エリオスへの想い
クリストフは幽霊のような青い顔でシエナに近付いてきた。
「今、君はどんなトリックを使ったんだ……?」
「トリックではなく、風魔法です」
審判は二人の間に割って入ると、クリストフを止めた。
「あれは確かに風魔法だったぞ、クリストフ。それも最上級魔法を、シエナ嬢は寸分の狂いなく君のマントに命中させた。……いや、驚いたな。新人レベルを遥かに超えてるじゃないか」
「だが、シエナは上級の風魔法すら使えなかったんだぞ? 最上級魔法なんて、使えるはずが……」
最後は呻くように言ったクリストフに、シエナは冷静に続けた。
「約束は約束です、クリストフ様」
「わかった。君との婚約は、約束通りいったん解消する」
(いったん……?)
不穏な言葉に、シエナが眉を顰める。彼女に近付いたクリストフは、その耳元で囁いた。
「だが、僕は必ず君を取り戻すよ」
ぞくりとシエナの背筋が冷える。
クリストフはそれだけ言うと、シエナに背を向けて去っていった。同僚も慌てて彼を追いかける。
「おい、クリストフ! 待てって……!」
シエナは遠ざかっていくクリストフたちを青い顔で見送った。
(クリストフ様のあの言葉は、どういう意味なの……?)
対戦には快勝したのに、すっきりとしない思いでシエナは練習場を出た。
(……勝ったことをエリオス様にご報告したいわ)
エリオスの姿を探しながら出口に向かっていたシエナの背後から、探し人の声が聞こえた。
「シエナ嬢」
「エリオス様……!」
ほっと表情を和らげたシエナは、嬉しそうにエリオスを見つめた。
「さっき、無事に対戦に勝ちました! エリオス様、本当にありがとうございました」
「いや、君の努力の賜物だよ。よかったな」
「……はい」
ふとシエナの表情が翳ったことに、エリオスは気付いたようだった。
「何か気になることでも?」
「ええ、少しだけ。……でも、まずは勝つことができてよかったです。今日も、また後で伺いますね」
「ああ、よろしくな」
表情の優れないシエナを、エリオスは心配そうに見送った。
そんな二人が話していることに気付いて、遠目に眺めていた人物がいた。クリストフだ。
(どうして、シエナがエリオス様と話しているんだ?)
クリストフが、悔しげに奥歯を噛み締める。
(……あいつにだけは、絶対にシエナを近付けたくなかったのに)
クリストフの目覚ましいとも言える昇進を後押ししてくれたのは、シェフィールズ公爵家とは対立関係にある公爵家の上司だった。
(シエナの魔法が急に上達したことにも、エリオス様が関わっているのか? いや、公爵家のエリオス様が、まさかシエナに指導なんてするはずが……)
シエナに想像もしていなかった敗戦を喫したばかりのクリストフは、顔を歪めてふらふらと踵を返した。
***
その日、エリオスの元を訪ねたシエナは、氷の中の竜が目を開けている様子に顔を輝かせた。
「エリオス様の竜は、昨日からずっと目を開けていたのですか……!?」
「ああ。これも君のお蔭だ」
微笑んだエリオスは、温かな眼差しをシエナに向けた。エリオスの笑顔に、シエナの心臓はとくんと跳ねる。
「君に魔力を注いでもらいながら、もう少しだけ様子を見たら、竜を包むこの氷を一度溶かして、傷を確認したいと思っている」
「早く傷を確かめて、完全に治してあげたいですね……!」
着々と竜の調子が上向いていることに、シエナは嬉しそうに笑った。
「もう、私も完全にこの竜の治療に専念できますし、他に何か私にできそうなことがあれば、何でも仰ってください」
そう言ったシエナは、エリオスの左手首の宝珠に触れた。
氷の中で、竜の身体が温かな輝きを帯びる。
この頃には、エリオスの竜がシエナに向ける瞳には、信頼が感じられるようになっていた。頭上の竜と目を見交わして、シエナが微笑む。
(仲間の具合がよくなっているのを、この子も喜んでいるのね)
