練習開始
シエナはエリオスの前で丁寧に頭を下げた。
「エリオス様、先日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ。君からの手紙の返信も受け取ったよ」
シエナが返送した承諾の返事に、エリオスは安堵した様子だった。
「できることなら、早く働かせていただけるほどありがたいのですが……」
思い詰めたようなシエナの瞳を見て、エリオスが口を開く。
「なら、明日からお願いできるだろうか?」
「はい、是非!」
「……だが、どうしたんだ? 何かあったのかい?」
瞳を揺らしたシエナだったけれど、決意を固めて彼を見つめた。
「エリオス様。明日から私に、魔法への魔力の乗せ方をご指導いただけませんか? 私が仕事を終えてから、エリオス様のお時間の許す限りで構わないのですが……」
「ああ、もちろん。前に約束した通り、教えるよ」
「できる限り早く、攻撃魔法が上手く使えるようになりたいのです」
「攻撃魔法を……?」
面喰ったように目を瞬いたエリオスだったけれど、必死さの滲むシエナの顔を見て頷いた。
「わかった。何か理由があるんだね?」
「……はい」
シエナを見つめて、エリオスが微笑む。
「上達したいと願う強い理由があるほど、習得も早い。明日からよろしく」
ほっと胸を撫で下ろしたシエナが、嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます! ……あっ、そうだ」
シエナは、鞄から白いハンカチを取り出した。
「ハンカチを貸してくださって、ありがとうございました」
エリオスが綺麗に折り畳まれたハンカチを受け取った時、シエナは触れた彼の手に魔力を込めた。
「!」
流れ込んできた魔力に驚いた様子のエリオスに、シエナが微笑みかける。
「気持ちばかりですが、お礼です。では、また明日に」
「ありがとう、シエナ嬢」
感謝を込めて真っ直ぐに彼女を見つめるエリオスを、シエナは照れ臭そうに見つめ返した。
「どういたしまして」
再び彼に頭を下げてから、シエナは拠点の出口へと向かった。
(よかった。エリオス様から攻撃魔法をご指導いただけることになったわ……!)
クリストフとの対戦までの十日間で、少しでも攻撃魔法の上達を急ぎたいシエナにとって、エリオスに指導してもらうことは不可欠だった。
(クリストフ様には絶対に負けられないもの。エリオス様が親切な方でよかったわ)
廊下を歩くシエナの足取りは、心なしかさっきより軽くなっていた。
エリオスと話してから、どことなく胸が温かいような気がして、シエナが小さく首を傾げる。彼が指導を快諾してくれたことにはもちろん感謝していたけれど、胸が満たされるような感覚は、それだけではないような気がした。
(……私の魔力に、エリオス様がお礼を言ってくださったからかもしれないわ)
ささやかでも、それはシエナにとっては嬉しい言葉だった。
(魔力を分けても、クリストフ様からお礼を言われることなんて、なくなってしまったもの)
前にクリストフからお礼を言われたのがいつだったのか、シエナには思い出せなかった。婚約者なのだからと、魔力を彼に分けることは当たり前のようになっている。
別に、魔力を分けたから感謝してほしいと思っている訳ではないし、シエナにとっては、魔力を分けること自体、さほど負担になることでもない。けれど、あまりにそれが当然になっていたために、クリストフに魔力を分けた直後に、同じく魔力を分けたエリオスがかけてくれた言葉が、シエナには新鮮に感じられたのだった。
ふと、エリオスに言われた『自分の価値を低く見積もり過ぎだ』という言葉が、シエナの頭に甦ってくる。
(私には、たいした価値なんてないって思っていたけれど……もっと自分を信じたいわ)
そんなことを考えながら、シエナは魔術師団の拠点を後にした。
***
帰宅したシエナは、早速ユーグの姿を探した。
「ユーグ、お願いがあるのだけど。攻撃魔法の練習に付き合ってもらえないかしら……?」
「えっ? 急にどうしたの、姉さん?」
きょとんとしたユーグに、シエナはクリストフから提案された婚約解消の条件を告げた。みるみるうちに、ユーグの目が丸く見開かれる。
「ええっ、クリストフ様と対戦して、勝ったら婚約解消? こう言っちゃ何だけど、随分勝率の低そうな勝負だね……!?」
「……ユーグも、やっぱりそう思う?」
「だってクリストフ様って、魔術師団での実戦経験がある上に、魔術師団でもかなり優秀なんでしょう? いくら攻撃魔法を掠らせるだけっていっても、攻撃魔法が苦手って言っていた姉さんには、かなり難易度高いと思うよ?」
「そ、そうよね……」
「姉さんのその竜を使う訳にはいかないんだよね?」
シエナの頭上を揺蕩う竜を、ユーグが見上げる。
「そうね。あくまで魔法の勝負だから」
肩を落とすシエナを、ユーグは励ますように見つめた。
「でも、もちろん勝つ可能性はゼロじゃないよ。姉さんは婚約解消したいんだし、やるしかないよね。僕が攻撃魔法を受ける練習台になればいいかな?」
「ええ、お願いできると助かるわ」
二人は早速、屋敷の庭に出た。
「ユーグ、しっかり防御魔法をかけていてね?」
「うん。本気でかかってきて大丈夫だよ!」
白銀の竜は、二人の頭上で静かに彼らを見守っている。
シエナはユーグに向かって、風魔法や水魔法、火魔法や雷魔法など、手当たり次第に試してみたけれど、どれもユーグの身体を掠ることはなかった。
息を上げたシエナが、額に滲む汗を拭う。
「あなた本当に強いわね、ユーグ」
「まあね。僕の魔法の才能は例外的だから、がっかりしないで」
(この年で、防御魔法も身体強化系の魔法もこれだけ使いこなせるなんて……!)
我が弟ながら末恐ろしいと思ったシエナに、ユーグは思案顔で言った。
「でも、今練習台になって思ったけど、姉さんの攻撃魔法だって、そう筋が悪い訳じゃないよ。ただ、何ていうんだろう。……どことなく、『ちぐはぐ』な感じがするんだよね」
「ちぐはぐ……?」
「うん。感覚的にはそんな感じ。上手く言葉で説明するのは難しいんだけどさ……」
首を捻ったユーグが頭を掻く。そんなユーグに、シエナは言った。
「実はね、明日から、エリオス様のところで働いた後、攻撃魔法への魔力の乗せ方についてご指導いただけることになったの」
「本当に!?」
ユーグが目を輝かせる。
「エリオス様に直接魔法を教えてもらえるなんて、羨ましいなあ……! 上達するといいね、姉さん!」
「ありがとう、ユーグ。練習にも付き合ってくれて、助かったわ」
「僕ならまた付き合うから、いつでも言って!」
心優しく優秀な弟がいる幸運に感謝しながら、シエナが頭上の竜を見上げる。かつて捕まっていた竜の、絶対に屈しないという意志の滲む、強い瞳が目に浮かんだ。
「私、絶対に負けないから。あなたも見守っていてね」
竜はシエナを労わるように、そっと彼女に身体をすり寄せた。




