クリストフとの対戦
クリストフとの対戦当日、早朝に身支度を終えたシエナのことを、ユーグが見送りにやってきた。
「姉さん、とうとうこの日がきたね。応援してるからね!」
「ありがとう、ユーグ。絶対にクリストフ様に勝ちたいわ」
強い意志を滲ませるシエナに、ユーグが頷く。
「今の姉さんなら、きっと勝てるよ。僕もびっくりするくらい、最上級の風魔法を使うのが上手くなったもんね!」
「ここしばらく、ユーグが毎日魔法の練習に付き合ってくれて本当に助かったわ。その成果をちゃんと出せるといいのだけれど」
「僕は先手必勝だと思うよ」
「やっぱり、ユーグもそう思う?」
ユーグは頷くと続けた。
「相手はあのクリストフ様でしょう? 向こうはきっと、はじめは防御魔法も身体強化魔法も使わないと思うよ。あえて手加減した上で姉さんに圧勝して、今後文句を言わせないくらいのつもりで、余裕綽々でいそうな気がする」
「ユーグは、クリストフ様の性格、よくわかってるわね……」
よく人を見ているものだと思いながらシエナが苦笑すると、ユーグは少し憤った様子で答えた。
「これまでに会った感じと、婚約解消を賭けて姉さんに持ちかけた対戦の内容からも、察しはつくよ。ただ、もし姉さんの実力が格段に上がってることに気付いたら、攻撃魔法を使わないとしても、警戒して防御魔法や身体強化魔法を最大限かけた上で、精神的な揺さぶりをかけてきそう」
「あり得そうな展開ね。私も、クリストフ様のペースに持ち込まれるのが怖くて」
「素直な姉さんは、あんまりそういうの得意じゃないだろうし、さっさと勝ち切るのがおすすめだよ」
「そうね、アドバイス助かったわ!」
クリストフが油断しているうちに早々に勝ちを決めたいと、シエナは決意を新たにしたのだった。
ユーグに手を振って見送られながら、シエナは馬車へと乗り込んだ。
***
クリストフは、まだあまり団員のいない早朝、魔術師団拠点の入口近くで同僚と話していた。
「今日だよな、クリストフに審判を依頼された対戦って?」
「ああ、よろしく頼む。対戦っていっても、たった五分だがな。仕事が始まるまでに、すぐに終わるさ」
魔術師団の制服を纏ったクリストフは、髪をかき上げながら余裕の表情で言った。
「最近、マリッジブルーになった婚約者がヘソを曲げてしまってさ。結婚を延期したいとか、婚約解消したいとか言い出したから、結婚式前に機嫌を直してもらうために、婚約解消を賭けた、ちょっとしたゲームを提案したんだ」
クリストフの話に、同僚が目を丸くする。
「へえ、クリストフでもそんなことがあるんだな。……それで?」
「彼女が勝ったら婚約解消、僕が勝てばこのまま結婚。彼女の攻撃魔法が、五分以内に一度でも僕に掠れば彼女の勝ちだ」
「その婚約者って、クリストフが言っていた、魔術師団の入団試験には合格したけど、魔法の才能はイマイチっていう子だよな……?」
「ああ。僕が勝ったら入団は諦めてもらう。まあ、僕が百パーセント勝つし、彼女もそれをわかっていると思うけどね」
「ふうん、わかったよ。何とも言えない内容の賭けだが、一方的な展開になりそうだな」
苦笑した同僚に、クリストフは頷いた。
「まあな。それから、このことは口外無用だ」
「わかってるよ。……あの子かい、クリストフの婚約者って?」
「ああ」
魔術師団の拠点前で馬車から降りてきたシエナを見て、同僚がクリストフの脇腹を肘でつつく。
「へえ、可愛いな。シエナちゃん、だっけ?」
クリストフの瞳がすっと鋭くなる。
「シエナに手を出すなよ」