シエナの竜は、仲間の回復を待ち侘びるように、会いに来る度に、気遣わしげな視線を氷の中の竜に向けている。
それだけでなく、祈るような竜の思いまでもがシエナに伝わってくるようだった。
「あなたの大切な仲間は、きっとよくなるから安心してね」
シエナが手を伸ばして頭上の竜に触れると、竜は彼女に身体をすり寄せた。
エリオスはそんなシエナと竜を眺めて、穏やかな笑みを浮かべた。
「君たちが主従契約を結んでから、それほど長い時間は経っていないのに、君の竜は随分よく懐いているし、意思疎通も上手くできているようだね」
「賢くて優しいこの子に、私は助けられているんです。それでいて、強く折れない心を持っていて……素敵な相棒です」
「君たちは似ている。君が聡明で優しく、芯が強いと感じたからこそ、その竜は君を主に選んだのだろう。君に魔法を指導していて、それがよくわかった」
思いがけないエリオスの褒め言葉に、シエナの頬には熱が集まる。
「私にはもったいないようなお言葉をいただいて、光栄です。……次はエリオス様に魔力を注ぎますね」
火照った顔を隠すように、俯きがちにシエナがエリオスに魔力を注ぐ。
「昨夜、エリオス様が分けてくださった魔力は、今日の対戦時にも、私を温かく支えてくれているように感じました。ありがとうございました」
「君が俺に分けてくれる魔力も、温かい」
「えっ……?」
不思議そうに顔を上げたシエナを、エリオスが真っ直ぐに見つめる。
「体内が魔力で満たされるだけでなく、心まで癒し、前を向こうと思わせてくれるような、温かな力だ」
「本当ですか?」
「ああ。そんな魔力の持ち主がいること自体、俺にはいい意味で驚きだったがね」
(……エリオス様にそう言っていただけただけで、十分過ぎるくらい幸せだわ)
魔力が縁となりクリストフとの婚約に繋がってしまったことは、振り返ると不運に感じたものの、エリオスの言葉で救われたように感じた。
けれど、と、エリオスに魔力を注ぎ終わったシエナは気が付いた。
(昨日までは攻撃魔法の指導を受けられたけれど、今日はこれでお仕事はおしまい。もう、帰らないといけないかしら……)
どことなく寂しい気持ちでエリオスを見つめると、彼はシエナに言った。
「ところで、君が今日の対戦後に言っていた、気になることというのは?」
「……そんなことまで覚えていてくださったのですね」
少し躊躇ったシエナだったけれど、今日クリストフに言われたことをぽつぽつとエリオスに話した。
「ほう、そんなことがあったのか」
珍しく険しい表情になったエリオスに、シエナは慌てて言った。
「ただ、婚約解消するということにはなりましたし、まだ何をされた訳でもないのですが……」
不安げなシエナを、エリオスは労わるように見つめた。
「少しでも気になることが出てきたら、俺でよければ相談してくれ。何か打てる手があるかもしれない」
「ありがとうございます、エリオス様。そう言っていただけるだけで心強いです」
思案顔になったエリオスは言った。
「君さえよければ、次は防御魔法や回復魔法の上位魔法を学んでみるかい? 君の身を守ることにも繋がるし、君の話を聞く限り、攻撃魔法よりも適性がありそうだ」
「よろしいのですか!? 是非お願いします!」
ぱっとシエナの顔が輝く。
その時、彼女の胸にまず浮かんだのは、エリオスとまだ一緒に過ごせることへの純粋な嬉しさだった。
もちろん、魔法の上達を目指せることも楽しみだけれど、エリオスと過ごせる時間自体を喜んでいる自分を自覚して、シエナの頬が染まる。
「じゃあ、また中庭に移動しようか。……シエナ嬢?」
「は、はい!」
(とてもじゃないけど、身分違いの許されない恋だわ。エリオス様には、この気持ちは隠さないと……)
高鳴る胸を押さえてどぎまぎとしつつ、シエナはエリオスと魔法の練習に向かったのだった。




