたシエナに、クリストフは続けた。
「これが公になってしまえば、僕は終わりだ。あの竜に掛けた魔法を解く代わりに、僕のことを見逃してほしい。今後は一切こんなことをしないと約束するから」
シエナは悲しげに目を伏せたけれど、首を横に振った。
「クリストフ様の魔法のせいで、エリオス様の竜は死の淵に追い込まれたのです。犯した罪は償ってください」
クリストフの声の調子が、がらりと変わる。
「なら、あの竜を道連れにさせてもらうよ」
「えっ……?」
ぞくりとするような暗い瞳で、クリストフがシエナを見つめる。
「あの魔法は、少しずつ魔力を奪うだけじゃない。もし僕が、あの魔法を通じて一度に大量の魔力を奪えば、竜だって無事では済まない」
「そんなこと、できるはずが……」
「まあ、僕自身も無事では済まないけどね」
皮肉っぽくクリストフが笑う。彼の言葉が脅しなのか本当なのか、シエナにはわからなかった。ただ、クリストフが特殊な魔法に通じていることは確かで、シエナの胸は揺れていた。
「さあ、この竜を僕から遠ざけてくれ」
シエナの心臓が嫌な音を立てる。エリオスの竜は絶対に助けると心に決めている一方で、クリストフの悪行を見逃してよいとも思えなかった。
戸惑うシエナの胸の内を見透かしたかのように、クリストフが再び声を上げる。
「シエナ、早く……!」
その時、シエナの耳に、一番聞きたかった声が届いた。
「そこまでだ」
(エリオス様……!)
どこからか聞こえたよく通る声に、シエナは耳を澄ませた。