「わ、わかってるよ。そんな怖い顔で睨むなって」
顔を引き攣らせた同僚の前で、クリストフは笑顔でシエナに声をかけた。
「待っていたよ、シエナ。準備はいいかい?」
「はい」
はっきりと頷いたシエナを見て笑みを深めたクリストフが、シエナを手招きする。
「おいで、シエナ。対戦は向こうの練習場でやろう」
「わかりました」
「それから、彼はこの対戦で審判を務めてもらう同僚だ」
「よろしくお願いします」
審判としてクリストフに紹介されたのは、シエナが先日、同じ拠点でクリストフと歩いているのを見かけた団員だった。
丁寧に頭を下げたシエナに、彼はばつが悪そうな表情で微笑んだ。
クリストフの同僚は、対戦前から勝敗が決していることを察しているのだろうとシエナは感じた。もちろん、勝者はクリストフだと信じているのだろうと想像はつく。
(でも、クリストフ様に負けるつもりはないわ)
クリストフに連れて行かれたのは、十日前にシエナが彼の練習試合を見学した練習場だった。今は人気がなく、がらんとした練習場だったけれど、クリストフの圧勝を繰り返し見たことを思い出し、こくりとシエナの喉が動く。
シエナの硬い表情を見て、クリストフは薄く口角を上げた。
懐中時計を手にしたクリストフの同僚が、二人の横で口を開く。
「シエナ嬢の攻撃魔法が、五分以内にクリストフに掠りさえすれば、対戦はシエナ嬢の勝ち。当たらなければ、クリストフの勝ち。クリストフは攻撃魔法は使わない。ルールはこれでいいね?」
クリストフとシエナが揃って頷く。
余裕の笑みを浮かべて、クリストフはシエナを見つめた。
「遠慮はいらないよ、シエナ。僕の身体に攻撃魔法を当ててもいいし、僕の服、マントや靴でも、どこかにさえ掠れば君の勝ちだ」
「……はい」
シエナは深呼吸をすると、エリオスとユーグのアドバイスを思い起こして、ふるりと武者震いをした。エリオスに分けてもらった魔力が、まだ身体の奥から自分を温めているように感じる。
(怯まずに、先手必勝で……! クリストフ様の制服のマントを、風魔法で切り落とすようなイメージで)
審判は二人と少し距離を取ってから声を上げた。
「はじめ!」
シエナは間合いを取ったまま構えると、昨夜繰り返し思い浮かべたイメージをクリストフに重ねながら、最上級の風魔法を手に纏わせた。クリストフは、彼女が使おうとしているのが最上級魔法だとは、まだ気付いていない様子だ。
ユーグの予想通り、クリストフは、防御魔法も身体強化魔法も使う素振りはなく、微動だにせず立っている。
それどころか、まるでシエナを挑発するかのように、彼女に向かって差し出した手の指をくいっと曲げた。
「さあ、かかっておいで」
シエナはきっと彼を睨んだ。
「はい!」
シエナの返事と同時に、一陣の鋭い風が、閃光のような速さでクリストフの背後に向かう。
微かなシュッという音と共に、シエナの風魔法で根元から切れたマントが、風魔法が通り過ぎた後に生まれた旋風で宙を舞った。
「なっ……!?」
頭上を舞う自分のマントを見上げて、クリストフが呆然と目を見開く。
一瞬で幕切れになった対戦に、信じられないといった様子で、ひらひらと舞うマントをしばらく見つめていた審判は、慌てて声を上げた。
「そこまで! ……勝者、シエナ嬢!」
シエナの顔に、安堵の滲む大きな笑みが浮かぶ。
(クリストフ様に勝ったわ……!)
クリストフから掴み取った勝利に、シエナが解放感を噛み締める。
切れたマントが床に舞い落ちるまで、クリストフは真っ青な顔で立ち尽くしたまま、ただ目でマントを追っていた。




