婚約指輪
シエナは、エリオスに手を引かれて馬車に乗り込んだ。
「エリオス様、先程は助けてくださってありがとうございました」
クリストフに強引に腕を掴まれた時、身体を抱き寄せてくれたエリオスの温かな腕は、シエナにとって涙が出そうになるほど頼もしかった。
「いや。俺のほうこそ、君にあんな思いをさせてしまって、すまなかったな」
「そんな、まったくエリオス様のせいではありませんから……!」
慌てて首を横に振ったシエナの瞳を、気遣わしげにエリオスが見つめる。
「だが、怖かっただろう?」
「……はい、少しだけ。でも、魔術師団にクリストフ様がいることはわかっていましたし、これから入団したいと思っている私にとって、逃げてばかりもいられませんから」
無事にクリストフとの婚約を解消し、さらにエリオスと婚約して、父の許可も得られたことで、シエナの魔術師団への入団の障壁はなくなっていた。近いうちに、シエナは入団手続をするために、再び魔術師団の拠点を訪れる予定でいる。
「……クリストフ様には、早く納得していただけるといいのですが」
エリオスと婚約したことが伝わったにもかかわらず、歯切れ悪く青い顔をしていたクリストフを思い出し、シエナの眉尻は不安げに下がった。
エリオスがそっとシエナの肩を抱き寄せる。
「俺が君を守るから。何かあったら、すぐに言ってくれ」
「ありがとうございます」
シエナの頬に熱が集まる。
(エリオス様が魔術師団にいると思うだけでも、心強いわ)
エリオスと過ごしているうち、だんだん心が落ち着いてきたせいか、クリストフに腕を掴まれた時の嫌な感覚も、いつの間にかなくなっていた。
大通りを進む馬車の窓から外を眺めて、シエナが尋ねる。
「ところで、エリオス様はどこに向かっていらっしゃるのですか?」
エリオスは馬車の窓から、こぢんまりとした一軒の店を指差した。
「魔道具を扱う店だ。もうすぐ着くよ」
少しずつ速度を落として馬車が停まる。
シエナがエリオスの手を借りて馬車を降りると、落ち着いた佇まいの店が目の前にあった。
小さいけれど、格式の高さが感じられる店だ。シエナがユーグと行くような魔道具店とは、また趣が異なる。目立つ看板を掲げていないことからも、どうやら一見さんお断りの店のようだ。
店員はエリオスの顔を見ると、丁寧にお辞儀をしてドアを開けた。
(わあっ……!)
店の中に並べられた魔道具は、由緒正しい物ばかりのようで、それぞれが独特な魔力のオーラを纏っていた。
わくわくと店内を見回しながら、シエナがエリオスに尋ねる。
「エリオス様は、何かお探しの物があるのですか?」
「もう、下見は済んでいるのだが……あとは君の好みに合うか次第だな」
微笑んだエリオスが老齢の店主に声を掛けると、エリオスとシエナは店の奥へと案内された。
「さあ、どうぞこちらへ」
個室でソファーに並んで腰を下ろした二人の前に、店主が運んできたものを見て、シエナは思わず息を呑んだ。
美しい宝珠が誂えられた指輪が、目の前で煌めいている。
「綺麗……」
彼女の竜が運んできた宝珠のように、特別に品質の高い宝珠だということが、見ているシエナにも感じられる。
ダイヤのようなきらきらとした輝きが、眩いばかりに美しい。光を弾くというよりも、内側から光を放っているのがわかる。
(これは、普通の宝石とは段違いに高価な宝珠だわ……)
うっとりと宝珠の輝きに見惚れていたシエナを見て、エリオスは微笑んだ。
「気に入ってもらえたかい?」
「とても素敵な指輪ですが、あの、これは……?」
「君に贈る婚約指輪だよ」
「!?」
形だけの婚約かと思い、婚約指輪など考えてもいなかったシエナは、慌てて言った。
「でも、こんな高価なものは……」
「これは俺の気持ちだ。それに、婚約指輪と言っても、魔道具として実用的で、俺の魔力と防御魔法を込めておくことができる。君を守るためにも、きっと役立つだろう」
(そうか。エリオス様は、私がクリストフ様の存在をずっと不安に思っていたことを察して、こんな婚約指輪を用意してくださったのね)
そんなエリオスの優しい気遣いが、シエナには心から嬉しかった。君を守るという言葉を、誠実に叶えようとしてくれていることが感じられる。
シエナは感謝を込めてエリオスを見つめた。
「では、お言葉に甘えさせていただきますね、エリオス様。本当にありがとうございます」
指輪のデザインもシンプルで洗練されていて、シエナの好みを絵に描いたような造りだった。
エリオスは店主に指輪を購入することを告げると、手ずからシエナの左手薬指に嵌めた。
そんなエリオスの姿を、シエナは胸を高鳴らせながら見つめていた。
(何だか、夢を見ているみたいだわ……)
美しいエリオスは指輪を嵌める所作まで優美で、シエナはつい見入ってしまった。
ほうっと感嘆の溜息を吐いた彼女を、エリオスが見つめる。
「この婚約指輪に、俺の魔力と防御魔法を込めるよ」
「はい、お願いします」
エリオスが指輪の宝珠に魔力を込めて、防御魔法を纏わせると、宝珠はまるで生きているかのように、青や緑、赤や黄色の光を内側から放ち始めた。
温かな光と力を感じて、シエナがにっこりと笑う。
「ずっと大切にしますね、エリオス様」
「ああ」
エリオスが彼女に向ける眼差しは、まるで恋人を見つめるもののように愛しげに見えて、シエナはますます心臓がうるさくなるのを感じた。
店を出たシエナは、その時、この日はエリオスにまだ魔力を注いでいないことに気が付いた。
「エリオス様、私ばかりが魔力をいただいてしまいましたね……!」
シエナがエリオスの左手首の腕輪の宝珠と、彼の腕に続けて触れる。
周囲には夜の帳が降り始め、薄暗がりの中、シエナの手からは魔力と共に微かな光が舞った。
「ありがとう、シエナ。君の温かな魔力には、いつも身体の奥から癒されるようだ」
エリオスが顔を綻ばせる。
「この後、お勧めのレストランを予約してあるんだが、これから向かっても?」
「はい、楽しみです!」
(まるで本物の婚約者として、エリオス様とデートをしているみたい)
完璧なエリオスのエスコートに、シエナは天にも昇るような心地で、彼に差し出された腕を取ったのだった。
***
クリストフは、そんな二人の姿を物陰から幽霊のような顔で眺めていた。
エリオスの馬車の後を、自分の馬車でつけてきたのだ。
店に入ることはできず、外から様子を窺っていた彼は、店から出てきたシエナが左手薬指に嵌めている婚約指輪に気付き、悔しげに顔を歪めた。けれど、それ以上に、シエナがエリオスに魔力を分ける姿を、食い入るように見つめていた。
(シエナの魔力は、エリオス様と相性がよかったということなのか……?)
そうなのだろうという確信と、そんなはずがないと否定したい気持ちとの間で、クリストフは揺れていた。
(これはまずいことになったぞ……)
腹の底が冷えるような気分で二人を眺めていたクリストフだったけれど、その時、エリオスと目が合った。
彼を牽制するように、凍りつくような瞳をしたエリオスを見て、小さく舌打ちをする。
(くそっ。気付かれていたのか)
クリストフは逃げるように馬車へと戻っていった。




