失望
クリストフと踊りながら、シエナはちょうど一年前の同じ日のことを思い出していた。
(去年のダンスパーティーでは、まるで夢を見ているような心地だったけれど……)
昨年、クリストフの卒業時に彼のダンスの相手を務めた時には、シエナは天にも昇るような気持ちだった。
クリストフと魔力の相性が良かったシエナは、魔力切れを起こしかけた彼を偶然助けたことから気に入られた。魔力量に恵まれたシエナは、その魔力を他人に分けることができるけれど、魔力の性質は人によって異なり、はっきりとした相性がある。魔力の相性が悪い相手に魔力を分けても、たいして効果はない。それに対して、ごく少数しかいないと言われる、魔力の相性の良い相手に対しては、分け手の魔力をほとんど減らすことなく受け手に移すことができる。その点、クリストフとシエナの魔力の相性は、抜群と言ってよかった。
クリストフに自分の魔力を喜んでもらえたことが、シエナには嬉しかった。それまでは、同学年の生徒に比べて魔力量は多いにもかかわらず、うまく活かすための魔法の技量がなかったシエナは、目立たない生徒でしかなかった。『期待外れ』『宝の持ち腐れ』などと揶揄され、悔しい思いをしたこともある。そんな彼女は、魔法学校で初めて自分の価値を認めてもらえたような気がしたのだった。
魔法学校でも一際目立つ存在だったクリストフに、優しい言葉や微笑みを向けられるだけで、彼女の胸は高鳴った。彼に婚約を申し込まれた時には、本当に現実なのだろうかと頬をつねったほどだ。
今、目の前にいる彼は、魔法学校卒業後にトップの成績で入団した魔術師団のホープとして、輝くような前途が約束されている。さらに外見にも経歴にも磨きのかかったクリストフだったけれど、シエナが大切にしているものは、彼が優先するものとは大きな隔たりがあるような気がした。それに、彼が自分を見初めた理由は、魔力の供給源として都合が良いだけだからではないかという不安が、胸の奥を揺蕩っている。もし心から愛してくれているのなら、もっと彼女の考えを慮ってくれるような気がした。
ダンスを終えて軽く息を上げたシエナが、隣に並ぶクリストフを見上げる。彼のダンスはさすがの腕前だったけれど、彼と踊っていても、以前のようにふわふわと幸せな気持ちにはなれなかった。
クリストフに見惚れる女生徒たちを躱して、彼はシエナをバルコニーに連れ出した。
「それで、僕に伝えたいことって?」
シエナの喉がこくりと動く。
緊張を呑み込んで、シエナはゆっくりと口を開いた。
「クリストフ様。……私たちの結婚式ですが、延期させてはいただけませんか?」
「は?」
信じられないといった様子で、クリストフが目を見開く。
「いきなりどうしたの、シエナ。僕が君に何かした?」
「いえ、申し訳ございません。でも……クリストフ様には、私などよりもっと相応しい方がいらっしゃるかもしれませんし、私にも、もう少し時間の猶予をいただけないでしょうか」
それはシエナの本心だった。魔術師団で、シエナよりも魔力に優れ、相性の良い女性が見付かれば、彼の心が離れてもおかしくはないと思っている。
クリストフはシエナに一歩近付くと、彼女の栗色の長い髪を指先でするりと梳いた。
「前も言ったでしょう、シエナ。僕には君しかいない。君のように魔力の相性が良い人に出会えたことを、僕は運命だと思っているんだ」
(やっぱり、クリストフ様は私の魔力にしか価値を感じていないのかしら……)
運命という言葉を初めて彼から聞いた時には、喜びに心を震わせたシエナだったけれど、今では素直に受け取れずにいる。
表情を翳らせながらも、シエナは彼に向かって言った。
「で、でも。これは私の我儘ですが、元々結婚を予定していた時期は、魔術師団に入団して間もない頃になりますし、落ち着いて式の準備をするのも難しそうですので……」
「ああ、それなら心配いらないよ」
クリストフは明るく笑った。
「君の魔術師団への就職は辞退させるようにと、君の父上にお伝えしているから」
「えっ……?」
思いがけない彼の言葉に凍り付いたシエナだったけれど、震える声を絞り出した。
「嘘……ですよね?」
クリストフは溜息混じりに言った。
「苦労して仕事をしなくたって、僕が何不自由ない暮らしをさせてあげるから。それに、魔術師団で必死に働いたって、活躍できるのはほんの一握りの選ばれた人間だけだよ?」
言外に、彼女の才能では魔術師団での活躍は無理だと言われたように感じながら、シエナは必死に言い募った。
「それでも構いません。どこまでできるのか、自分の力を試してみたいんです。……それに、私がずっと魔術師団に入りたくて努力していたこと、クリストフ様だってご存知ですよね?」
「僕と同じ魔術師団に、そこまでして入りたいと思ってくれたことは嬉しいよ。でも、魔術師団に入って、魔物討伐に赴くことになれば、怪我をする可能性だって避けられない。僕は君に傷付いてほしくはないんだ」
クリストフの美しい碧眼が、彼女の瞳を覗き込む。普段なら見惚れてしまうほどの彼の顔にも、今のシエナの心はまったく動かなかった。
シエナの身の安全を気遣うような言葉は、聞こえはよかったけれど、彼女の気持ちをまるで無視している。シエナの中で、何かがぷつりと切れたような気がした。
「結婚式の延期はやめましょう」
クリストフが優しく微笑む。
「そうだね。じゃあ予定通り……」
「私たちの婚約は解消いたしましょう。別れてください、クリストフ様」
クリストフの顔は見られずに、シエナはそのまま頭を下げた。
「これまでお側にいられたこと、感謝いたします。クリストフ様も、どうかお元気で」
「待ってくれ、シエナ」
クリストフの瞳が、ふっと暗い色を帯びる。
「僕も君に伝えたいことがあると言ったんだが、覚えているかい?」
「ええ」
「結婚式の場所も日取りも、もう決めてある」
「……えっ?」
初めて聞く話に戸惑うシエナに、彼は静かに続けた。
「式場に選んだのは、この国で一番美しい教会だよ。君にサプライズで知らせようと思っていたんだ。……喜んでくれると思ったんだけどな」
「私の意見も聞かずに、魔術師団への就職や、結婚式のことまでお一人で決めてしまうなんて、あまりに勝手ではありませんか? これ以上、クリストフ様と一緒にいたいとは思えません」
シエナがキッとクリストフを睨み付ける。
「失礼します」
急ぎ足でバルコニーを立ち去ろうとするシエナを、顔を歪めたクリストフが見つめる。彼の両手が、淡い光を帯びた。




