染まった頬
誤字報告をありがとうございます、修正しております。
シェフィールズ公爵家を訪れたシエナは、いつものように、エリオスと彼の竜のいる部屋へと向かった。
氷の中の竜は、この日も変わらず目を開けている。竜の容態が落ち着いている様子に、シエナはひとまず胸を撫で下ろした。
「今日はこの氷を溶かして、この竜の傷の具合を見たいと思っている」
エリオスの言葉に、シエナは緊張気味に頷いた。
「私はどうしたらよいのでしょうか?」
「いつも通り、竜に魔力を注いでほしいのだが、直接竜に触れてもらえるかい? 俺は傷の具合と掛けられた魔法を確認して、問題なさそうな範囲で回復魔法を掛けるから」
「わかりました」
シエナは、クリストフに関する自分の心配ごとは、いったん胸の奥へとしまい込んだ。
(エリオス様の竜を治すことが、私がここに来ている理由だもの。それに……)
頭上を揺蕩うシエナの竜も、氷の中に見える竜の回復を切望していることが感じられる。
(この子の願いを、早く叶えてあげたいわ)
シエナは頭上の竜を見上げて微笑んだ。竜の金色の瞳は、彼女への信頼を映している。
エリオスは竜を包む氷に向かって手を翳した。
「では、氷魔法を解くよ」
「はい!」
溶けた氷の中から、白銀の竜が現れる。
エリオスが両手に抱えた美しい竜の身体に、シエナはそっと触れた。滑らかな鱗を指先に感じながら、シエナが魔力を注ぎ込む。竜はシエナを嫌がらず、彼女を澄んだ瞳で見つめた。その金色の瞳を見つめ返しながら、シエナは魔力に意識を集中させた。
(まだ、魔力を注いでも大丈夫そうね)
怪我をしている竜相手で、さらにはエリオスの宝珠を介していないこともあり、シエナは細心の注意を払っていた。
健康な人に魔力を注ぐのとは、勝手が違う。魔力を注ぎ過ぎても、不安定な身体に悪影響を与えてしまいそうだった。
頃合いを見計らってシエナが竜から手を離すと、エリオスが竜の腹部の傷口を覗き込んでいた。
裂けた傷口の外側から回復魔法を掛けつつも、エリオスが眉を顰める。
「……これはまずいな」
「何かわかったのですか?」
「この傷の奥に巣食っている魔法……これは、術者を倒すか、あるいは術者が解除しない限り、解けない類の魔法だろう」
「そんな……」
シエナの眉尻が下がる。
「ということは、その術を掛けた魔物を見付け出して倒さない限り、魔法が解けないということでしょうか? でも……」
戸惑ったようにシエナが続ける。
「そんな複雑な魔法を使う魔物なんて、聞いたことがないのですが……そのような魔物をご存知ですか?」
しばし口を噤んでから、エリオスがシエナを見つめた。
「さすが鋭いな、シエナ嬢は。君の疑問はもっともだ。竜の腹部の怪我は、俺を魔物から庇った傷なのは確かだが、この傷に被せるように掛けられた魔法は、魔物ではなく、魔術師によって掛けられた可能性も否定できない」
シエナははっと息を呑んだ。
「ということは……魔術師団に、誰か裏切り者がいるかもしれないということですか?」
「ああ。断定はできないが」
「……もしそうだとしたら、誰かお心当たりはありますか?」
「シェフィールズ公爵家と対立する公爵家派の誰かが、俺を陥れようとしたことが考えられる。もしこの竜を失えば、俺の戦力は大幅に下がるからな」
シエナの表情が翳る。
(いくら対立する派閥だとしても、そんな卑怯な手を味方に使う魔術師がいるかもしれないなんて……)
エリオスは静かに続けた。
「ただ、これは想像の域を出ない。もしこんなことをしたと明るみに出たなら、その魔術師は退団に追い込まれるだけでなく、罪を問われ、地位も名誉も失うことになる。それほどのリスクを犯してまでこんな真似をする者がいるのか、俺にはわからないというのが本音だ」
「そうですよね……」
「これはあくまで推測だし、口外はしないでくれ」
「ええ、もちろんです」
エリオスは、抱き上げた竜を大切そうに見つめた。
「傷を完全に塞ぐことはできないが、回復魔法はある程度掛けた。傷の奥の魔法は厄介だが、今のこの竜にとっては、すぐに生死に関わるようなものではない。応急処置として、腹部の傷だけを氷で塞いでおくよ」
「あの……」
シエナが躊躇いがちに尋ねる。
「私にも、その魔法を見せていただいても?」
「ああ」
竜の腹部から、シエナが傷口を覗き込むと、痛々しい傷口の奥に、紫色の仄かな光のようなものが見えた。
(あれは……?)
冷たく感じる魔力と共に、胸の奥がざわりとするような微かな違和感があった。
それが何なのかを考え込んでいるシエナに、エリオスが尋ねる。
「どうかしたのかい?」
「……今、どことなく妙な感じがしたように思ったのですが、それが何なのか、はっきりとはわからなくて」
「そうか。もし何か気付いたことがあれば、ささやかなことでも構わないから、教えてほしい」
「わかりました」
ちょうどその時、屋敷の外から近付いてくる馬の蹄の音が聞こえてきた。
エリオスは、竜の腹部の傷を氷で塞ぐと、部屋の窓から外を眺めた。
「すまない、来客のようだ。少し外しても?」
「ええ」
部屋を出ていくエリオスを見送ってから、シエナは再び首を捻った。
もう、エリオスの竜の傷口を覗いても、氷で覆われた奥に潜む魔法は見えない。
(さっきの違和感は、いったい何だったのかしら?)
気になったのは、魔法に僅かに混ざって感じられる何かのような気がしたけれど、結局、シエナにはそれが何なのか、すぐにはわからなかった。
ふと、シエナが二匹の竜を見上げる。まだエリオスの竜には傷が残っているとはいえ、問題なく宙に浮いていた。シエナの竜は、嬉しそうにエリオスの竜と寄り添っている。
(エリオス様の竜は雌、私の竜は雄だと聞いたけれど。もしかして、この子たちは……)
二匹の竜の様子と、シエナの竜から伝わってくる感覚から、シエナは微笑ましげに口を開いた。
「もしかして……エリオス様の竜は、あなたの番なの?」
シエナの竜は、肯定を示すように、嬉しそうな高い鳴き声を上げた。シエナの顔が、自然と綻ぶ。
見た目はそっくりな、白銀の鱗と金色の瞳をした竜たちだったけれど、二匹が醸し出す雰囲気は、親子でも、仲間でもなく、恋人同士のそれだった。
「よかった……」
胸が温まるのを感じながら、シエナは二匹の竜を眺めていた。想い合っている様子の竜たちを見ながら、胸の中で呟く。
(こんな風に、相手を大切にして、一途に想い想われるなんて……羨ましいわ)
シエナの頭に、クリストフの冷たい瞳が甦り、背筋がすうっと冷える。
それに対して、クリストフとは真逆の、温かなエリオスの瞳が目に浮かび、シエナの胸は切なく疼いた。
「……エリオス様が、私の婚約者だったらよかったのに」
心の声をぽつりと声に出してしまったことにシエナが気付いたのは、彼女の背後から部屋に入ってきたエリオスが、驚いたように目を瞠ったのを見た時だった。
「!?」
エリオスを振り返ったシエナが、はっと口元を手で覆う。
(どうしよう。私、何て失礼なことを……!)
彼女の頬は、みるみるうちに赤く染まった。
エリオスの瞳の奥に優しい色が浮かんだことには、シエナはまだ気付いてはいなかった。




