対戦前夜
その日の日暮れ時に、シエナは再び竜の背に乗ってシェフィールズ公爵家に行った。
エリオスに出迎えられ、シエナは竜のいる部屋へと向かう。
どことなくエリオスの表情が明るいような気がして、シエナは尋ねた。
「何か竜にいい変化でも見られたのですか?」
「ああ。昨日君が帰った後も、何度か目を開けたんだ」
「本当ですか……!?」
竜に改善の兆しが見えたことに、シエナも嬉しそうににっこりと笑う。
「それはよかったです! もし問題がなさそうなら、注ぐ魔力量を少しずつ増やしていきましょうか?」
「君が問題なさそうであれば、助かるのだが……」
エリオスは真剣な表情でシエナを見つめた。
「何度も繰り返して悪いが、もし気分が優れなかったり、体調に影響が出たりしたら、無理する必要はないからすぐに教えてほしい。君は今、攻撃魔法の練習も並行しているのだろう?」
「いつもお気遣いありがとうございます。もし何か異変を感じたら、お伝えしますね。……では、宝珠に触れます」
シエナがエリオスの宝珠に触れて、魔力を流し込む。
(昨日よりも、もう少し多い魔力をこの竜に……)
昨日から、魔法に乗せる魔力量を意識するようにしているせいか、自分の魔力に関する感覚が少しだけ鋭くなったような気がする。
魔力を流し込むと、氷の中の竜が目を開き、昨日よりも長い時間、辺りを見回していた。
側で見守っているシエナの竜にも気付いた様子で、嬉しそうにその姿を見つめる。何かを伝えるように、竜が微かに口を動かすと、みしみしと氷が割れるような音と共に、震えるような響きが伝わってきた。
(竜たちが、喋ってる……!?)
シエナがちらりと頭上の竜を見上げると、シエナの竜も氷に触れながら声を上げている。
シエナはエリオスを振り返った。
「竜同士で話しているのでしょうか?」
「ああ、恐らくは。竜の言葉はわからないが、互いに情報を伝え合っているようだな」
注意深くその様子を眺めながらも、エリオスはとても嬉しそうだった。
「君が来てくれたばかりだというのに、もう声を出せるようにまでなったなんて……」
シエナも手応えを感じて微笑む。
「早く竜の魔力が安定して、怪我の確認ができるようになるといいですね」
「ああ」
「では、次はエリオス様に」
エリオスに触れて魔力を注いだ後も、シエナは、特に魔力が不足している感じはしなかった。
(うん、普段通り、何も問題ないわ)
エリオスは、顔色がよいままのシエナを見て、安堵した様子で口を開いた。
「早速だが、君の攻撃魔法の練習に移ろうか?」
「はい、よろしくお願いします!」
中庭に出たシエナが、エリオスを見つめる。
「昨日教わった風の上級魔法、練習してきたので、見ていただいてもいいですか?」
「ああ、俺に向かって撃ってごらん」
シエナの放った風魔法は、エリオスがひらりと躱して命中こそしなかったけれど、昨日試した中上級の魔法より、スピードも精度も格段に上がっていた。
「素晴らしい。もう、かなり上達しているね。正直言って、たった一日でここまで上手くなるとは、驚いたよ」
「弟に、教わった魔法の練習に付き合ってもらったんです。それに……」
シエナがにっこりと笑う。
「何より、エリオス様の教え方がいいお蔭です! 魔法学校の授業で習っても、上手く魔法を使いこなせなくて、ずっともどかしい思いをしてきたのに、こんなに短期間でコツが掴めるなんて……!」
「きっと、君がこれまで磨いてきた基礎と、竜との主従契約によって向上した能力が、増大した魔力量とも相まって花開いたのだろう。でも、君の力の限界は、こんなものではないよ」
エリオスが楽しそうに続ける。
「君には教え甲斐がある。今日、上級魔法の復習をしたら、明日からは最上級の風魔法の練習に入ろうか? 君なら、恐らくそれほど時間をかけずに習得できるだろう」
「あの……最上級の風魔法は、七日間で使えるようになりますか?」
切羽詰まった表情を浮かべたシエナに、エリオスが尋ねる。
「聞いていいのかわからないが、なぜそれほど上達を急いでいるんだい?」
「実は……」
シエナは、クリストフとの婚約解消がかかった対戦についてエリオスに説明した。
「……なるほど」
「クリストフ様は、私が攻撃魔法が苦手なことをよくご存知ですし、足元を見られているのかもしれません。でも、絶対に負ける訳にはいかないんです」
難しい表情を浮かべたエリオスだったけれど、シエナの顔を見て頷いた。
「君の気持ちはよくわかった。君が七日間で最上級の風魔法を習得できるように、俺も最善を尽くそう」
「ありがとうございます!」
それから、シエナは上級魔法の復習後、前倒しで最上級の風魔法をエリオスに教わった。
難易度は上級魔法よりもさらに上がるものの、魔法に乗せる魔力の感覚が掴めてきているためか、手も足も出ないという感じはしない。
