憂鬱なダンスパーティー
魔法学校の卒業式後に催されるダンスパーティーで、シエナは多くの女生徒たちの視線を一身に浴びていた。羨望と嫉妬の混ざった眼差しが自分に向けられているのは、隣に並ぶ青年のせいだとシエナも自覚している。
「きゃあっ、クリストフ様だわ!」
「あの麗しいお姿を、こうしてまた見られるなんて……!!」
蜂蜜色の髪に深い碧眼をした、甘い顔立ちのクリストフは、シエナよりも一学年先輩で、昨年魔法学校を卒業している。彼は在学中から人目を惹く存在で、女生徒たちから絶大な人気を誇っていた。
黄色い声が飛ぶ中で、クリストフがシエナに笑いかける。
「卒業おめでとう、シエナ」
「ありがとうございます、クリストフ様」
どことなくシエナの表情が翳っていることに気付いたクリストフが、彼女の翡翠色の瞳を覗き込む。
「どうしたの、マリッジブルーってやつかな?」
シエナはクリストフと婚約しており、魔法学校の卒業後は、彼女の母の喪が明けるのを待って結婚する予定になっていた。
「……そうかもしれません」
思わず本音を零したシエナの腰に、クリストフがそっと腕を回す。
「僕は、君との結婚を心待ちにしているんだけどな」
微かに苦笑する顔まで絵になるなんて、美男子は得だとシエナは思う。
眉目秀麗な上に成績優秀で、魔法の扱いにも長けた彼がこの場にいるのは、シエナのエスコートをするためだ。卒業生のダンスの相手を務める場合、魔法学校を卒業していても、違う学年であっても、ダンスパーティーに参加することができる。
周囲から、ひそひそと囁き声が聞こえてきた。
「非の打ち所がないクリストフ様のお相手が、どうしてシエナ様なのかしら……?」
「ちょっと可愛いだけだし、あれくらいの令嬢なら、どこにでもいるわよね?」
「とてもクリストフ様と釣り合うようには見えないけれど」
飽きるほど耳にした言葉を、シエナはさらりと聞き流した。
(私だって、こんなに素敵な方、私なんかにはもったいないとずっと思っていたけれど……)
クリストフとの結婚が近付いていることに、シエナは憂鬱な気持ちを抑え切れずにいた。シエナの母の喪が明けるのは、この卒業式の日から一か月ほど後だ。彼との結婚までの残り日数を思い浮かべる度に、シエナは溜息が出そうになる。
(本当に、このままクリストフ様と結婚してもよいものかしら)
シエナが悩んでいるのは、これまでに少しずつ積み重なっていた違和感に加えて、ダンスパーティーの直前に、彼から『卒業後は仕事をしないで、僕の側にいてほしい』と言われたことがきっかけだった。
魔力量だけは豊富なものの、魔法の才能は平凡なシエナが、クリストフと同じ魔術師団に就職するために血の滲むような努力をしていたことは、彼が一番良く知っているはずだ。なのに、念願叶って魔術師団への就職が決まった時にも、シエナは一番にクリストフに報告したのに、彼は良い顔をしなかった。
もやもやとした気持ちをシエナが切り替えようとしていると、クリストフは彼女の胸元に輝くネックレスに目を留めて、眉を顰めた。
「そのドレスは君によく似合っているけれど……首元が寂しいな。随分とささやかなネックレスだね」
シエナは、母の形見のネックレスに悲しげに目を落とした。
(そんなことを言わなくたっていいのに)
このダンスパーティーでは、昨年他界した母の形見であるムーンストーンのネックレスを身に着けたいと、シエナは前もってクリストフに伝えていた。けれど、彼からは、この卒業式後のダンスパーティーのためにと、美しい青色のドレスと一緒に、眩いダイヤで彩られた大きなサファイアのネックレスが贈られてきた。
伯爵家出身のシエナに対して、クリストフは有力侯爵家の一角、ウェルブルック侯爵家の長男である。いくら婚約しているとはいえ、身の丈に合わない豪華なネックレスまでは受け取ることが憚られ、大好きだった母の形見を着ける予定だからと、シエナは改めて言い添えた上でお詫びの言葉と共に返していた。
けれど、クリストフは値踏みするようにシエナのネックレスを見つめた。
「そんなもの、君には相応しくないと思うよ。君は受け取ってくれなかったけれど、僕が用意したサファイアのネックレスのほうが、余程君に似合うはずだ」
(『そんなもの』……?)
宝石の価値としては、クリストフの言う通り、彼が贈ろうとしてくれたサファイアのネックレスのほうが、シエナが着けているムーンストーンのネックレスよりもずっと高い。
それは理解していたけれど、彼女のムーンストーンのネックレスは、大好きな母がよく身に着けていた、思い出深い唯一無二のものだ。それは価格で測れるようなものではない。
けれど、シエナの価値観にクリストフが寄り添ってくれることは、それまでもほとんどなかった。あくまでも、彼の判断基準を正しいものとして押し付けられることが、息苦しく感じる。
シエナは硬い表情で口元を引き結んだ。
「クリストフ様にとっては、たいしたことのないものかもしれませんが。私にとっては、大切な母の形見なんです」
「でも、君を見る人には、そんなことはわからないだろう?」
久し振りに口ごたえをしたシエナに、クリストフの青い瞳が冷ややかな色を帯びたのを見て、彼女の肩はびくんと跳ねた。
クリストフの意に背くことをすると、彼は急に冷たくなるようにシエナには感じられる。ただ、彼の言う通りにしている限りは、もの凄く優しい。そんな彼の二面性に、周囲の誰も気付いてはいないようだった。
シエナが着ている、クリストフの瞳と同じ深い青色の、たくさんのフリルで彩られた贅沢なドレスも、正直に言うと、あまり彼女の好みではない。もちろん、贅沢なドレスを用意してくれたことへの感謝は伝えたけれど、すっきりとしたデザインのドレスのほうがシエナは好きだった。そのことも以前に伝えていたものの、どうやらクリストフは、彼好みのドレスを彼女に着せたかったようだ。
シエナの強張った顔に気付いたのか、クリストフはその耳元にそっと顔を近付けた。
「君には一流のものが似合うと言いたかっただけだよ、シエナ。そんな顔をしないで」
普段ならそこで絆されて終わることが多かったけれど、この日のシエナは違った。
(やっぱり、こんな気持ちのままでは結婚できないわ)
幸か不幸か、どこで結婚式を挙げるかや、誰を招待するか、衣装に指輪といった式関係の詳細は、互いに忙しい日々を過ごしていたこともあり、まだ彼と相談できてはいない。
(引き返すなら、今しかないもの)
彼女は真っ直ぐにクリストフを見つめた。
「クリストフ様。このダンスパーティーが終わったら、お伝えしたいことがあります」
「奇遇だね、僕もだよ」
クリストフが美麗な碧眼を細める。
「まずはダンスを楽しもうか。……さあ、おいで」
既に、美しい曲の調べがダンスパーティーの会場に流れ出し、カップルたちがそこここでダンスを踊り始めていた。
シエナは重い気持ちで、クリストフに差し出された手を取った。