「最上級の風魔法が使えたなら、五分間もあれば、相手に掠らせるくらい難しくはないはずだ」
「はい!」
エリオスの特訓後、シエナは息を上げながらも顔を輝かせた。
「今日もありがとうございました。こんなに魔法の練習が楽しいと思ったのは、初めてです」
「それは、君にとって、最上級魔法が能力に合った挑戦になっている証拠だよ」
嬉しそうに頷いたシエナは、シェフィールズ公爵家からの帰り際、綺麗にラッピングした袋をエリオスに手渡した。
「ほんの気持ちですが、私が焼いたクッキーです。もしよかったら召し上がってください」
「ありがとう、シエナ嬢」
エリオスが優しく目を細める。
「また明日もよろしくお願いします、エリオス様」
(何としても、最上級の風魔法をあと七日間でマスターしなくちゃ)
シエナは深々と頭を下げながら、決意を新たにしたのだった。
***
エリオスに風魔法の特訓を受ける日々を繰り返し、気付けばクリストフとの対戦前夜になっていた。
ユーグも快くシエナの練習に付き合ってくれている。ユーグがシエナの手作り菓子を気に入っていることに加えて、エリオスが思いのほかシエナのクッキーを喜んでくれたこともあり、毎日のように、シエナは息抜きがてら菓子を焼いていた。
エリオスの竜の調子も、シエナが魔力を注ぐ度に上向いていて、経過は順調だ。
最上級魔法の最後の特訓を終えたシエナに、エリオスが微笑む。
「よく頑張った、シエナ嬢。最上級の風魔法も使いこなせるようになったね」
想像していた以上に、シエナは最上級の風魔法を上手に扱えるようになっていた。以前にエリオスに言われた通り、一度使えるようになってみると、中上級の魔法より、むしろ最上級魔法のほうが、乗せる魔力量を極小に抑えずに済む分、使いやすいと感じるほどだ。
「エリオス様がいらっしゃらなければ、こんなに上位の魔法が使えるようにはなれませんでした。本当に感謝しています」
「いよいよ明日だね。最後に一つ、アドバイスをしても?」
「はい」
緊張を滲ませるシエナに、エリオスは言った。
「君の最上級魔法の腕は、十分過ぎるほどに上達した。後は、風魔法を使う時に『怯まないこと』だ」
「怯まないこと、ですか……?」
「ああ。君が攻撃魔法に苦手意識があったというのは、きっと相手の痛みを考えてしまうからだ。明日の対戦でも、当たった場合の相手の怪我を知らず知らず想像して、当てにいくことを躊躇してしまうのが最悪手だろう」
(凄い観察力だわ、エリオス様……!)
そう言われてみて初めて、シエナはクリストフに向かって攻撃魔法を使うことに躊躇する自分が、手に取るように思い浮かんだ。
「それは、仰る通りですね……」
「君はコントロールもかなり上達したから、そうだな……例えば、相手が魔術師団の制服だとしたなら、マントを風魔法で切り落とすとか、それくらい具体的なイメージを持つほうが、かえって最上級魔法を扱いやすいだろう」
シエナの表情が明るくなる。
「良いアドバイスをありがとうございます! 何だか、イメージがはっきり頭に浮かびました」
「君ならできるさ」
エリオスに差し出された右手を、シエナが握り返す。
その時、ふわりと温かな力が身体に流れ込んできたのを感じて、シエナは目を瞠った。
「これは……」
「さすがに疲れただろう、俺の魔力を君に注いだ」
「でも、それではお仕事の約束が……!」
竜とエリオスに魔力を分ける契約にもかかわらず、エリオスから魔力を返してもらっては意味がないと戸惑うシエナを、彼は温かな眼差しで見つめた。
「さっきは契約通り、君から十分に魔力を分けてもらった。これは、俺が勝手にしていることだから、何も問題はない。……いつも美味しい菓子を差し入れてくれる君へのお礼と、明日の君への応援の気持ちだと思ってくれ」
身体の奥底から満たされるような優しい力に、シエナは固くなっていた身体の緊張が和らいでいくのを感じた。
それと同時に、胸の奥がじんわりと疼く。いつもシエナのことを考え、寄り添ってくれるエリオスを前にして、彼女の頬はほんのりと染まった。
(エリオス様は、どうしてこんなに優しいのかしら……)
エリオスに指導してもらううちに、尊敬と感謝の気持ちがさらに深い想いへと変化し始めていたことを、シエナはまだ自覚してはいなかった。
「では、ありがたくいただきます」
「幸運を祈るよ」
その帰り道、夜空を竜の背に乗りながら、シエナはエリオスが魔力を流し込んでくれた右手を見つめていた。
(魔力を人から分けてもらったのは、初めてだけれど……こんなに胸が温まるものなのね)
そっと右手を左手で包み込む。エリオスの温もりが、まだ右手に残っているような気がした。
磨いた風魔法を明日試せることに、初めてわくわくするような高揚感を覚えたシエナは、帰路を急いだのだった。




